勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

軍手2枚の小さな手

ネタを詰め切れない日々が続いています。溜めているはずなのにどうもバタバタしていて取りこぼしてしまって落ち着かない。ここしばらくなんだか「やらなきゃ。やっておかなくちゃ」という意識が強かったのですが、ちょっと肩の力を抜いて書きたいことを書いてみます。

 

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寒くなって朝扉を開けたら車が凍っていることがあるようになりました。夜の間ずっと冷え続けていた車はとても寒くて、しばらくエンジンをかけておかないと温まりません。出発前に早めに気付けば落ち着いて対処できるのに、朝はギリギリ慌てるのが情けないけれど常日頃の話。窓だけ見えるようにして、寒いまま車に乗り込んで、手袋をして運転し始めました。

 

私がよく使っているのは指先が空いていて手の甲だけを守るタイプの動作にあまり支障のない手袋です。でもそれじゃ寒そうだからと昨年娘がプレゼントしてくれたしっかり分厚い手袋とその朝に目があって、分厚い手袋をはめたまま運転してしまいました。温かい幸せを感じたかったのです。ハンドルは握れるしボタンなどの操作もできるけれど、指だけでなく手のひらも分厚く覆われているのでハンドルを握る感触が違ってびっくりしました。運転はできるもののなんだかぎこちなくて危なっかしくて、車通りがわりとある道に出る前に急いで外す羽目になりました。

 

子供からもらった特別温かい手袋だったからか、すぐに思い出したのが以前なにかで読んだ「軍手2枚の話」でした。

 

まだ手を使いだして間もない幼児というのは、自分の手を使って、触れるし押せるし持てるし握れるけど、その手はいつも軍手2枚をはめているような使いごこちなのだとか。3,4歳の子供も持ったコップをすぐ落としたりひっくり返したり、クレヨンを握ったもののぐちゃぐちゃに描いてすぐ投げ出したり、靴がうまくはけなかったり着替えに時間がかかったりして、そういう時は大体親はイラっとします。さっさとやってほしいしきちんとやってほしい。自分にとっては手先を使うのは簡単なことで、子供にだって手があって毎日使っているのだから簡単だと思ってしまう。それで本当に悪気なく子供を急がせてしまうことのなんて多いことか。

 

幼児は軍手を2枚はめて暮らしているようなものと聞いて、実際自分も軍手を重ねて身の回りのことをやってみたことがあります。着替える、食器を出す、コップに水を注ぐ、スカーフを結ぶ、上着のボタンを留める、靴を履く。そうすると目の前の小さな子供よりもうんとぎこちなくて遅くって、もたもたと必死で頑張らなければ作業をこなすことができませんでした。面白そうに、でも優しく私を見守る子供を見て、いつもこんなに頑張っていたのかと自分が恥ずかしく、反省したものです。

 

久しぶりに分厚い手袋をしたまま運転をしてしまうというミスを犯してしまい、また反省なのですが、軍手2枚の子供感覚の記憶が蘇ってきました。上の娘たちはもう私より余程器用に作業をこなし、字もきれいだしお裁縫もできるようになったけれど、末娘はまだ5歳です。もう5歳かという思いのほうが強くてうっかり一人前扱いしてしまい、それが彼女を押し上げることもある反面、追い詰めてしまうこともあるのです。5歳なりに精一杯頑張っていることを忘れてしまい急かしてしまうのはやっぱりこちらの無神経ですね。彼女だって軍手2枚よりはいくらか器用とはいえ、10歳の手先よりはまだうんと不自由で、身体を自分のものにするために練習中なのです。あったか手袋運転をしながら一気にこんなことを思い出し思い起こし、なんだか手先がじーんとしました。

 

育児で必死の時期がずいぶん過ぎてしまい、今はなんとか仕事を自分のものにするのに一所懸命で、子供との接し方に不注意になってしまうことが増えてきてしまいました。元々育児が得意なわけでも好きなわけでもなく、とにかく必死で育児書を読みまくって、時間をかけて試行錯誤して子供と向き合ってきただけなので、すぐにメッキがはがれてしまいます。けれど剥がれ落ちてしまうにはまだ早いし、10年以上も何を学んで何を得てきたのか再確認するために、手に取った本があります。

 

佐々木正美の子育て百科2~入園・入学後、子どもの心はどう成長するか

佐々木正美の子育て百科2~入園・入学後、子どもの心はどう成長するか

  • 作者:佐々木 正美
  • 発売日: 2020/05/20
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 佐々木正美先生の本は相当数読んでいて、数ある育児書の中でもダントツで響いています。むしろ最初から佐々木正美先生だけ読んでおけばよかったかもしれません。よくぞ繰り返し繰り返し手を変え形を変えて、生きづらい社会の子供たちのために親の指南書を残してくれたものだと感謝でいっぱいです。2017年に亡くなられてしまったので手持ちの書で復習するしかなかったのですが、今年刊行されたこの本を見つけることができて、迷わず開きました。

 

今年一番泣いた本です。

 

この方は本当に子供の育ちをそのまま観察しておられて、子供にはどんなに母性が必要か、どんな子も特別に愛されなければならないということを根気よく伝えておられます。両親と祖父母で子供への態度は違っていいこと、お母さんが父親の役目まで負わなくていいこと、お母さんは自分の命令より先に子供の言うことを受け入れてあげること、育児は一人で行うものではないことなど、とにかく子供がどれほど親や近しい大人の愛情をエネルギーとして育っていくのかが丁寧に大きな視野で書かれています。母に都合のよい本ではなく本当に子供のために親が読む本なので、時に親に厳しいこともあります。けれど親でいることに誇りを持てる名著だと私は思うのです。

 

大きい人である大人は、子供に寛容でなくてはいけません。ニコニコと子供のそばにいて、いつでも望むだけ愛情を与えてあげなくてはいけません。そういう子育ては一人ではできません。ほかの大人と協力して、母を核としながら何重もの愛情を注いであげるとそれだけで子供は人の話を聞いて受け入れ、社会と関われる人に育っていくと。

 

私もほぼワンオペの時期がありました。旦那はんは家族思いの頼りになる人ですが、なにせ仕事が忙しい時期というのはあったのです。そうなると私は誰に頼っていいかもわからず誰にも頼れずキャパオーバーして子供たちを追い詰めていたことが幾度もありました。無様な子育てをしていたものだと申し訳なく思います。もっとやりようがあっただろうに。それでもいつだって「喜ぶときは一緒に」を実行してきたので過ごした時間は長く、目をかけてきたとは思います。そして飯高町に来てからは子供たちは両親やおばあちゃんだけでなく地域の他の大人との接点が多くなりました。学童期の子供は子供の中で育つというのが佐々木正美先生の主張の一つなので、児童の少ない香肌小学校で足りないところもあるかもしれませんが、異年齢の子たちと否応なく関われて、大人にどうしたって特別に関わってもらうという点で、やっぱり子供の育ちに望ましい環境かなと改めて納得し、子供たちを可愛がって下さった、下さっている方々(とりわけ先生方)に改めて深く感謝です。

 

子供が育つことで、親になった自分が学ぶものは計り知れません。時が過ぎると生々しさを忘れてしまうので消えたように見えますが、お互い一緒にいた時間が人生でどれほど濃かったのか、きっと後からびっくりするのです。軍手2枚をはめていた小さな手が軍手1枚なり素手になり、その手から他の人を喜ばせるものを作り出すようになります。ぐちゃぐちゃ描きしていた心のままに、家族が寄り添う絵を描いたり鳥が羽ばたく絵を描いたり節目の手紙を書いたりします。そんな素敵なものもらうほど素敵なことはなんにもしていないのに、巣にいる間は愛情を押し付けてきてくれるのです。

 

まだ小さい子もいるけれど、上の子がわりと育ってきたもので予防線を張っています。そのうちふいに巣立ってしまっても足をひっぱらずに送り出してあげたいと言い聞かせて。そして小さい子の今の時間を見落とすことのないようにしたいと。

 

明日も寒くなりそうです。散歩に行くときは分厚い手袋をして、慌てず子供たちを見送りたいですね。