勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

風力発電所ができるってマジなのか

にわかに信じがたい話なのですが、近隣で風力発電の計画が着々と進んでいるそうなのです。何もしなければ山に道が引かれて、大きな風車がぐるぐる回ることになり、大好きな山河に囲まれた今の景観が変わってしまうそうなのです。うーん、ちっとも嬉しくない。

f:id:kamenarien:20210802151114p:plain

 火力発電頼みだった頃はバイオマス発電や代替エネルギーに注目し、期待したものです。けれど現在の動きは巨大な動力システムを作って、電気を起こすことを目的に大きなお金が動いている、なにか違うものだなという警告音が鳴りやみません。装置ありき、大規模な工事ありきです。そこを作ることで機材や人が必要となりお金が動くので、賛同する人は少なくありません。住民でない人がどかどかっと作ってさっさと引き上げて、処理に困る装置が残されます。なにやら開発途上国支援と似た臭いですね。

 

 私は地権者でもなく有力者でもないので、やめてくれという声は空しく響くだけなのかもしれませんが、警告音が聞こえている人は他にいないのでしょうか。本当に皆聞こえないのでしょうか。目の前の山を崩し、生態系を壊して新しく発電システムを作ることに違和感はないのでしょうか。モヤモヤと気持ちが晴れない日々が続いています。

 

 休耕地になっていたところがメガソーラーパネルに景観が変わっていって、周りの住民や訪れた人がモヤモヤとしているのは田舎暮らしではよくある話です。田んぼだったところ、畑だったところが、住人が歳をとったりいなくなったりで、荒れ地になってしまうとご近所の声や目が気になります。毎年何度もしっかり草刈りするのもなかなか大変です。年々荒れていくしかない自分の土地に人が来て、「もう草刈りの心配をしなくていい」「工事は今がお得ですよ」「余剰分の電気を売ればお金の面でも安心ですよ」と優しく親身に営業されてしまうと、ついそれなら工事しようかなという気になるのかもしれません。私とて50年先に今の家に一人で残されて暮らしていくとなると、自分の力で田畑を管理できる自信はまるでなく、日々が楽になるのならうっかりハンコを押してしまいそうです。もちろん子供たちに相談はするけれど、疎遠になっていて助けてくれるわけでもないのなら、住んでいる自分の事を考えて、景観を守る力は少なくなっていそうです。そんなことならコンパクトに住む方を選んだほうがマシなのか、しっかり財を築いておいて、管理の仕事を作っておくべきなのか。たくましい未来をイメージするのには課題が山積みですね。

 

 どんどん建てられたソーラーパネルに伸びた草が絡みついているのが、現実の風景です。何年も前に建てられたソーラーパネルがなんだかすっかり放置され、電気の供給にも問題がありそうですが、それも無視され、残念な土地だけが残されます。それに気付きもしない持ち主さんや業者さんというのが実情です。業者さんによっては草が伸びないようにびっしりとシートで覆い、獣が入らないように頑丈に囲い、建設後数年はただそこに機械があるという風景です。管理してくれているようです、しばらくは。ただそれがいつまで保証されるのかはわかりません。シートもパネルも老朽化してくるでしょう。獣が入って巣くって荒れることもあるでしょう。どうするのか、どうもしないのか、どうにも安心できる雰囲気はなくてまたモヤモヤします。

 

 モヤモヤは個人が管理できなくなったソーラーパネルで十分だと思っていたのに、今度は風力発電のために山に工事が入るそうです。まだ本決まりではないようですが、大きな計画が進められていることは事実で、それで儲けようと目論んでいる人がいて、私の好きな里山風景は壊されかけています。生態系保全や野鳥の通り道保全を訴えても、そもそも生態系に関心のない人がほとんどなので、説得力はありません。山が壊れれば水の流れも壊れてしまい、災害の危険性が高まると訴えても、「十分配慮して工事を行います」と回答されて斥けられてしまいそうです。これも山と水のつながりを深く理解していなければ説得に重みが出ません。私の理解も直観プラスアルファぐらいなので、大きな力があるとは言えません。里山に住む人々が国全体の自然保全を担っていると提言してくれた、富山和子さんの力と知恵が欲しいです。「水田はダム」と唱えて棚田保全に働きかけたことでも有名な方ですね。

 川と海はつながっていて、里山が里海を育み、豊かな自然の中でやがてすべてが土に帰るという考えを40年前から形を変えて訴えておられ、その影響は列島を網羅していると思っていたのに、事はそう甘くなかったのです。昨今の大水や土砂災害も水の流れを無視した開発により起こってしまったことだとずっと前から指摘されているのに、情報は流れていってしまうのです。少なくとも、風力発電工事を進める人々の記憶には残っていないのです。たまたま空いていた土地で儲けられそうなところで、未来に災害がおころうが知ったこっちゃない、とまで冷たいとは思いませんが、思いもよらないというのが正直なところなのでしょう。風車の回る風景が好きな人も多いですからね。

f:id:kamenarien:20210802175727j:plain

AC写真お借りしました。

風車の写真を調べていて、昔自転車旅で訪れた日本のいろいろなところに既に風車が作られている風景を目の当たりにしてくらっとしました。もう十分だろというぐらい、各地に建てられているのですね。そしてそれは住民にはどう受け入れられているのでしょう。固そうな風力発電機が山の上にずらりと並ぶ。暮らしに必要な電気を担っているのかもしれませんが、自分の使う電気がその風力で賄われているという実感はないでしょう。電力が足りないからまた風力発電機をどっさり作るという流れになって、また別の山に狙いが付けられる。そんなことをしている間に老朽化の問題が出たり、運営会社が変わったりして、責任をとれる人がいなくなることも考えられます。そうなると困るのは誰なのか。やっぱりそこに住む人でしょう。都会へ出て歳をとってから帰って来ようとしていた故郷が、老朽化したソーラーパネル風力発電機になっていたら、安心して戻ってこれるでしょうか。人の流れにも影響がありそうです。

 

暗い未来を描いて現実化してはいけないので、明るく明るく描きます。

大型発電機ナシで。

私とて風車というものにはなんとなくいいイメージがあるのです。灯台とか水車小屋とかと並列して、人々の暮らしに溶け込みつつ地域のシンボルとなるようなら風車も悪くないなと思いますよ。

f:id:kamenarien:20210802181608j:plain

どこかのテーマパークかな

 けれど、どどんと並んで鳥の通り道をふさぐような風力発電機は、ナシで。

やっぱり山はどこまでも稜線であるのがいいです。緑の山。何が生きているのか計り知れない深みがある山。すごい力の風が吹き抜けることはわかっています。そのエネルギーを少し借りることができたらいいなぁとも思います。でも山が見せてくれる眺めを大きく変えてまで、エネルギーをとらなければいけないのでしょうか。

f:id:kamenarien:20210802182202j:plain

北アルプスの稜線。AC写真より。

 人の未来とエネルギーというテーマで語るべき大きな答えを私はまだつかめていないのが正直なところです。我が家もなんやかんや電気は使っているし、車のガソリンも使っています。冬は薪ストーブでエアコンはほぼ使わない暮らしですが、地球に負荷をかけていないとはとても言えません。みんな弱い立場です。

 それでも、警告音は聞こえます。耳鳴りのように響きます。山を削らないでほしい。未来に大きな老朽化したものを残さないでほしい。壊すことまで考慮しての建設でないのなら、それは見直すべきなのです。未来を思って林業をしてきた人々が守ってきた里山ですが、次世代につなぐことが難しくなってきて、山は見捨てられていくのかもしれません。それでも、建設しないという選択はできるはずです。今の苦労が楽にはならないので無理強いはできませんが、安易に建設に賛成することはないでほしいです。

 

 さて、どうしよう。本当にどうしよう。乗り越えることが多くてやんなっちゃう。