移住促進活動なんかにぼちぼちと関わっていると
田舎暮らしへの憧れと同時に、漠然とした不安みたいなものは耳にすることがあります。
実際移住されてきた方の戸惑いなどに触れることも少なくありません。
田舎暮らしの不安って
・仕事場
・子供の学校や習い事
・病院や公共施設
といった大きな側面の他に
・周りの人とうまくやっていけるだろうか
・一年を通じて快適に過ごせるところだろうか
・意外とどんなところにお金がかかるのだろうか
などもあります。それぞれ掘り下げておきたいところですが、人それぞれだったり環境が違うので何とも言えないこともあったり、ケースバイケースでありますが、考えが深まったらまたまとめてみたいです。
そしてまた、些細なことのようですが
「何かもらったときのお返しをどうしたらいいのかわからない」という声もあります。田舎暮らしを始めて周りの人との関係性ができてくると、思っても見ないほどいただきものが回ることに戸惑う人は多いです。そして何か返さなくちゃいけないのに何も返すものがないと心苦しい思いをすることもあるのです。
私も最初の頃はなんだか罪悪感が溜まってきたこともありました。なにせたくさん回してくださるのです。子供がほぼいない地域に小さな子供を何人も連れてきたもので、服やらおもちゃやら、お菓子やらなんやらかんやら、どさっといただくことが多くて、ありがたいやらどうしようという気持ちもあるやら、正直困ったなぁとも思いました。
うちまで持って来てくれて、「押し付けてすまんな。要らんだら捨ててくれてええから」とみんな口をそろえておっしゃってくれますが、はいはい、捨てときまーすというわけにもいかないし、すごく有難いのもあり、もやんとしていたのが本音です。
またその頃は、それまで何度も引越しをしていた暮らしに区切りを付けて、もう定住するぞ、引越しのチャンスは少ないぞ、自分できちんと物の管理をしなくちゃいけないぞと思っていた頃でもあります。断捨離メルマガを購読していた時期でもあります。
モノを減らさなくちゃと暗示をかけているのに、どさっとくる。
しかもお返しするものが何もなくて、それもなんだかプレッシャーがかかってくる。
そんな私をすくい上げてくれたのは、ある篤農家さんでした。畑にどっさり作ってしまって「助けてんかぁ」と持って来てくれるのです。「いつもすいません。何をお返ししたらいいか」と漏らすと、「わしもこの歳まで生かしてもろて、ずいぶんええ思いさせてきてもろたから、徳を回そう思てな。ほんまにそう思とんねん」とうなづきうなづき伝えてくれました。
何かがパチッとハマった感触って時々あるものです。
いただいてすぐにお返しをしなくても、いただいたなぁ、有難いなぁと一旦受け止めると、また他の形で回したくなるものです。本人に直接返すとキャッチボールですが、巡り巡って将来別のどなたかに返してもいい。そう思うと、今無理に出さなくてもいいと気が楽になりました。
何年も経って、この地域にも新しい若い家族がやってきました。またいろいろな方が徳を回しています。私もお福分けなどさせてもらうこともありますが、もらい過ぎてこっちまでくることもあります。ここが回すチャンスかなと思っていたら、まだそうでもないようです。次の方、次の方、バトンはつながれていくのでしょう。
その間にも私のもらい分はまた溜まって、亀成園の卵でお返しをすることも増えましたが、返しきれてない分があることを知っています。けれどそんなに気にしなくなりました。「どうぞ」と差し出されたものに壁を作らず、「ありがとう」と受け取ることもまた、別の意味であげることなのです。心地よくいただくことであげた人がちょっといい気分になるのなら、にっこりもらうことに負い目を感じなくていいのです。そしてまた循環させていく機会があれば回していく。当たり前に流れに乗れるまでは上手でなくてもいいのです。
たくさん受け取ると、たくさん与える人に
たくさん与えているからたくさん受け取る人に
こういうのはもうなんだか、バランスの話なんだと合点がいくようにもなりました。
どうぞ。どうも。
もらっちゃってください。いただいちゃいます。
もらってもらえて嬉しいです。こちらも嬉しいです。
ちょうどいいバランスで双方よし、そしてまた次の流れで三方よしにつながっていけたらいいですね。
お返しで思い出す絵本が、そのまんまですがこちら。返し過ぎるとどうなるか。
与えまくりでどうなることかと思いきや、なんだかいい感じになった絵本がこちら。
与える人が成功しやすいと言われると、もらいっぱなしではいけないような気になって、与えなきゃ与えなきゃと思うのかもしれませんが、いただくことを自分に課していた偉人もいます。
お釈迦様ですね。何も持たず托鉢に出かけ、目の前の人が自分に与えるという機会を生み出してあげていたそうです。お金持ちはよく寄附をされますが、皆が皆「持てる者」だったなら寄附や布施の機会もないわけで、徳が積めません。そう思うと「持たざる者」って別に劣っているわけでもないかな、とも思うようになりました。
だいぶ混線しましたね。
とにかく、田舎暮らしのハードルはもっと下がっていいので、
「おすそわけは気にしなくていい」を今回は伝えておきたいです。
頂いたならその分また未来で返せばいい。
「迷惑かけちゃいけないからすぐに返さなきゃ」よりも
「受けた恩は次の世代へ」のほうが、子供に伝えることとしてもしっくりきませんか?
もう十分受け取っている。すぐに徳を積みたい方は、未利用魚を活用し、お裾分けにもよさそうなこんなサブスクリプションはいかがでしょう。流通ビジネスの一つとしてちょっと注目しています。