コンテストの趣旨にふさわしいかはハテナ付きですが、せっかくなので、私と家族が農的生活を営むことになった転機を振り返ってみたいです。
町生まれ町育ちで一度は都会の真ん中で働いた経験もありますが、もともと自然を感じて暮らすのは好きで、いつかはログハウスみたいなところで暮らしてみたいなとの憧れはありました。学生時代にやたらとキャンプをし、旅をしていたのもシティ派のスタイルとは異なります。
とはいえ初めから田舎で農業、および百姓ライフ諸々をしようと思っていたわけではなく、自分の未来はちっとも描けていませんでした。
ところが中国で駐在することになり、子供が生まれて専業主婦に格闘するようになると、可能ならば敬遠したかった料理や、日常をきちんと過ごし、過ごさせることが私の主たる役割になりました。自分一人ならばインスタントを寄せ集めたような生活でもしばらくはやっていけるのですが、家族を守るためには興味が健康的なライフスタイルに向かっていきます。そして意外かもしれませんが、共産主義ゆえ地産地消を当たり前とする中国の、ローカル市場の安い新鮮な野菜に開眼したのです。高級スーパーの見目の良い輸入野菜より、地元の土の付いたままの不格好な野菜や穀物や卵が本当に美味しくて、これはどういうことだろうと考え出したのが、今の農的生活チャレンジにつながっています。
その後帰国して畑をやり出し(この頃は南大阪でした)、子育てが続いていくのですが、畑での採れたて野菜をそのままかじる子供に目を見張りました。全身で喜んで食べていたのです。そして食に気を付けてから、子供たちがほとんど病気をしなくなり、私自身の肌荒れもほとんどなくなりました。その上、作物のこと、作物をとりまく生き物のこと、地域による違い、農に関わってきた人々など、知らなかったことだらけで知りたいことだらけで、どんどん面白くなりました。
街暮らしをしながら有機農業を応援する消費者である選択もあったのかもしれません。直売所に通える距離であれば、食にこだわり続けるだけなら十分可能だったと思います。でも、たとえ暮らしが厳しくなっても、未だに生き方を模索し続けることになっても、子供が小さいうちに百姓になって自然に囲まれて、一緒に生きる力を獲得していきたいとのわがままな選択が間違っていたとは思えません。
ぬくぬくと日本で過ごしているだけではおそらく気付かなかった、生きる力への貪欲さを求めることになった転機は、右も左もわからず放り込まれた中国で夢中でつかんだのだと思います。曇りない目で確実に強く生きていきたい。開眼から8年が経ちましたが、その思いと挑戦は今もまだ途切れることなく続いています。