勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

おねえちゃんにこかされた

今週のお題「おとうさん」

 

父の日を前にということで、こんな話を。

 

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小さな坊やはしょっちゅう小さな怪我をします。大きな怪我は少なくなったけど、すり傷切り傷打ち身青あざはどこかしこにあって、親はなかなか気付かないことも多々あります。いつも一緒にいるのにね。お転婆な末娘も同じくで、大袈裟に自己申告してくれることもあれば、不審な跡に遅れて気付くこともあり、保育園の送り迎えで先生に尋ねられてびっくりすることもあります。どう思われているのかヒヤヒヤですね。いえ、やましいことはないです。うっかりぶつかることはあっても、転んだり落ちたりを助けられないことはあっても、追い詰められてストレス溜めないように今の暮らしを選んでいるのですから。とここまで前置きです。

 

亀成園は今年から米作りに挑戦することにしましたが、今は田んぼで苗床を作って田植え待ちの段階です。農業はいつも特定の作物に育って欲しいので、稲が負けないよう草取りが肝心です。それで家族で稲の間の草抜きをしておりました。案の定子供たちはすぐに飽きて田んぼで泥遊びをし出します。それはそれで遊びの理想的な姿なので構わないのですが、思慮浅い息子が何も考えずに苗床に突進してきました。おいおい、踏みつけるぞ、と信じられない愚行です。止まらない愚息、哀れな稲。お父ちゃんは咄嗟に何やっとんだと息子の足を稲から払いました。

 

そしたら畔のコンクリートに顔を突っ込んだのです。稲は間一髪無事で、愚息は、残念。打ち所は悪くなくて顔をすりむいた程度で済み、しばらく泣いてからはケロッとしていたので軽傷ですが、顔なので丸わかりです。さあどうなるか。

 

次の日登校した息子は当然先生に聞かれます。どうしたのかと。彼はちょっと考えて、「おねえちゃんにこかされた」と答えたそうです。全校顔見知りの学校なので先生は姉に事情を確認し、姉はあっさりありのままを説明して己の潔白を証明できましたが、息子がお父ちゃんをかばったのが意外でした。何を口止めされたわけでもないし、世間体をさほど気にする人でもないので正直に話して構わないのに、息子なりにお父さんを立てようとしたのでしょうか。

 

そういえば保育園の頃、お迎えに行くと先生に「お父さんすごいですね」と何度か言われたことがあります。耳年増で物知りな息子が先生にえらそうに何か発言して、そんなこと誰に教わったの、と尋ねられたら「お父さんに教えてもらった」と答えたそうなのです。でもそれ、大体の出処はウンチク大好きなお母ちゃん。まあどちらからも聞いたとかお父ちゃんがより長く説明していたとかもありましたが、明らかに私の言ったようなことも「お父さんに教わった」と言うようです。帰り道にちょっとその話になっても、「まぁいいやんか」と取り繕うのです。

 

いつもはどう見ても母に甘えん坊な子で、お父ちゃんのことはどう思ってるのか見えにくいのですが、世間に対して父を立てるということを自然と行っているようです。そのような教育を施した覚えもありませんが、子供心にきっと大事なことなのでしょう。亀成園のお父ちゃんは、いつも縁の下の力持ち。むしろ縁の上下で力を出しまくっておりますが、イクメンのわりに実の子たちからの愛が薄いのが悩みです。子供たちは一途に母への愛を大きくしていてお父ちゃんとはドライな関係になりがちです。けれどこんな風に立てる存在としてあるなんて、なかなか気付きませんでした。

 

小さな頃は全面的に母に擁護され、父親の役割は論理的に考えるようになってから、と学んだのはどの書物においてだったでしょうか。それはもちろん子供を母親任せにするということではなく、自分のやるべきことをきちんと行い続けるからこそ後々の大きな役割につながっていくのでしょう。母は小さく子供を包み、父は大きく母子を包むというイメージです。亀成園の子供たちはまだ小さくて、母を拠り所にしていることが多いですが、だんだん手を離れてきていることも感じます。きっとこれからどんどん父親の存在が大きくなってくるのでしょう。「働く姿を子供に見せたい」というのも大きな理由の一つで自営業の道に飛び込んだお父ちゃん。順風満帆とはいかないけれど、試行錯誤の頑張りは日々子供たちの眼前にあります。父子の絆が増すのを眺めるのがだんだん楽しみになりました。でもおっちょこちょいにはご用心ね。