勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

月餅が食べたいな

9月9日の重陽節句は、現代の日本ではあまり重視されていないのですが、9が重なるこの日は中国ではめちゃくちゃ大事な日でした。旧暦ではちょうど菊の花盛りにあたっていたこともあり、菊にまつわる催しや食事があったようですね。無病息災と健康長寿を願う重陽節句は、今は敬老の日に置き換わっていったのでしょうか。

 

昔はいざ知らず現代では

一月の七草粥で新年に改めて無病息災を願い

三月のひな祭りで女の子の幸せを願い

五月の子供の日で男の子の成長を願い

七月の七夕祭りでは恋人を想い

ときているので

九月の重陽節句で長寿を願い、は地味だったのでしょうかね。

若さを好む日本人らしい移り変わりだなと考察しています。

 

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けれど私が暮らしていたことがある中国の天津では、この日こそが大事な日でした。

ひな祭りとか子供の日とか特になかったような。6/1が児童節でしたけど、重陽節句に比べるとなんだか地味でしたよ。子供は宝ではあるけれど、自分がより大事で権力などに素直な中国の風習ですね。

 

そして重陽節句には月餅という甘くて固めの重厚な焼き菓子を、お世話になっている人や知り合いに配りまくるという習慣があり、本当に何箱も回ってきて、明けても暮れても月餅に囲まれていた時期がありました。

いつも利用していたパン屋さんでも、レストランでもホテルでも、とにかくこの時期はどこでも月餅を作りまくり売りまくり配りまくりでした。お値段もピンからキリで、「今年はどこそこのが美味しい」とか事前にレポしてくれる人がいたり、苦手だからもらったものを横流しする人がいたり、月餅には短期間でいろいろな思惑が詰まっていた印象があります。

 

こちらでも売っているかなと思ったら、今はほんとに何でも取り寄せられるのですね。

 

基本的にヘビーなお菓子です。薄味健康食がデフォルトの身にはなかなか食べにくかったのですが、腹を括って食べ比べをしていたのは楽しい思い出です。

 

和菓子の芸術感たっぷりの奥深い世界に通じる、と言っても中華大陸のおおらかさをグッと詰め込んだ、月餅はそんなお菓子でした。

中身の餡もナツメ入りやクリなど多種類あり、焼き型の刻印もめでたく、

たまの朝ごはんに頂いたら、なんだかパワーが出そうです。

長寿への想いがここに詰まっていると考えると面白いですね。

 

最近なんの巡り合わせか、健康食にこだわる人の話を聞くことが増えてきました。

そういう人々にとっては、月餅は信じられない食べ物かもしれませんね。小麦粉と砂糖と油のかたまりやん、と卒倒されるかもしれません。

 

今は基本的な薬膳の考え方だけ整えて、何のタブーもなく気楽そのもので生きていますが、私もずいぶんとその分野(健康食)を学びもがき戦ってきた歴史があります。

あれこれ気遣いしながら日々の食を整えている話を、少し懐かしく聞いています。

やれ、あれは良くない。○○じゃなくて□□!このお店にはこれしかないから遠くまで行かなくちゃ。△△には健康によい☆☆が含まれているから意識しなくちゃ!★★は美味しいけど健康によくないかた制限!あー、もう毎日大変!

とまあ、家族の正しい食を守るために頑張ってきた土台があります。

結構とがっていたかもしれません。何故世の中は食べるとよくないもので溢れているのだろうと鎧をまとっていたかもしれません。それはそれで楽しかったですが。

 

今はもう何にも意識せずに日々あるもので食べたいものを流れるようにこしらえることをしているだけですが、もがいて意識的に積み重ねてきた経験がベースになっていることは間違いないです。あえて○○は良くないと意識しなくても、元から視界になければ取り入れられませんからね。鎧もいつの間にか溶けていたみたいで、楽になりました。そしてもがいていた頃より心身健康ですし、病気になっても気にしなくもなりました。

 

日々の営みの中で自然と無理をせずに健康を意識した食事を、意識せずに実行していると、不健康な食べ物も怖くないです。焦がれもせず恐れもせず。

月餅もどーんと来い!です。