勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

緊急手術なんてことに!

有難くも忙しくさせてもらっているこの夏に

もう何年も病院に行くことなんてなかった私が

急な病に見入られてしまいました。

 

盲腸?帯状疱疹?脳溢血?心筋梗塞

どれもいつ降りかかってもおかしくなくはありますが、そんなにめちゃくちゃ深刻でもなくて

ブラキストン線、みたいな名前のある個所が急速に腫れてしまったのです。とても紛らわしいですね。

【ブラキストン線】北海道にしか生息しない動物が豊富なのは、見えない境界線があるから?! | FUNDO

 

膿がたまってパンパンになって、もう痛くてたまらなくて座るのも苦しくて。

病院苦手という言い訳ももはや通らず、観念して行きました。個人医院の婦人科に。というわけで患部は股間あたりでした。ああ、もう恥ずかしいったら。

ひとまず膿は出してもらって座れるようになって安心したのですが、数時間でまたすぐに溜まってしまいました。元気がいいのかなんなのか。

その時も、もっと大きな病院でないと根本的な治療はできないと言われたのですが、とにかく今痛いのを何とかして下さいと希望して、頑張って処置してくれました。だいぶ痛かったのですが、看護師さんに慰められて労わられて、人のありがたさをこれでもかと痛感しましたよ。

 

でもすぐに再発。これは再度観念しなくちゃいけませんでした。

先生は先回りして大きな病院の紹介状もしたためていて下さったので

次の日朝一で車を出してもらって、大きな病院へ。運転席に座るのも痛かったのですから。そこで診てもらったところ、緊急手術が最適との診断でした。

 

松阪市の広域連合内(松阪市多気町、大台町明和町大紀町)には大きな病院が3つあり、どれも松阪市街地にあるのですが、広域連携の枠組みに位置付けられており、住民の医療安心につなげられています。突然松阪広域定住のススメ。飯高町からはどこも1時間はかかる遠い施設ではありますが、大きな病院は住民の安心だけでなく、雇用場所としても半端ないことを今回ようやくわかりました。

 

なにせ、患部を切るということでいろいろな検査があって、ものすごく沢山の方に代わる代わるお世話になったのです。たらい回し感もありますが、それぞれの専門を効率よく回してくれているから早いのですね。そしてその分雇用があるのですね。受付に何人いらしたか。血液検査、MRI、レントゲン、麻酔科の問診、入院病棟まで案内してくれた方、担当の看護師さん。まだあったような。あ、コロナ判定も受けました。インフルエンザもかかったことがないので鼻に管を入れる初めての経験。一時間で結果が出ると言われて何も言われなかったので問題なかったのでしょう。

 

そしてMRIって何?CTとの違いの前にそんなの人生で関わるのかしら?の私でしたので、もうなんかこんがらがって困りましたが、日ごろのメンタルトレーニングのおかげで冷静でいられてよかったです。

AC写真よりフリー画像。お姉さん、めっちゃカメラ目線やん

言われるがままに産着のようなものに着替え、おなかに波状の流形板をずっしりとのせられ、耳栓用のイヤホンをつけてもらい、頭から機械の中にイン! 目を開けているとめっちゃ怖かったのでつぶりましたが、閉所恐怖症にはたまらないということは体感。予備知識もなかったのに実体験を得ました。恐るべし医療の発達。

 

ものすごい音が時々して、合間にリラックス音楽がうっすら聞こえ、またバリバリと音がして、その間世界にぽつねんとしていた15分。外側からはわからない患部の内部が正確にわかる画像診断ができて、どこからどこまで切って、どのくらいの処置をしたらいいのかわかる目的らしく、すっごいなぁと感心はしたものの、前日とのあまりの違いに呆然としました。

 

呆然が続いたおかげで移動中も痛みが軽くて済みました。そして午後、入院着に着替えて軽く説明を受けたらもう手術。ほんとにチャッチャとこなしていただけます。

全身麻酔だったのでいろいろ人がいらっしゃるなぁ、明るい中分娩態勢とか恥ずかしいけどこれも経験かなぁ、とかなるべく頭を空っぽにしている間に終了のゴングは鳴っていたようです。

 

 

トロトロと休息しているうちに事務手続きも済んで、家人には先にお客様対応のために帰ってもらっていたので、三重交通の市バスを乗り継いで遥々飯高まで戻りました。松阪駅前から1時間ちょっと。ここでもまたトロトロと眠っていました。

 

普段大きな病気どころか風邪も引かない身なので、正直お医者様への感謝は決して多い方ではないです。子供たちもほとんど熱も出さないのでかかりつけのお医者さんもおらず、地域の凄腕医師にときどきお世話になるくらい。だからつい、医療従事者さんたちへの想いは薄れがちですが、実のところ私の父も長らく医師をしておりました。精神科なのでどんな仕事をしていたのか、現場の様子も私は知りえなかったのですが、確かに誰かの役に立ってはいたのです。

 そう思うと、今回のことで非常事態を救ってくれた方々ばかりでなく、父に対しても深い感謝の念が沸いてきました。まだ存命ですが、お盆を前に父やその上の世代にまで想いを馳せて感涙することができたのは、この股間の腫れの賜物だったのです。どう転ぶかわからないのが生きていくという事ですね。ありがたいことにお盆もゲストを迎える仕事が続くので、地元にゆっくりお墓参りに行くことは叶いませんが、この機に足を運ばれる方、どうぞ大切なひと時にされて下さい。今回は訪れない方も想いを馳せる機会があることを願います。私ももう一度父を思い、母を思い(どちらも存命ですが)その上の上までじっくり感謝を巡らせたいです。