勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

山は人の歴史なんだな

今週のお題「地元自慢」

ご褒美でしかない山案内をしてもらいました。飯高町で何百年も親方として林業に携わっているおうちのガッツある末裔に、想いのこもった山案内と環境教育を授けてもらいました。そしてめちゃくちゃわかりたかったことにガッテン合点というすごい体験をしました。山のことや樹木のことを何もわかっていないところから私なりにめちゃくちゃ勉強してきて時間を重ねてきたことに光をもらえたような。やっぱり飯高町ってすごいなと思っていたら、このお題です。よし!

 

地元は飯高町ではない私ですが、今のふるさとは飯高町であり、子どもたちのふるさとも飯高町であってほしい。4年前にもそんなことを短く書いていました。

kamenarien.hatenadiary.com

 改めての地元自慢ですが、もうとにかく 木の種類が多いこと が自慢してもしても足りないくらいのすごいことです。標高差が大きく地形のバリエーションがあり、人の歴史が深いことが多様な樹種との暮らしを実現化させてくれています。

 

 日本は国土面積の68%が森林というとにかく緑に恵まれた稀有な国ですが、森林率は農山村と都会では異なります。日々山に囲まれていることを実感して暮らしてる国民はそんなに多くありません。なにせ平均68%の森林率ですが、農村に限って言えば75%が森林です。そして人口は3%以下という不平等な世の中。さらにこの飯高町はなんと 94% が森林という町です。いつも囲まれてて幸せだなぁ、90%くらいあるかなぁと思っていたらもっとすごかったとは。

 町の面積の94%が山で森林で、更に大きな川も流れていて、わずかな場所に人々がのびのびと暮らしている。飯高町はそんな町です。少子過疎高齢地域で限界集落まで待ったなしが近い状態でありながらも、暮らす人々はいい距離感で心のゆとりもある人が多く、いいかんじのつながりを保って精神レベル高く生きていると感じられます。だからとても居心地のいい人たちの暮らしに入っていけたのです。

 

 森があればそれでもう幸せな人ばかりであれば、里山に人は殺到して、こんなに人口の偏りはないですよね。みんな喜んで山暮らししているはずです。現実はまだ都会へ憧れる人もいる(この流れももう長続きせずに時代は動いていますが)中、元々街の人であったからこそ森と共に在る幸せを伝える役目が私にあるのではないかと、実感や学びを通してふつふつと沸き起こる想いがあります。

 

生物多様性を未来へ

里山から里海へ

見たい風景を描いて創ろう

 

それぞれ講演会もできそうなネタですね。

 

 今回実際に山を歩いていろいろなことを教えてもらいましたが、掲げられたテーマとしてあったのは

「今ある山は先人たちが作ってきたもので、私たちはそれを見ている。そしてこれから未来に残していくのはどんな山がいいのか感じて考えてみよう」でした。

現在の飯高町はぐるりと囲まれた山のほとんどに杉・ヒノキが植林されており、収穫期を迎えています。それは戦後から高度経済成長期に、林業が支える豊かな国の未来を描いて植林されたものです。先人の想いとして、緑豊かな山は今の私たちにとって宝の山なのです。まずはその想いをずっしりと受け止めたいです。

 

 杉もヒノキもとても優秀な木材で、適地があり技術もあるから事業としてこれからも植え続けられていくのでしょう。でも現実は針葉樹の材は高く売れなくなっていることもあり、後継者不足、人手不足も相まって、せっかく育った木が伐り出されず山に置かれっぱなしになっているところも多いです。田畑ですと米を作り過ぎて余っているのと同じような現象です。未来を想って開墾して鍬をふるい、管理してきてくれたのにね。

 経済林としてとにかく杉・ヒノキの植林が始まる前の飯高の山は、もっと色とりどりだったそうです。そこら中にいろんな樹が植わっていたということです。『カハダヲタベル』にもあるように人の暮らしも薪や炭を使い、山からの恵みがもっと身近だったので、栃の木やカヤの木などもっともっと沢山植わっていたのでしょう。栗や柿なんかももっと。山はもっと身近だったのです。

kamenarien.hatenadiary.com

 

 現在、飯高町の山は精力的な林業家さんたちによって美しく保たれています。手入れされた山で、荒れているという事はないです。けれど若者が皆林業に憧れるかといればそうでもない。キツクて危険で、厳しい仕事と思う人が多いです。私自身も大きな木を手入れしたり運搬したりをできる気はしないわけですが、現場で話を聞いてみるとキツさ以上の面白さが本気で伝わってきました。

 山を創るという大きな仕事で、身体を酷使する作業もありますが、とにかく時間軸が大きいので、追われている感は他の仕事より少なそうです。それってまず精神的に良さそうな気がします。キツイこともある仕事だからこそ、一緒に山を創っている人同士の連帯感は強そうです。これもまた精神的に良さそうです。もちろん会社によるのですが、先人が植えた木を間近に感じて自分がまた手を入れて、可能性を育てていく仕事は器の大きな人にむいている仕事な気がして憧れますね。話を聞かせてくれた叶林業の方は都会に出た後、いろいろ考えてきて戻り、家業に入ったそうです。林業への愛と誇りを多くの子どもたちに伝えてくれています。小学校の子どもたちと一緒に歌う「木の歌」の作詞もしてくれた地域で人気のお姉さんですが、うちとは違う学校なので、木の歌がすぐに出てこないのが私には苦しいところ。山を歩きながら木の名前、歴史、裏話などポンポン出て来てほんとに心地よかったです。ありがとうございます。

 

案内してもらった山の写真にいいのがなかったけど、木でつながる飯高町の素敵な会社であるもくいちさんのブログにちょうどありました。スッと真っ直ぐ伸びた木は、人が手を入れたもの、でも山でしかない眺めですね。美しさと可能性を感じます。

叶林業さん山案内 – もくいち・マルゴ株式会社

 

 叶林業の目指す山は、経済林として成り立ちながら、多種多様な樹があり、樹を切ったその先にいる人々を考えて創る山なのだと。今回見せてもらったイチイガシという樹はとても固くてまっすぐで、昔から弓を作るのに使われてきたとか。修学旅行生に人気の木刀の材にもなり、槍にもなると聞けば、『精霊の守り人』ファンとしては興奮スイッチ入りますね。

 テーブルや椅子などの家具を作るのにも、野球のバットを作るのにも、バイオリンなどの楽器を作るのにもそれぞれに合った木材が要ります。誰かが何かを欲しい、作って欲しいとなったときの材料を育てておきたいという林業家の想いがあります。数十年先にちょうどその木が必要とされる機会があるかどうかはわからないけど、もし「こんな木をこう使いたい」という誰かの想いにマッチするための場作りが為されているとは、感服しました。

 葉っぱをこすると泡が出る木も、湿布のにおいがする木も、保存食を包むのに葉っぱが使われる木も、神話に出てくる木などもいろいろと植えられ、育てられています。実在する樹木図鑑、解説してくれる人付きというとても贅沢な学び場でした。

 

 日本は本当に木とのつながりが強い歴史があります。神話などの記述に触れている家具屋さんのブログ記事も自分の見返し用に貼り付けておきますね。

古代から現代における木の文化と使用方法|オーダー家具「家具蔵(カグラ)」 [2017年08月04日]

 

 山の学びはまだこれからも続きます。私がこれからどう林業飯高町と関わっていくのかも少しずつクリアになっていきそうです。

 貼り付けるところがなかったけれど、林業について前向きな人材育成サイトがありましたので、これも備忘録に。子供たち憧れの職業は年々変わっていっているのだから、林業や農業、漁業が入る可能性もありますね。猟師だって養鶏だって、本気の大人に出会って夢見る子どもたちの未来があります。亀成園の裏山はどうなっていくかな。いい意味で頭がこんがらがっている楽しい時代です。それもこれも飯高町の豊かな樹木とそれを取り巻く人々のおかげさまです。

www.ringyou.net