勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

鬼はいつも心の中に

三日前になりますが、今年も節分の豆まきしました。ここんとこ珍しく立て込んでいたので豆まきの実行も危ぶんでいたのですが、使い切れていない頂きものの大豆もあったことだし、いざ奮起してやってみるとなんだかスッキリして、やっぱり行事はこなしておくべきかなと習慣に感謝しました。ガラガラと引き戸を開けて入ってきた鬼に一斉にワァーッと豆をぶつける高揚感は、やはり他の行事にはない楽しさがあります。後片付けが大変だからと近頃は小さな三角袋に入った豆菓子が人気ですが、つかむのも投げるのも当たるのも、プラスチック袋ではなくて豆が好きです。後で田畑に撒くので落ちて汚れてもいいし、豆のパラパラという音と鬼役になったらちょっと痛い感じなどの良さを思えば、後片付けはなんてことないです。まあ、土間だからこそですね。古民家の良さを確認するのはやはり伝統行事かな。 

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うっかり失念しかけていた恵方巻も、気負わずにあるもの(椎茸とか菜っ葉、ネギに細切りの鹿肉など)でハーフサイズで済ませました。縁起をかつげば中身が大事なのですが、私にとっては何を食べるかよりもどうやって食べるかが肝心な行事なのです。みんなで一つの方角を向いて(今年は西南西)、かぶりついてから食べ終わるまでは喋らない、というのが私が受け継いできた恵方巻のルールです。かぶりつける自分の力量を考えて自分で巻くのですが、最初の一本は欲張りたくなるもの。口中顔中もほもほさせて頬張るのが醍醐味です。 

「鬼とは何か」は私にとって二十年くらい思考テーマの一つであります。お化けでもなく物怪や妖怪とも違って鬼はもっと人間に近いです。絶望のあまり鬼に成ってしまったり、鬼が光に打たれて観音様になったり、異人を鬼だとみなしたり、地獄にいる鬼も亡者の管理をしながらも地位が上というわけでもなさそうで、どこか哀しいような倦怠感が漂うような雰囲気です。もちろん私が鬼たちとそれらを取り巻く環境を実際見たわけではなくて、種々作品からのイメージなのですが、人と鬼の関係はとても近く描かれています。 

そんなことが頭にあって、節分の鬼を見てみると、「追い払うべき鬼は自分の中にある」と伝えられていることに行き当たります。赤鬼をはじめとして色々な色の鬼がいるのにも意味があって、
 赤鬼は欲望 
青鬼は憎しみや恐れ 
黄色鬼は後悔や甘え 
緑鬼は不健康や倦怠感 
黒鬼は愚痴や疑心 

上記五種類の煩悩を象徴しているのだとか。節分の鬼やらい(追儺)は漫画『陰陽師』にも出てくる印象的な伝統的な儀式で、新しい春を迎える前に寒さと一緒に怨念や過去のわだかまりを追い払いたかった人々の思いが積み重なっています。

陰陽師 全13巻 完結セット(ジェッツコミックス)

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「鬼」がいつもいつも煩悩を表しているわけではありません。なんとなく人のそばにあるものや恐れを具現化したものとして、鬼はいつも牙をむき出しながら涙を流してきました。渡る世間が苦しい時には他人様が鬼に見えることもあるでしょうが、巡り巡っては自己の中に巣食っているのが鬼の在り方です。毎年払っても払っても追い出しきることはなくまた戻ってきてしまう。いっそ飼い慣らすほうが賢いように思えますが、追い払う努力はやめたくないです。 

私もきっちり五色の鬼と共に居て、欲望の赤鬼は地位を求め、憎しみの青鬼は自然が汚されることに憤り、後悔の黄色鬼はいつだって自分の道を曇らせるし、緑鬼の怠慢を促す力といったら強力なもので、愚痴をこぼす黒鬼は小さいけれど時々暴れます。 
子供たちの中にもやはり怠け者がおり、怒りっぽいのがおり、意地汚くて文句が多くて、ややこしいときはそれはもう修羅の国です。類は友を呼び鬼は鬼を呼ぶのか、そんな時は親も一緒に鬼丸出しで、自制心が効きません。あぁ、そんなことがなんとよくある光景か。 

というわけで鬼はやはり小まめに追い払っておきたいですね。また戻ってくるとわかっていても、あきらめて同居するわけじゃなく、ありたい自分の位置付けは鬼のいない状態にしておきたいのです。盛大に豆を撒いたからにはちょっとは逃げていてくれるのか。寒い中を追い出した鬼に同情かけているほど私の芯は強くないので、負け続けないように心を保つのに必死なのです。そうやって浄化してこそやっと来る福は、きっと眩いものなのでしょう。