勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

いつも言葉に縛られ照らされて

11/1で38歳になりました。他人にはなんてことない日ですが自分にはやっぱり特別なのが誕生日。

ちっともピチピチでもなく醸し出すにも遠く、中途半端な中年半ばに過ぎないのですが、個人的に30の頃自分と約束したことがあってから、ここは大事な年なのです。

 

ずっと言葉に力をもらって生きてきました。身体能力の低い私は言葉を使わなければ何もできないし、言葉を磨くためにのみ人生を進んでいると言っても大袈裟ではありません。アウトドアも食も農も音楽も大事だけれど、読み書き以上に大事なものは何にもなくて完全に最優先事項で、だからやっぱり自分の生きる力は筆の力であって欲しいのです。

 

30の頃、小さな子供を抱えるだけでなにもしていなかった頃は自分が情けなくて仕方なかったです。専業主婦という立場でありながら、主婦業は何一つ得意でなくて、エネルギーの強い子供と向き合うばかりで必死な日々。ぐちゃぐちゃな家でぎゃいのぎゃいのやってる自分を認めることはどう取り繕っても難しかったです。子育ては生半可では務まらないエゲツない仕事とは知っていますし、だからこそ勢いで突っ走れるかもしれない若いうちに先に挑みました。それも自分で決めたこと。そして子供は予想を遥かに上回って可愛すぎるし面白いことがいっぱいだし子供のおかげで得たものはまさに星の数ほどあります。それでもそこに安住するには私の主婦力は低過ぎました。そしてなまじっか学力を上げてしまったために、気を許している友達の社会的立場と自分との雲泥の差に愕然とします。それぞれの人生で、得ているもの選んでいないもの様々で、比べることはアホらしいと重々わかっていても、子育てはいつだってつまずくもので、母を支えてくれるにはあまりに不安定です。子供を自分のトロフィーにする気もなく、でも切り離すこともできず、私ってなんだろうと虚しくなることは一所懸命頑張ったからこその母業秘密の落とし穴です。


今だからこの落とし穴にどっぷりハマったことを誇らしく思いますが、出口の見えないトンネルという例えが苦しさいっぱいなように、先の見えない時は光が欲しくなります。


だから決めたのです。30で必死だった時、トンネルを抜けた先に光があることを信じるために、自分で決めました。35までは覚悟をもってまっすぐ子供と向き合うけれど、その後は自分の仕事を探すことを。そしてなんとなくですが38でそれなりの手応えを得ることを。そう決めたものの当時は38なんてずいぶん先で、子供もかなり大きくなって子育ては随分楽になっている、そんな日は夢のようだと思っていました。だからこそそうなったときに抜け殻にならないよう我が道を照らしたのです。照らさなければ落とし穴に飲み込まれて抜け出せなくなりそうだったから。


そして今、子供の育ち具合は夢のよう。6年生を筆頭にポンポンポンと5歳が最小です。いつも賑やかで喧嘩は多いものの、ここ一年はホント何もせずとも育っている感覚になりました。キリキリ見張らずとも気を配るだけで母の役割が果たせるようになってきました。


そして一年ちょっと前から私の頭はビジネスモード。社会経験のなさに半端ないコンプレックスを抱えながらも、起業したい、家庭の次は社会にと強く思ったのは、自分の決めた道があったからです。何にも縛られずに自由に生きているつもりで、案外強く自分の言葉に縛られている様は滑稽なのですが、やっぱり言葉には力があるのかな。適当に散らかさずに覚悟を決めて照らした言葉が自分の道を作るなら、受け止めていきたいです。


38でいっぱしの仕事をする。そのスタートが今。何ができるのかまだスライム状態ですが、決めたからには何かできるはずです。


「大人になったら田舎で暮らす」とか「子供を産むなら四人以上」とか「たくさんの自然素材が見える家で子育てしたい」とか漠然としながらも自分で目標を立てたことは大体その通りになったきました。今度はちょっと漠然度が低くて縛り過ぎるかもしれませんが、誰かに迷惑をかけるわけでもありません。ただそうなるように動いていくのみです。


こっそり拳に力を入れて、とにかく小さくとも社会を担う人になっていきたいです。まあ大切な子供たちから気を放すことのないよう少しずつなのですが。それでも5年後に踏み出してよかったなと子供に誇れる自分でいたいから。