勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

別れの花

うちで初めてヒヨコが産まれた次の日に、ヒヨコたちのいる小屋のすぐ横で、一羽の鶏が死んでしまいました。一年前にピヨピヨカンパニーという和歌山県のヒヨコ屋さんからやってきた、10羽のボリスブラウンのうちの一羽です。一週間前くらいから具合が悪くて動かなくなっていたのを保護して、うちの玄関のすぐ近くに連れて来て見守っていたのですが、甲斐なくあっけなく逝ってしまいました。

 

元気の良い時はモリモリ餌を食べて、私を見つけると寄ってきて催促もし、バタバタしたりつついたり、可愛いけれどもちょっと厄介といっても良い存在なのでした。それがひとたび調子が悪くなると、動かないし食べないしバタバタもしないし、じっと眠って時々水を飲むくらいで、もちろん卵も産まなくなって、日に日に軽くなっていきました。その前に風邪をひいた鶏は、暖かくして休ませたらまた元気を取り戻してくれたのに、この子に元気が戻ることはありませんでした。

 

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すぐそばの烏骨鶏の母鶏とヒヨコたちがいる小屋で7羽目のヒヨコが誕生した直後くらいでしょうか。用事が一段落してふと気になって寄ってみると、どうやらちょうど生命がなくなったところでした。まだ温かかったのですが、目が開くことはなく、抱きかかえた私の腕の中で、だんだん温もりを失っていき、硬直していきました。この鶏にとっては自分の子ではないけれど、産まれ出てきたヒヨコの声を聞きながら、春の暖かい日差しの中で、静かに一年一ヶ月の生命を終えたのです。

 

ヒヨコ屋さんからきた小さな雌鶏が十羽ともそろって大きくなり、卵も産んでくれ、外敵にもやられずに一年一緒に居られただけで、すごく稀な幸せなことなのです。また元気になって欲しかったし、そばにいながら力になれなかったのは情けなくて仕方ありませんけれど。鶏の病気は調べてみたけれど難しい名前のものばかりでチンプンカンプンです。他の鶏に感染る前に隔離できただけでも幸運だったのかもしれません。弱った子は騒ぐことなく苦しそうにすることもなく、ただただじっとしているだけで、そのまま弱っていきました。私に何か出来たのかできなかったのか、振り返るととてもとても苦しいです。鶏一羽にこんなにも心が揺すぶられるのかというくらい、ずっしりとコタえてしまうのです。

 

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最初にやってきた時の写真です。十羽のうちのどの子かは区別がつきにくいですが、こんなにちっちゃかったのですね。

 

養鶏家である以上、数年の命である鶏たちの生死はこれから日常茶飯事になるのでしょう。卵も孵化しないこともあるし、雄鶏は多過ぎたらシメなきゃいけないし、バタバタと病気で倒れてしまうこともあるのかもしれません。一羽一羽に涙を流していたらきりがなく、やっていられないのかもしれません。でも今はまだ何もかも初めてで、ちょうどヒヨコが産まれ出た次の日に、腕の中で硬くなっていった鶏さんのことを、悲しむ以外はできなくて、暇を見つけては悲しんでしまいます。

 

散りかけている梅の木の下に穴を掘って埋めました。ちょうど満開の乙女椿をたくさん飾ったら、可愛い雌鶏もきっと満足してくれる美しいお墓になりましたよ。今までありがとうの気持ちをいっぱいに込めて。

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