勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

いまさらトランプ遊びにはまる子供たち

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告白というほどでもありませんが、私は小さな頃トランプが友達でした。ボールや画材であったら人生変わっていたような気がしますが、本とトランプであったことが事実で、まあそれはそれで誇れるほど自分らしいと思っています。

 

トランプはおばあちゃんたちと遊んでもらうときによく使った道具で、ババ抜き・七並べ・神経衰弱をしてからカルタ遊びや坊主めくりに移るのが一連の流れでした。今思えばよくそんなに根気よく付き合ってくれたものだなと感心感謝尽きませんが、当たり前にカードゲームで遊んでもらっていたことが印象的です。そしておばあちゃんたちに遊んでもらう歳でなくなってからも、友達と遊ぶときにはどこかにトランプやカードを隠し持っていましたし、遊ぶ人がいないときも(わりと日常的)、一人遊びに愛用していました。トランプ占いも日常でした。恋愛運のハートより金運のダイヤより友情運や仕事運を表す黒いマークを望んでいたことだけなんとなく覚えています。ほんと人の在り方って変わらない。

 

そういう経緯でトランプが遊び道具として大変優秀であることを私は強く知っていたのですが、どうも今まで子供たちに伝わっていませんでした。遊び方はどんなものであれ、まずは誰かと一緒に遊ぶ中で身に着けていくので、一緒に遊んでこなかったらいつになってもわかりませんね。それにしてもアナログゲームはだいぶ慣らしていっており、UNOで遊び、ナンジャモンジャで遊び、花札もするのに、トランプ遊びに馴染み薄かったとは盲点でした。当たり前のことに気付かないからこその盲点です。

ところでUNOも花札も最近は可愛いキャラクターものが増えているのですね。うちにはマリオのUNOがあって、テレビゲームをしないながらもマリオキャラに親しめる重要(かもしれない)アイテムになっています。花札は渋いやつですが、ドラえもんとかスヌーピー、欲しくなります。物欲は低めなのに玩具欲は無駄に高くて困っちまいます。

 

トランプも様々なデザインがあって、何をよく手にしているかで感性が養われていきそうです。旅先や博物館で素敵なトランプを見かけたらつい買いたくなる派です。

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 さて一通り玩具欲妄想を満たしました。けれどトランプのカードがあっても遊ぶ方がわからなければ遊べません。散らばりやすいカードをハイと渡されて、自分で遊びを考え出せていつまでも遊んでさらに家族を巻き込んでいくことを子供に期待してはいけません。一緒に遊ぶきっかけが必要で、共に過ごす時間こそが肝心です。ルール解説をうまくできなかったら申し訳ないし、私が知っている遊びの他にも可能性が高いだろうので、本から入るスタイルはありかなと思いました。正直に言えば私がトランプ遊びを見直してみたいと思ったので、本を手にしてみたのが、最近のヒットでした。ユーチューブでもいいのですけれど、こんなのもある、あんなのもある、とざっと見るには本がいいです。遊びの名前を知るのにもね。

 定番の七ならべの応用編や、私には馴染みのなかった2人遊びのあれこれなど、本を開いてみるのはやはり楽しいことです。

 こうしてテキストを手に入れて、上の娘と想像をふくらませて、早めに夕食を終えて、いざアナログ遊びの時間です。

 

ババ抜きは流石に知っていたので、10合わせ(トランプ10とも呼ぶ)から始めました。10,J,Q,Kをあらかじめ抜いておき、足して10になるカードを捨てていく遊びです。小学校1年生前後にこれで遊べば得だなぁと思えるゲームですね。大きな子とやると最初にカードを抜く面倒がのしかかって、人気が出ませんでした。

 

7ならべは子供たちがルールを知らずに解説しながらやってみて、コツのわかっている両親があっさり上がるという失態を犯したために、また人気が出ませんでした。

 

やはり人気が出たのは大富豪(大貧民と呼ぶことも)でした。単純にカードを出すよりも考えて出し抜く要素が強いのがお気に召したようです。三年生の息子はJ,Q,Kの上下もわからないとこからのスタートだったのですが、勝気一心であっという間に身に着けたようです。

 

何人も集まれないときは2人で遊ぶスピードを好んでいます。カード捌きに慣れていないともたもたしてなかなか出せませんが、回を重ねるごとに慣れた手になっていきます。わかりやすく成長を見られるのはアナログゲームのいいところです。

 

他にポーカーやブラックジャックもやってみましたが、まだチップをかけるところまではやっていないので、いまいち盛り上がりません。もう少し大きくなれば挑まれることになるかもしれませんね。遊び方を示唆しておけば、きっと関わってくれるでしょう。

 

そんなかんじでトランプ遊び導入はまずまずの成果を得ました。夕食後に使える時間を見て、ボードゲームカタンかトランプかをするのを楽しみにしています。

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結構時間をかけて頭を使ってしまい、夜に用事を済ます力を使い果たし、眠りが深くなってしまった親の姿は情けないものですが、子供と遊ぶことはエネルギーを与えることに他ならないのですね。家の仕事や私の個人的用事などでわがままを聞いてもらうことも多いので、近頃は一緒に遊ぶ時間を惜しむことを減らそうと心がけています。これはきっと無駄な時間ではなくて井戸を掘っているような時間なのです。

 

いまだトランプの一人遊びに興味を示す子がいないことも大きな発見でした。

 

子供はなんだかんだ親と似ている部分が多いし、親の在り方を見て育っていく要素は強いのですが、誰も一人遊びをしないというのは、私とは異なった人格であることを示してくれたのです。ぼっち要素はあると人生楽しい大事な要素だと私は思っているのですが、いまのところ傾向が薄いからといって、人生損をしているとは言えません。一緒に遊べばいいのです。共に時間を過ごせばいいのです。そのうち孤独を好むようになったらそれはそれで楽しみなのですからね。

 

さて、そんなかんじで毎日のように遊んでいると、まだゲームに加わりにくい末娘が少しすね気味です。周りで楽しんではおりますが、一丁前のプレイヤーになるのは難しいらしく、異年齢の幅を感じています。またこの子ともじっくり遊ばなくちゃいけませんね。本を読むのもやはり上の子に比べると少なくなってしまっているので、ケアが必要かなと感じることもあります。気にはかけていても手をかけるのはなかなか追い付かない。親の役割は果てしなく、けれど有限であることを、また噛みしめるのです。