勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

いいことばかりでもないけれど

今週のお題「最近あったちょっといいこと」

 

なんとなく気になったお題投稿。大きないいことでなくて普段は気にも留めないようないいことについて、がテーマだそうです。

日常的に小さないいことばかりを集めている身にはなかなかの課題です。掘り起こせ!

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あ、あったあった。

ひとつめ

今年は特に夏がバタバタしていて草刈りができていないところがあります。

ボウボウに草を生やしていることは、田舎暮らしとしてはみっともなくて街道沿いでは許されないことなのですが、ここは奥まった場所なので、多分そんなに見つかりません。というわけでボウボウのままで残していると、、、

 

スズメがたくさんかくれんぼしてて可愛い!草むらからチュチュんちゅちゅんと飛び出してきます。また隠れます。丸くした跡が沢山あります。なんだかにぎやかです。

 

スズメがいる環境には他の野鳥も集まってくるというので、今年は野鳥がいつもより多いような気もします。とても嬉しい。あ、小さないいことでおさまらない。

 

ふたつめ

掃除の習慣がついてきた

 

最近こまめに掃き掃除をしています。畳の部屋を箒ではくのは、なんだか気分がいいです。もういろんなところからほこりが出ます出ます、出まくります。ほこりを取っていると運気もアップしてくるそうな。むふむふ。大きな幸せにつながっていきますなぁ。今までサボることが多くて申し訳なかった。

 

 

みっつめ

ぬくい服を引っ張り出した。

 

寒くなってきたのでようやく腰を上げて厚めの服を出しました。コートも出しました。

ぬくい服って着てみるとほわっとして幸せですね。柔らかい記事に包まれて、汗もかかないし、冬も幸せな季節です。

 

よっつめ

スマホの画面がきれいになった。

 

何故かわかりませんがいつの間にか画面にヒビが入り、長らくバキバキに割れたものを使っていましたが、思い切ってきれいなのに変えました。きれいなのに変えると写真なども鮮明に見えて嬉しいです。もうかなり嬉しいです。もう割らないようにします。

 

 

いつつめ

年賀状のデザインが決まった。

大好きなトラをババんと出しました。思い切って無駄を省くということができたので、ごちゃごちゃしがちな私には大きな前進。コツコツデザイン鍛えてきた甲斐があったかもしれません。発表は年始に。

 

年賀状の発注や一枚一枚書くのはこれからなのでこれは小さな幸せ

 

最近あったちょっといいとこは、こんなところですかね。いままでとは少し違った視点んで考える機会になりました。

 

それにしても、ほんの小さないいことを集めたはずですが、考えていくと思いの外ウキウキが溢れてしまいました。つくづく「しあわせは自分の心が決める」のだと実感します。

 

けれど最近聞いた話では、「いいことばかり起こる人生はない。いいこととよくないことは半々になっている」のだそうです。ポジティブシンキングには落とし穴があるそうなのです。

おかしい。いつもいいことが起きるのは何かよくないことの予兆であるのか。急に不安になったので、これを書くことになったのですね。

 

 

まあ今年は風力発電問題に振り回されていて、とてもよくないことと換算できるので、結局半々になっているのでしょうか。こんなに大きなことに振り回されるようになるほどに、いいことが多すぎるのでしょうか。

否定はできません。好きな場所で好きなように暮らしていると、いいことが多すぎます。元祖いいこと探しさんのポリアンナもびっくりです。でもかのポリアンナもそう恵まれた境遇でもなかったですし、悲劇にも遭遇したし、やっぱりバランスはとれているのかもしれませんね。印象が幸せだということは変わりないですが。

 

これからとんでもないことに振り回されないで生きていくためには、いいこと集めを控える必要があるのかもしれません。それとも小さな幸せをたくさん集めているから、とんでもないことにも左程動じず向き合うことができているのでしょうか。どちらもありそうです。

 

【結論】

幸せは自分の心が決めて、私は幸せ見つけが得意です。だからその分びっくりするようなことも起きますが、そんなもんと思って、気にせず幸せに生きてます。だって嫌なことは次にいいことがあったら忘れてしまえるのですから。絶体絶命から復活して生き続けていけばいいのですから。そしたらきっともっと強く在ることができます。どうせ生きていくのならどこまでも強くを目指していきたいです。それも多分そのうち下り坂になるのですが、そんなもんと思ったら余計に今は上がっていきたいです。どーんと下がることを覚悟して、下がっても多分心は自由なのですから。