勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

200回突破とゲストスピーカーの宣伝

このブログ「勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行 続」もなんやかやで200回を迎えました。

それなりに課しながら、重荷にはならないようにしつつ、気が乗ったら書くというスタンスで更新しているわりには、ルーチンでもなくあまり空くこともなくいい付き合いができているなと、俯瞰してみて微笑んでしまいました。

 

私がたどり着いた新しい故郷、松阪市飯高町での自給率の高い田舎暮らしを書き留めておきたい、生き物との関わりや子供や学校の様子、流れゆく慌ただしい時代にあってもブレずに守りたいもの、その心情なんかを泡と消えてしまわせずに片鱗を残しておきたい、そして何より自身の文章力を磨きたいという、ものすごく個人的な思いでブログを始め、続けております。

 

けれど200記事までいいペースで続けてこれたのは、それなりに書いた先にある人を意識できたおかげなのです。何人かの具体的な顔はもちろん、見知らぬけどつながっているような人の存在って、書き手を謙虚にもし、調子に乗らせもするのですね。全面支持なんてないことはわかっているけれど、少しは誰かの心が前向きになったり楽しくなったり温かくなる力がもし私のペンにもあるならば、私は意地でもペンを離したくはないのです。これだけ情報が溢れ、雪崩れ、竜巻となっている時代に、なんの権力もない者の少しの言葉なんてほぼないも同然なのですが、生身の人間は必ず誰かとつながっていて、結構誰かの言葉が大事なことがあるのですから。

 

未来の自分が微笑んでくれるような今の私の言葉を、これからも重ねていきたいです。百回「きれいだね」と言われるよりも一回「文章が好き」、と言われる方が私は嬉しいです。前者はほとんど耳にせず、時々後者をもらうことがあるので、実にめっちゃ幸せですね。小学生のときから変わらぬ好きなことがあるだけで幸せなのですが、もっともっと磨いて溜めていつか夢に届きたいと思っています。ペンで森林を守るという壮大な夢にね。

 

と、ここまで自己陶酔してしまいましたが、ここからちょっとだけPRです。

 

昨年度二月に初めて三重県の移住相談会に先輩移住者としてお邪魔させてもらったのですが、ありがたく今年もお話を頂きまして、二月頭に大阪で少し話をすることになりました。

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新たに田舎で農的暮らしにチャレンジし、地域の食について愛を込めて語れる人として、確かに私は適材なのでしょう。話は三十分以内でメインは試食会なので、あまり熱を入れて語り過ぎないよう発表内容を考えているところですよ。それから市の担当者と一緒に食材選びもしてきました。この写真で無料軽食付きのイベントに惹かれて申し込んでしまうたまたま暇だった街の人には申し訳ないけれど、今回松阪牛はお出ししません、悪しからず。豪華な海産物も期待できないかもしれません。その代わり飯高の美味しいものはしっかり持って行くので、本当に田舎に関心がある人には満足なラインナップだと思います。

 

私が伝えるのは、この先何が起きてもたくましく生き延びていけるはずの食べることの話。それからこの地域で出会った美味しいものに関わる人たちの話です。どれだけ自給率を上げようとも、何もかもを自分で賄い助けを借りないなんて生き方は田舎では特にもったいないです。私が好きなのは自ら頑張りながらも物々交換によって潤う暮らし方なので、多少こちらにあるからこそ差し出せる立ち位置にいることになるという意味で、自給率を上げるのは楽しいことだなととらえています。そしてだんだん自給率を上げていくと、単純に生き延びる自信につながるので、この数年で出来るだけ上げてきたまでです。昔思っていたより以上に豊かな食生活になっているのは地力あってこそだったのでしょう。あとはありがたい人のつながりですね。

 

まあそんなことをオブラートに包みながら、一般的に伝わるよう面白く穏やかにお話しできればなとムズムズしております。もし本当にご興味のある方はお早めに。ふぅん、へぇ、ほぉ、な方は、とりあえず事後報告をお待ちあれ。せっかく大阪に行けるのに前後ほとんど自由時間を入れられないことが悩ましいですが、懐かしの(わずかな社会人生活を送っていた)肥後橋とどのくらいシンクロできるのかが楽しみです。