勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

「生物多様性はなぜ必要か」講座を受けて

亀成園母が園主と共によく聞かれることの一つに

「なぜ移住先をここ(三重県松阪市飯高町森)にしたの」という質問があります。

 

・川がきれいだから

・風通しがよく畑も茶畑もあったから

・古民家と相性がよかったから

などがふんわりとした理由で、もっと真に迫った理由は

生物多様性を軸にした持続可能な暮らしがくっきり描けたから

なのです。

が、この言い方で納得して下さる方はまずおりませんね。私としてはこれ以上はっきりとした理由はないだろうという思いと、それはわかれというほうが無理だろうとの思いの狭間におります。なかなか落としどころを見つけるのが難しい回答です。

もっとも、人に対してわかりやすく伝えるならば

・学校も近くて子育てによい環境だと思ったから

・土地と家とのいい出会いがあったから

・関西からアクセスがよく暮らしやすそうだったから

などが好まれるのでしょう。付け加えることはできます。けれど私自身があくまで基準においているのは「里山暮らしと生物多様性への興味関心」なのです。その環境に一刻も早く子供と共に身を置きたかったというのが偽りのない理由です。

とはいえ私がどれだけ「生物多様性」についてわかっているのかな、どれだけ伝えることができるのかなともやもやした思いがありました。ここが生物多様性を日々実感する最適地と綿密なリサーチをしたわけではないのです。そんなことしていたら暮らすところは見つからずいつまでも時間だけが過ぎていきます。けれど年々暮らしていて飽きることのない場所です。樹木の種類が多く、里山としての歴史が長く、多様でいながら居心地のいい暮らしができているのは場所選びが間違っていなかったからだとは思うのです。もう少し直感を煮詰めたいとの思いがあったので、三重県主催の環境基礎講座に「生物多様性はなぜ必要か」のタイトルを見つけて飛びつきました。

環境基礎講座2020|イベント詳細|生涯学習センター|三重県総合文化センター

 

朝からそわそわして午後いっぱいを使って津まで出かけていき、講座を受けたのが8月最後の土曜日でした。環境問題やSDGsに興味関心があり、時間を割いて集まることが可能な県民が40名ほど集うことになった、なかなか盛況な講座でした。

 

講座の内容は「みえ生物多様性推進プラン(第3期)」を学び、三重大学の理科教育講座を受け持つ講師の講義を聞き、質疑応答という二時間半の流れでした。

 

生物多様性が何なのか、学術的に詳しいことを知りたければ、講義でも紹介されていた本にわかりやすそうなのがありました。生命の歴史や適応進化、絶滅のプロセスや保全制度に事例など、的確な絵図と共にわかりやすく説明されています。

 

絵でわかる生物多様性 (KS絵でわかるシリーズ)

絵でわかる生物多様性 (KS絵でわかるシリーズ)

 

  そんな生物多様性って何だろうとか、生物多様性保全するためにどんな取り組みがなされているのだろうという話以上に講座でつかみたかったのは、それは自分にとってどういう意味や価値があるのだろうということです。講師の方がおっしゃっていたので印象的だったことの一つが下記です。

・名前も知らない虫が一種絶滅したところで何か感じますか?

 

 私はどうやらかなり虫に好意的なヒトなので、たとえ名前も知らず見たこともない虫でも見てみたいなとは思います。面白い形をしているかもしれないし、きれいな模様やきれいな鳴き声かもしれない。もしかしたら稀にみる能力を持っているかもしれないし、いなくなっても構わないとは答えられません。ですが本当に取るに足らない微生物にまで興味を持てるかと問われれば正直返答に困ってしまいます。

 なにせ生き物の種類は途方もなく多いです。哺乳類は約4000種、鳥類9000種、爬虫類6000種くらいならなんとかその姿と名前を一通り流し見することくらいできそうですが、魚類は1万9千種、菌類は4万7千種とくると太刀打ちできそうにありません。それなのに花のある植物ときたら25万種だというし、昆虫にいたっては75万種というのです。現在わかっているだけの数でこれなのです。毎日10種ずつ頑張って覚えたとしても(覚えた端から忘れていくのに)、十年かかっても昆虫の0.05%にもならないのです。実際はもっと大まかな分類があって亜種も沢山で相当詳しいイメージはつかめるとは思うのですが、本当に詳しく親しくなるには目がくらむ世界であることは間違いなさそうです。

 その中の一種類の生存は自分に何の影響があるのか。講義を聞いた参加者はみな立ち止まって考える機会になりました。実際は座っているんですけど気持ち的にもね。

 

 ぺらーんと画一化されたところよりも、凸凹していてなんでもありのところのほうが魅力があるというのをどうもっともらしく言ってのけるかが、生物多様性を謳いたい人の目標です。プランテーションでなくパーマカルチャーを。砂漠化を防いで森林を。養殖より天然で、精白米ばかりより雑穀いろいろ、な気持ちを直感から進めていきたい。どうもそんな思いが奥にあって、だから経済的指標に外れても価値を付けて残していきたいと願っているのです。ナチュラリスト、エコロジストだけでなく生物学者もいろいろな研究機関も研究を応用したい企業や事業者なんかもきっと。

 

 多様性に向き合う価値観は簡単に正解を出すことはできず、個人の想いはなかなかまとまりそうにありません。それでもなんとなく生物多様性というキーワードがひっかかる人は、野や森や海が好きな人です。花鳥風月を愛しむことに価値がある人です。だからこそ細かい興味はバラバラで、工業化都市化砂漠化に立ち向かう力はそう強くありません。このままではなんだかいけないのがわかっているけれど、どうしたらいいだろうとやっぱりもやもやしています。

 

 講座を受けて学びが沢山ありました。気付きも少しありました。まだ行動に伴うレベルにはなっていませんが、火を絶やさずにはいたいです。そして数日後、薪割をしていたら木と皮の間から、まだ見たことのなかった生き物に出会いました。

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クロイロコウガイビル

 

 ナメクジのような、ヒルのような、三角頭をした生き物として検索したらすぐに「コウガイビル」と見つかりました。名前にヒルとついていますが吸血性はなく、ナメクジに近い仲間のようです。このタイプの他にも何種類もいるらしく、今まで潰されているのを見たことはあったような気はしますが、生態はまるで知らなかった生き物でした。

 

 簡単に言うとどうにも気持ちの悪い生き物です。かわいくもかっこよくも美しくもありません。ぬめぬめしているし、やけに長いし色も取るに足りないようなくすんだような。この生き物の価値と言われると私にはどうにも答えようがないのですが、自分が暮らしている同じ敷地内にこんな生き物もいるのだという発見は、私の心を明るくしました。クロイロコウガイビルが暮らしに役に立っているとはまだ想像もつきませんが、同じ場所で暮らしているのだと気付くと、こいつが絶滅しても構わないとは思えなくなりました。単純なものです。

 

 生物多様性とは飛躍するかもしれないのですが、こうして多種多様な生き物を好きも嫌いもなく受け入れるようになることで、人に対しての受け入れ幅が広くなったらいいなと思うのです。率直に言えば、偏見や差別意識をなくして他者と接していくことができたらなと思うのです。どんな気が合わない人や得体のしれない人でもクロイロコウガイビルより得体のしれないことはないと思うのです。気は合わなくても言葉や表情でコミュニケーションを試みることはできるのです。クロイロコウガイビル(何度も比較で登場させて申し訳ないですが)がいてもいいなと思う世界でいてはいけない人なんているのかなと、なんだか思考が柔らかになるのです。

 

 地球の中で自分の存在は1000万種のうちのたったひとつに過ぎなくて、たったひとつの70憶人のうちの一人に過ぎない。ここから見渡せる範囲にどれだけの種類の生き物がいて、どれもが私が居ることを許してくれている。刺してくる蚊やアブと攻防するし、植物を利用したり枯らしたり踏みつけたりするし、猟も漁も積極的にするし(私には腕はありませんが)、それぞれの生き物との関係性は様々です。それでも日々絶え間なく攻撃されることもなく、締め出されることもなく、無視されることもなくここで生きているのです。

 

 畢竟、いろいろこねくり回して考えてみて、私にとって大切なことは「このままひとつの生き物として生きていきたい」ことに他なりません。そこに人類の発展はあるのか。経済成長はあるのか。その前に子供の成長に責任を持てるのかという厳しい現実とどう折り合いを付けられるか。なかなか満足いく人生軌道に乗れませんね。それでもなんでも、あるがままの生き様を面白く、を貫いて生きたいです。