勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

夏休み前のご機嫌な懇談

 

シュタイナー幼稚園に通っていた頃、個別懇談は親へのご褒美でした。

日頃先生がどんなに子供を見てくれているのか、子供の作品を見せてもらいながら成長について話してもらう時間は、いろいろ褒められて、親にとってはこそばくも嬉しい時間でした。

それぞれの懇談のために時間をかけて準備をしてもらったことが伝わりました。そして温かい時間を共有できたことは、私の子育て歴史の中でも強運極まりない経験でした。

 

さて、先日は日本の公立校での懇談でした。

自然豊かな松阪市飯高町の小さな学校でも、懇談はとてもていねいに行われます。

中学1年生、小学3年生、小学5年生と一日で3人分なので、どんなことを言われたのか端から忘れていくほど話が進んでいきましたが

結論として、とても幸せな時間になりました。

まあ毎年のことです。懇談は子供の成長を先生目線で認めてもらえる絶好の機会です。

昭和に生まれた身としては、ショッキングなことを聞かされて肩身の狭い思いをし、凹んで帰るというイメージもあるので、毎度ドキドキして来校するのですが、あっさり朗らかな時間に変わって、ホクホクの帰宅になります。

 

まだ子供たちが大きくないこともあって、厳しい進学の話などはなく、主に日頃の様子を聞かせてもらったからかもしれませんが

やはり子供をよく見てくれていて、親にも気付きを与えてもらいました。

どの子ももう学校でのことはあまり話さなくなってきたので、ほんとに大丈夫かなと心配していたのですが、

親が満足できる懇談を与えてくれる先生たちはほんとにすごいなと思っています。

 

10年前にシュタイナー教育を学んでいる時にハッとして、ずっと心に留めていることがあります。

「子供にとって最高に安心して育っていける環境は、親が先生を信頼していること」

かぎかっこ内のまま書かれていたわけではないのですが、内容はこんなかんじです。

昼間の長い時間を共に過ごし、社会生活を導いてくれる先生と、家に帰って時間を過ごし、足りないものを補ってくれる親との間に、温かい信頼関係があることが、どんな教育内容よりも子供のためになるそうです。

私は子供の頃にそれを望んでいたのになかなか叶わなかった経緯もあり、自分が親になってその記述を見たときは涙が出ました。まだ幼稚園も入っていなかった頃ですが、この先子供の担当となってくれる先生方には多少の疑問はあっても最大の敬意を払って接していこう、と心に誓ったのです。妙な先生だったらどうしようとの不安もありましたが、いままでのところ良い関係が築けていることに感謝しています。

 受け持ちの先生が変わった時や新しく赴任された先生にお会いするときは、いち早くご挨拶し、どんな方なのかなと興味を持って前向きに受け止めるようにしています。

なので4月5月はまだ慣れずに緊張感が続きますが、子供の気持ちがほぐれてくるころには私も精神的に伴走できるようになっていて、共に学校を楽しむようになります。

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基本的に学校は楽しくあってほしい

 

というわけで、また先生に恵まれ共に成長を見守っておりますが

心配なのは、これからの子供たちの反抗期です。

まだ傾向が見られないのはいいのか不健全なのか。

無理をさせていないだろうか、私が押し込めていないだろうか、もう少し黙っておこうか、そんなことで心配をかけてはまたいけないだろうか。

 

いつまで経っても親心を持て余します。

なにせ、自分の日々の成長よりも子供たちの成長の方がずっと速いので

子供との関わり方はダイナミックに変化していき、こちらの頭と心が追い付くのにタイムラグがあります。

今までもたくさんたくさん失敗を繰り返してきましたし、これからもそうでしょう。

 

だからこそ、信頼できる先生に、家でとはちょっと違う子供の様子を聞かせてもらうのは最高に安心することで、親が安心していたら子供も気が楽ですね。

 

コミュニティスクールやボランティアで学校と関わる機会が多いので、児童・生徒や先生方にも「また来とる」と思われているのでしょう。昭和を引きずっていた頃なら鬱陶しい保護者で、平成真っただ中だったらほぼモンペだったかもしれません。いまのところ文句は言った記憶はございませんが、子供が辛い思いをしていたらいつだって噛みつく覚悟(或いは本能)があることがにじみ出ているってこともあるのでしょうから。

 けれども今のところ、飯高の子供たちも先生方もいつも温かく迎えてくれるので、そう怖がられても鬱陶しがられてもいないのでしょう。私のイメージよりうんと澄んでいるのがここでの暮らし、人々のつきあいです。いまのところはまだまっすぐ育つ子供たちを一緒に見守れている気がして、嬉しいものです。

 

 さて懇談が終わればもう夏休みです。ゲストハウスを運営しながら子供たちの時間がそれなりに濃厚である夏は可能なのでしょうか。思いつめても仕方ありませんが、夏休みを期待いっぱいで迎えるのは、楽しい人生でありますね。