勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

亀成園ではひふへ保育

前回、火遊びと星空観察について書きました。子どもの育ち方と火遊びについて「はひふへ保育」という考え方を思い出したので、備忘録も兼ねて詳しくつづってみます。これは大杉谷自然学校さんが委託を受けて毎年アウトドアインストラクターを養成する講座があって、去年受講してきた亀成園父がそこで学んだことの一つです。間違いがあったら申し訳ないのですが、ググっても出てこないのでもう少し知られてほしい思いも込めて記載しておきます。「刃物、火、歩、平和、穂」ではひふへほ。子供の頃に必要なものがこの一行に詰まっているという大胆かつ納得の保育提唱です。ふ、へ、ほはマイルドでもは、ひで危なさが際立ってしまいますね。でも危なさを知らなければ子供は育てないとも思います。というわけでひとつずつ。


は、の刃物はとにかく危ないからと子供から遠ざけられがちです。で、遠ざけたままにしておくとどうなるか。ずっと危ないままですよ。道具はとにかく慣れが一番なので、大きくなったからといって自然に扱えるわけではない。というのは小学生の間中包丁は禁止され、中学生以降突然「使えて当たり前」とされて育った私は身をもって知っています。毎日包丁を使っていても危ない時は危ないです。苦手意識がなかなか消えないのが情けないので、子供たちはかなり小さい頃から持たせています。『台所育児』を読んだおかげですね。

坂本廣子の台所育児―一歳から包丁を

坂本廣子の台所育児―一歳から包丁を


しばらく子供包丁を眠らせてしまっていましたが、三歳児にキュウリやスイカを切ってもらうのに再び活躍させました。

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見ているととても怖くて口うるさくなりそうです。でも口出しすると気が散って余計危ないので、使い方を教えてくれぐれも気をつけるように言うと、その場を離れます。子供から気は離さずにそばで違う家事をして、チラチラ様子を伺うのです。小さな手で一生懸命切ります。乱切り乱切り、大きさもバラバラだけど、得意気に楽しそうに切る姿は応援したくなります。注意せず応援する。刃物保育は親の成長に効果抜群かな。


ひ、の火遊びも危ない代表ですね。でも人間が大好きな遊びであり知恵であり恩恵の一つです。亀成園では冬は毎日薪ストーブなので、子供たちの火つけも慣れましたが、夏もたまには大きな火を炊きたいですね。花火だけでなく、野外の飯盒炊さん、ただ火を燃やし続けることも好きです。じっと火を眺めていると心にも火が移る気がします。そしてその夜はぐっすり寝てしまう。スケジュールの詰まった時には危ない行為ですが、吸い込まれるように眠れるとは一番健康に効きそうです。


ふ、の歩くことも強調してし過ぎることはないほど育ちに欠かせないことです。子供だけでなく大人の心身を保つにも、歩かなければいけません。外を歩くと足を使いながらいろいろな発見をします。鳥や虫の鳴く音動く音が聞こえる、空が見える、風を感じる、いい匂いがする。道の段差を好んで歩き、下り坂で走り、溝を飛び越えて身体の使い方が安定してきます。荒々しい犬の散歩に三歳児を連れて行くのは時間もかかるし気遣いが大層で、家で待っていてもらうことも多かったのですが、近頃ほとんど遅れず堂々と付いてくるようになりました。犬のリードを持ちたがりながらも圧倒的に力が足りず、サポートが大変という新しい課題はあるものの、このまま育てば勝手に散歩に連れて行ってくれるのかしら。大人でも扱いに困るうちの犬ですが、末娘とは仲良しで、期待が高まります。歩くと全身に血が巡りますね。何はともあれ子供にさせて安心なことだと思います。

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もっとも一年生の息子にとっては「歩」はもっぱら将棋かな。最初は大駒狙いばかりだった彼も、歩をきちんと使えるようになって腕が上がった気がします。ま、うんと弱い私に言えることではないですけどね。


へ、の平和は、もとのはひふへ保育提唱者がどのようにお考えだったのか私にはわからないのですが、単純に平和教育ということではなさそうです。他の生き物と認め合い、共生することであればいいな。争いというのは火事と一緒で、大きくなってしまってからでは鎮めるのがとてもとても難儀になります。なので平和を願うなら、争い以前の相互理解が絶対に必要です。信条の異なる人々を排除するのは正義ではない。普通と言う名の差別を当然としない。保育に携わる人が真に相互理解を心掛け、自戒し続ける姿が、回り回って子供に与える平和につながるのではないでしょうか。熟語頼りの小難しい言い方をしてしまいましたが、要するに「自分と違うものは変だ」とか「自分がよければいい」とか「自分以外の生き物が困ってても知ったことではない」などという極利己的な狭い世界に子供を閉じ込めてしまわない必要があると思うのです。私も我が子を見ていてまだまだだなと反省しきりですが、育てる過程で「認める、許す、歩み寄る」ことを教え続けていきたいです。


最後のほは、稲穂を象徴とした食育、ということらしいです。生きる上で食べることはどれだけ大事にしてもし過ぎることはない肝心要なので、子供たちには食べるだけでなく食べるものに触れる、学ぶ、発見することはいくらでもやってほしいですね。食育といえば親子クッキングで十分ではないのです。やはり現場に足を運び、命のある状態の食べ物を知ってほしいです。


亀成園では移住から三年経って、野菜とたんぱく質の自給がかなり安定してきました。畑の野菜の一部は子供たちに任されていて、お世話を義務付けています。このやり方はまだまだ改良が必要だとは思いますが、放任すれば畑に入ることも少ないので、とにかく機会を増やすには責任を持ってもらうことが効くのかな。夏休みは鶏舎から卵を集めてくることも子供の仕事になっていて、そのため鶏たちの様子にもずいぶん詳しくなりました。そして今年から始めた田んぼに穂が付いてきました。

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周りではもうどんどん刈取り時期で取り残される我が家の田んぼですが、まだ暑いうちはこのくらいの緑と水が残されているのがいいなと改めて感じています。稲や麦といった穀物を育てるのは毎年一度しかできません。二期作というのもあるにせよ山村地域では土台無理な話です。なので米作りは経験を積みにくい営みです。だからこそ先代から次代へずっとずっと受け継がれてきたのですね。自分だけではたどり着けない知恵にあやかって生きていくために。


田んぼを持ってみて、稲作に挑戦することで得られるのは出来上がったお米だけではありません。もちろんお米のために、食べるためにすべての作業があるのですが、一粒の玄米から何千もの米粒が実る姿を知り、田んぼにたくさんの生き物が訪れることを目の当たりにし、日照りや台風でやきもきする苦労を感じ、刈取りや脱穀や保存を滞りなくこなしてこそのお茶碗一杯のご飯です。食育とは単発に切り取って一時間で伝わるものでなく、長い目で育てていくものだと思うのです。もともと教育がそうですね。木育、足育、その他ありますが、とかく命に関わる食のことを、保育期に年間を通して感じられる機会はもっと重要視されてもよいです。まだ初年度の成果も出ていない亀成園の田んぼなれど、これから訪れる多くの子にとって、学びの場になればいいと夢見ています。


はひふへ保育、ひとまずまとめてみました。は、は歯をきっかけとした健康作りがいいのではないか。ひ、は人付き合いを学ぶべきではないか。ほ、は星空を入れたい、など人によって突っ込んだ意見もあるかと存じますが、「刃物、火、歩、平和、穂」でまとめたのは見事だなと改めて感心しました。何処にいても生き抜く力を付けたたくましい子を育てたい。そんな信念を持つ強力な実践論になるといいです。