勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

サンクスギビングデーの丸焼き

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今日はアメリカではとても大事な、お正月のような日であるサンクスギビングデーです。毎年11月の第4木曜日がそれにあたっており、多くのアメリカの人は家族集まって七面鳥の丸焼きとパンプキンパイなどを食べて、子々孫々つながっていることの感謝を祝います。

 

具体的にどんなことを祝うのか、どんな風に過ごすのかはこちらのブログ記事に詳しいですので参考までに。

mikissh.com

 

日本で生まれ育った私も家族も、今までサンクスギビングデーを祝ったことも感じたこともなかったのですが、先日この日を祝うために鶏を探しているというアメリカ生活が長かった方から連絡を頂きました。20年ほどあちらで暮らしておられ、2年程前に日本に帰国してこられたのですが、この日のお祝いをしないと落ち着かないのもあり、この時期にまるごとの鶏を探しておられたとか。本来は七面鳥の丸焼きですが、手に入らない場合はチキンで代用しても構わないとのこと。亀成園は鶏解体体験はしておりますが、肉を売ることはしてませんが、そんな事情なので、一羽お譲りしました。クリスマスまでに〆る必要もあったので。

 

そこでふと思いました。確かに私は日本で生まれ育ちましたが、サンクスギビングデーのことは子供の頃から知っていました。アメリカ文化はなんかアンテナがあって、由来や習慣なども、スラスラ入ってきたのです。自分が子供の頃にお祝いの真似事をすることもありませんでしたが、なにせまあ母は多少欧米文化が好きなだけの普通の日本人ですから。でも父はハーフなんです、日米の。

 

日本で生まれ育った父にとって、アメリカは行ったこともなく血がつながっているだけで自分とは無関係にしておきたい存在でした。そこは本当に個人的な事情があります。けれど血はつながっているのです。私にも私の子供たちにも。

 

アメリカ合衆国初期の入植者たちが生きるか死ぬかの瀬戸際をなんとか生き延びたことを祝うのが、サンクスギビングデーです。となると、もしかして私にも無関係ではないのかもということに、今年になってようやく気付きました。祖父の先祖がいつ入植したかはわからないですが、英国から自由を求めて新大陸に渡った人々の末裔ではあるそうです。自由を求める。なんだか受け継がれているものですね。

 

平和を愛する教育を受けて育ってきた身には、アメリカの血はちょっと不要なものでした。めちゃくちゃ英語が得意なわけでもないし、つながりのある親族がいるわけでもない。むしろ今大好きな飯高町に先祖がいてつながりがあれば嬉しいなぁと思っていたくらいです。けれど確かにつながっていることに気付くと、ちょっと放っておけなくなりました。4分の1ですが、なんやかやいろいろあったからこそ、つないでもらってきたのでしょう。頭ではなく心でありがたいなぁと感謝することにしました。

 

だから今年はそんな気持ちを込めて、夕食に鶏を焼きます。もうゆっくりしている時間はないことは明らかですし、写真も残らないかもしれませんが、感謝を込めて。会うこともないだろうけど、遠い親戚の皆様も暖かくしてお祝いされていることを願います。

毎年できるかはわかりませんが、私なりにこれからも向き合っていきたいです。いままでなんだかアンテナはあったのだもの。感謝の機会に気付けて、今年はとても幸せです。鶏が居てくれたこともまた。まだまだいろいろつながっていきますね。

 

さあ、頑張って焼こうっと。誰か薪ストーブ付けてくれないかなぁ。