勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

自分で作った大事な場所

衣食住に関わる暮らしに必要なものはなるべく自分で作るのがいいなと考えています。わりと昔から憧れの職業には農家と大工さんがランクインするし、手を使って作り出すことは人間として生まれてきたからこそ得られる喜びの大きなものなので、作れるものは作らなきゃ人生もったいないと考えています。シュタイナー教育の影響も大きいです。といっても私は考えるばかりの怠け者で、かつ無謀で不器用なのでちっともたいしたことはできておりませんけどね。時々マスクや服のほつれを縫ったりちょっとした木工したり、自家製調味料を仕込んだりすると、それだけでなんだかきちんと暮らしているような気になります。やろうとしていることの10分の1くらいで。

 

なんでも検索してクリックで買えて経済的困窮のない文明を謳歌している現代人が、なにもかも足りなくて渇望していた時代や境遇の人と比べて精神が安定しているわけではありません。それはやはり手仕事の減少と無縁ではない気がするのです。知恵と力を持て余すと心身はアンバランスになるのではないでしょうか。そこでせっせと趣味のスキルを磨くのもいいのですが、暮らしに直結する手仕事ができたときの満足感や自己肯定感を味わう機会がもっとあればと思ったのは、清く貧しい我が娘たちが自分の部屋を作るという大きな仕事をこなしたからです。

 

七年前に購入した今の家は、平屋の木造古民家です。土間があり畳の部屋が大きさいろいろの五つと台所が一階にある場所で、お風呂は半分戸外に増築されています。洗面所と洗濯機スペースはトタン屋根の下です。平屋の廊下から階段もついているのですが、二階はお蚕さんを飼育していたような場所で、窓もなくほとんど物置でした。平屋のままでも一家族が暮らすには風通しもよく広々とした家なのですが、洋風建築と違ってプライべート感は皆無です。そして寒いです。薪ストーブは土間にあるので、いちおう私の部屋にあたるところとは一番遠くて引きこもることもできません。電波も届きにくいですし。娘たちも10歳を超えて、微妙に個人スペースを必要とするようになりました。

 

というわけで、二階を居心地よく個人部屋にする作業をこの冬、父と娘二人で行っていたのです。離れをゲストハウスにするときも娘二人には随分手伝ってもらいました。床板を直したり壁紙を貼ったりの作業は彼女たちには「やってもいいし、やってみたい」こと。照明を付けたり部屋のレイアウトを工夫するのは「ぜひやりたい」こと。自力でどこまでできるのか半信半疑でしたが、冬休みと先月の何日か使うと、なんだかあら不思議、それなりの部屋ができたのです。

 

作業前はお見苦しいかな、こんなところでした。年明けすぐはまだこんな状態でした。

f:id:kamenarien:20210218102219j:plain

 

それが一ヶ月もしないうちに

f:id:kamenarien:20210218102334j:plain

 

床に板を張って固定して、壁を作って娘たちが自分で選んだ壁紙を貼って、古畳を置いて、自分で選んだ照明を付けました。休みの日に材料を運び込んでノコギリで削ってインパクトドライバーで打ち付けて、めいっぱい身体を使って仕事をしていました。この部屋は勉強部屋にするそうで、もらいものの机を入れたけど椅子がなかったので、余っていた材料で椅子も作りました。姉妹で同じサイズで作り、ニスを違う色にして個性を出しています。写真のは妹の明るめメイプル。お姉ちゃんのはグリズリーのようなこげ茶色です。ホームセンターできゃっきゃと選んでおりました。

 

真ん中をカーテンで仕切ってあって、一人8畳ずつくらいのスペースといえばとっても贅沢感がありますね。実際は立つと頭を打つような屋根裏部屋で、防音をしてないので動くと階下に響いてそんなにプライバシーもないけれど、ここで宿題をして静かに遊ぶようになりました。まだあまり物を運び込まず、寝るのは一階で変わらず家族みんなでミチミチで寝ており、部屋はまだすっきりとした空間です。でも確かに「娘たちの場所」という厳かな雰囲気があり、私はあまり立ち入れません。これからゆっくりと思春期に入っていくときに、この場所が娘たちを支えてくれるのかなと思うと空間さえも愛しくなります。そしてまだ小さな妹も憧れて、向かいの場所を同じように自分の部屋として作りたいと静かに燃えています。

 

部屋作りでインパクトドライバーがすっかり使えるようになった上の娘は、私のへなちょこ木工も快く手伝ってくれるようになりました。「(背)負うた子に教えられ」とは言いますが、今や何でもかんでも教えられています。誕生日やなにかのお祝いに使いやすい大工道具を所望する日も近いのかもしれません。

 

自分のものはなるべく自分で作る、を一つの志として子育てをしてきましたが、部屋を作るとは予想外でした。でも確かにつながっていたのです。何一つ無駄なく、まっすぐに。子供たちに与えられる数々の体験がうらやましくてたまらなくて、自分の空間をもってちょっと離れてしまったことがじわじわと寂しくてたまらない。乱れる母心と折り合いをつけなくちゃ。