七夕までに田植えが終わればなんとかなるそうだ、と聞いたのはもう10年も前になると思います。七夕米ってブランドにわけもなく惹かれました。
現代では4月や5月始めが田植えで刈り取りは8月や9月のところが多いですが、水に入りたくなる頃に田植えして、寒くなるギリギリに刈り取りするほうが、私の暮らしとは合うような気がします。
実際のところ、この辺りの地域は少し寒いのもあってか、七夕では遅くて半夏生が目安と言われています。
半夏生(はんげしょう)って何?でしたが
“半夏生は、夏至から数えて11日目を指す。初夏は農家にとって繁忙期だ。通常、田植えは4~6月までの間に行われるが、昔は養蚕などと兼業することも多く、一連の作業を手際よくテキパキと終わらせるためには、スケジュール管理が重要で、そのための目安となる日を定めておく必要があった。半夏生といえば、誰に確認するまでもなく、その日までには田植えを終えておきなさい、という目安となっていたのだ。”
というわけでそのあたりを目安にしていたら、今年も無事終わりました。
今年の田植えも本当にいろいろのことがあった気がしますが、振り返るとなんだかとても楽しかったのです。
亀成園では自然農の田んぼというやり方をしていますが、田んぼのやり方って本当に百では下らないいろいろなやり方があります。その中でも初心者でもやりやすいやり方を4年前に一通り教えてもらって、自分達でも同じようにやってみて、その後借りている土地や自分が持っている道具、やってみたいことに合わせて少しずつやり方を変えて、今年の田んぼが作られていっています。
今年は稲刈り後にレンゲの種を撒き、マメ科による地力をつけた田んぼの土台を作り、トラクターによる代掻きをせずに、不耕起のまま植えるという方法でした。
なにそれー。いかにも手間暇かかって大変そうー、ですよね。
実際、手間暇かかって大変なのです、これ。
個人的には、代掻きをした田んぼに線を引いて、タッタッタッタっとリズムよく植えていくのが好きです。早乙女気分で何人かで並んで植える。ふと顔を上げれば随分進んでいて、きれいに張られた水の上を風がさぁーっと吹いて、気持ちよく。
ほどよく疲れた頃の休憩も、水を眺めながら、進み具合を感じながら。
うん、とても素敵な田んぼの時間ですね。
また、自分自身は機械の操作や調整などは苦手ですが、
大きな機械でだだだだーっと植えられていくのを見守るのも好きです。
ロボットが動いているのを見るような気持ちで、ガガガ―っとあっという間に終わるのを見ていると、すごいなぁっと感心します。
現代はそうやって専門に田んぼを引き受ける人がどんどん終わらせなければ水田を保つこと自体もできなくなっていくので、田んぼを受け持つ人とそれを支えるロボみたいな機械には尊敬しかないです。
私がおばあちゃんになる頃には、操作もメンテナンスもできなくない農耕機を手に入れているでしょうか。
とはいえ今年の現実は人力のみの不耕起田んぼです。
耕さずに草も生えたままの田んぼというか草地のようなところで
ロープを張って、植える場所だけ草を刈って
穴を開けて苗を一本一本植えていくというやり方は
本当に時間がかかって達成感につながりにくく、よくやるわぁと思います。
水を張った田んぼで人を集めて一気に進められたら、一日で終わるような広さなのに
不耕起で草刈りをして一本一本ていねいにだと、
何日かかったのでしょうか。空いている時間をかき集めて少しずつあきらめず。
でもね、やってみるとなんとかできちゃって、時間がかかるがゆえに想い入れも強くなるし、途中で川遊び休憩を挟んだりしながら、子供がいたりいなかったり、そんないろいろな時間を田んぼで過ごすことができました。
何日もあった作業日のうちの一日は、手伝いたいという後輩たちが来てくれてました。滅多に会うこともない若い子たちと我が子が一緒に泥の田んぼで手足を動かしている姿は、人生に格別な旨味を出すような出来事でした。
なにせ今年は苗の出来がとてもよかったのです。
「苗の出来で八割が決まる」という人もいるほど、苗作りは肝心な仕事です。
ひょろひょろ苗を心配しながら心細く植えていくのと、どっしりピンとした苗を信頼して植えていくのでは、心持も全然違います。
元々時間がかかると知っているからこそ、無理して焦らず作業を進める事ができました。
立派な苗がたくさんできたことがわかっていたから、良い苗から選んでいい気持ちで植えることができました。
ささっと終わらなくても、体力続かないときがあっても、雨が降ってもカンカン照りでも、いい気持で田植え仕事に何度も向き合えたことは、今年の大きな財産でした。
全部植えてからやっと、本格的に水を張ります。タプタプになったら陸生の草は枯れてきて、だいぶすっきりします。すぐに水生の草が生えてくるのでまだまだ草取りの必要がありますが、立派な苗は滅多なことでは負けないので、信頼して少し力を貸すくらいの気持ちでいることができます。
農作業をどれだけ楽しくできるかを、田んぼは全部感じています。
そしてそれが米のできにもつながってきます。
機械に弱いし体力も根性も足りない私ですが、今年の田んぼへの愛情はなんだか溢れているのです。
いろんな人がいて、いろんな土地があって、いろんな田んぼがあって、
そうやってずっと生きていくのだと、肚から感じるようになりました。
無理して自然農といういばらの道っぽい方法にこだわる必要もありません。でも田んぼのやり方は決まったものしかないと思いこむのはもったいないです。
土地のハンデがあっても、水不足になっても、燃料を手に入れるのが難しくなっても、
こんな田んぼならなんとかやっていけるのではないか。
そんな実践を積み重ねているつもりです。
自然農の古典である『わら一本の革命』からどれだけの人が影響を受け、どれだけの土地が実験場となってきたのでしょう。
先人が夢描いた理想にはまだまだ遠いかもしれませんが、自分に与えられた手足を使って食の糧を得る実験は、ここでも続けています。
全国でも自然農法を実践して、教えている人も結構沢山いらっしゃるので、私の出番などほぼないとは思うのですが、なぜそんなやり方をわざわざするのかを少しわかりやすく語ることは私の得意とすることです。まだまだ二転三転気づきも実践も深めていくのみですが、どこかつながる人がいれば、とても嬉しいことですね。