勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

飯高で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

雪だるま連続10体

 週末にたっぷり雪遊びをしたつもりでしたが、子供には「もうこれでよし」という区切りはつけにくいものです。今朝の散歩中も、あちこちに残る雪を見つけてはせっせと転がして遊び出すものだから、なかなか進みません。お互いに待つこととそれなりに急ぐことの折り合いをつけながら、近くを歩いていましたら、5歳の坊やはそこら中に小さな雪だるまを作りながら進む、という方法を見つけました。


 コロコロ転がして持ち運び、も一つ転がして重ねて一つ、また別のところで転がしてこっちにも一つ、また一つ、と精度や大きさではなく、とにかくどんどん作ることを楽しんでいました。

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 私が雪だるまを作ろうとするときなぞは、とにかく一つ大きいのを作りたい。できたのに目鼻や手足を飾って、なるべく可愛らしく絵になるものを作りたいと浅ましく考えてしまいます。それは自分と雪だるまの純粋な関係ではなく、多分に人目を意識した行為で、それが悪いというわけではないけれど、いつの間にそんな在り方になってしまったのか、気付いてちょっと驚きました。


坊やの雪だるまはひょいと抱えられるほどの小さなものだし、適当に転がして重ねただけで、飾りもなく格好いいとも言えないものです。それに散歩に合わせてとはいえあちこちに作るものだから、集合写真も撮れないし、とにかくインスタ映えしません。写真にすると偶然できた雪の塊にしか見えないくらいです。


 けれど道々にその塊が鎮座していて、確かに何かしたあとがあって、わりといい表情に見えてくるのです。作品がどう見えるかとか、どう評価されるかなんて露ほども考えず、ただひたすら雪だるまを作り続ける姿は、やはり遊びのプロだなぁと、また感心してしまいました。数は数えているようで、もう五つできた、もう九やからあと一つで十や、と自分なりに達成感を味わっていました。夢中で作っては次、作ってはまた次、の姿勢は、なんだか名もなき石仏に通じるものがあるように思えましたよ。もちろん親バカに過ぎるのでしょうがね。


お兄ちゃんの真似をして、小さな妹もせっせとさらに小さな塊を次々と作っていました。それはもう夢中で、しばらく声をかけてはいけない気がしたものです。小さな小さな雪だるまたちは、明日はもう溶けているでしょうが、もしまた見つけられたら私はきっと手を合わせてしまいます。でも残っていないほうが切なくていいかな。大きくても小さくても、雪は降ってかたまって溶けて、子供たちの育ちを応援してくれています。


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