勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

抹茶色は笹の色?

今週のお題「わたしの好きな色」

色の名前

色の名前

 

私が小さい頃、鬼ごっこの中で一番人気があったのは高鬼でした。そう、地面より高いところに上ればしばらくはセーフというルールで、走って登って作戦立てて、おにごっこの中でもよりダイナミックといえるでしょう。とにかく高鬼が主流だった中で、私はずっと色鬼(いろおに)を主張しておりました。いくら主張すれどもリーダータイプではないゆえ採用されることはあまりなく、たまにしかできないお慈悲のような楽しみで、それがまた特別感があって好きだったのです。

 

鬼が「〇〇色!」と言う。みんなその色を探して走り回る。鬼につかまるより先に色にタッチできればセーフ、というルールです。着ている服や帽子、靴やらにその色があればラッキーですが、見つからない場合は探し回ることになるのでいつも足の速い子に有利というわけではないおにごっこです。素直な子たちは赤、青、黄色で回します。ちょっと考える子は緑、紫、オレンジ色を入れてきます。黒はみんな髪の毛を触ってつかまらないのでほとんど使われません。茶髪が主流になってからならできたかもしれませんね。白は白い服の子めがけてみんな走ってきてわかりやすい回になります。そしてとてもひねくれた私のような子は、とにかくお題の色にこだわります。まだ出ていない色、24色色鉛筆で入っているけれど慣れない名前の色、歌詞や本で出てきて憧れの響きの色なんかを盛り込もうとします。していました。

 

普通に緑と言えばいいところを深緑、抹茶色と言ってみたり、紫じゃなくてスミレ色をお題にしたり、紅色、クリーム色、なんかも試してみました。

 

こうなると遊んでいるメンバーはパッと反応できずに楽しくなくなって不平が出ますが、そこで私は通じること通じないことを学んだのです。紫陽花が咲いていても赤紫は通じにくい。茶色といえば地面を触る。それは黄土色とは言いにくい。金色は公園の中では見つかりにくい、などなど、色おには私にとっては発見の宝庫でした。単に周りにある色を区別して見つけるだけでなく、色の境界線が人によって違うこと、色は表現の仕方によって大きくも小さくも分けられることなどですね。大げさに言えば色を切り口として世界や人との関わりをズシンと学べたのが色おに遊びでした。

 

そんな中、やっぱり必ず叫んでいたのは「黄緑!」です。明るい草があればオッケーです。遊具と砂の公園では端っこの草地まで走っていましたが、今なら一番簡単なお題です。緑あふれる田舎の夏。

 

公園で色おに遊びをするのが好きだったから、私は今も散歩で色探しをするのが好きなのです。いつもの道に咲いた花、気温が変わって芽吹く木々、晴れて明るくなった土の色。収穫時の野菜や果実の色。今日はネジバナが咲いているのを見つけました。緑をベースに引き立てられて咲く花が好きです。だから、好きな色は何色なんだろう。やっぱり黄緑、と思いつつもあっちこっち視点を変えていく遊び心が最高ですね。

 

一時愛読していた色の名前の本もあります。短い言葉一つでイメージが膨らむなんて、名前というだけのことはありますね。

今はこの本も持っていて時々眺めます。色を通じての言葉の美しさ、たまりませんね。