「何にもないことがどれだけ平和で幸せなことか、人はなかなか気付かない」
ということを結構よく聞くのです。
華やかでもなく刺激的でもなく穏やかで不安のない状態。
ほとんど許されて、お互い好きなことをしていて心地よい状態。
お正月って幸せなんだなぁと思って始まる一年です。
氏神様参拝は夜のうちに。甘酒をありがたく頂きました。
みんなが寝ているうちに愛犬と集落を見渡せる展望台へ。
家族もゲストも寛げる場所としてじっくり育てていく約束を。
お年玉とお雑煮とおせち料理。
お餅は年末のうちについておいたもの。
おせちは大みそかに整えたもの。
あるもので薄味でなんとなくそろえただけでも、ないと落ち着かないからこれもまた安心材料になりますね。
花札やかるた、トランプで遊ぶ子どもたちの声を聞きながらうとうとしていた。
めっちゃ読書タイムって決めていたけど読めずにうとうともなかなかない時間。
とろけそうな怠惰を沢山味わっていた。
カウントダウンに出かけるとか、人がごった返す参拝に出向くとか、ホテルで豪華おせちビュッフェとか、そんな刺激的でいかにもおめでたいお正月を過ごしたこともあるのです。初日の出とか冬山での年越しもいいなぁと憧れもあるのです。
でもなんだかのんびりと許されて薄く過ごすのが合っているような気がします。
おせち料理を自分で作る人はずいぶん少なくなっているようです。私もこだわりがあるわけじゃなし、きちんと料理するって本当は別に好きでもなくて、なんでもいいかなとも思います。冷たいもの食べて身体にいいのだろうかとの疑問もありますし。
でも、なんだか省くと落ち着かないんですよね。
黒豆(豆に働く)、きんとん(金運)、伊達巻(知恵をつける)、かまぼこ(紅白がめでたい)、なます(家庭円満)、お煮しめ(家庭円満)くらいに絞ったら、疲弊せず用意できるようになったので、まだ続けられそうです。長寿祈願とか華やかな感じも抜けてますが、まあ共に長生きしていくでしょう。
お正月に御馳走を食べるのは世界の他の国でも行われているようで、「新年に粗末なものを食べるとその年ずっと豊かに暮らせない」との考えからだとか。御馳走だぁって満足して過ごしたことが一年続いていくのなら、節目を整えておく価値はありますね。
参考HPはこちら。なんだか充実情報でした。
日本と全然違ってびっくり!世界の正月料理! | 株式会社アミナコレクション
写真がきれいなのはここ。餃子食べたくなります。
例が豊富なのはここかな。豚とかブドウとか、やっぱり違って面白いです。
なんだかんだ食の話は多いし、毎日マメにご飯作っておるのですが、実はそんなに食べることにこだわってもいないし、食の話ばかりはしたくないというなんだかぐちゃっとした気持ちを見透かされたような本がありました。
表紙からして、素敵な食のエッセイかなと思っていたら、「真面目に食事をしたくないのに、巻き込まれて食べさせられてしまうモヤモヤを抱えているサラリーマンの日々」を題材にした重くもないけど軽くもない小説でした。
「手作り品やきちんと考えられたものにみんな有難みを感じるのが当たり前」であることにささやかながら反発する主人公の肩身の狭さやドロッとした想いに、共感の手前の感覚を抱きました。読後感がいいわけでもないし、ハピエンでもないので、読んでよかったのかなぁという疑問もありますが、「正しい食は正義ということへの抵抗」を教えられることってあまりなかったので印象は強いです。こんなのが書けるなんて、流石だなぁと改めて物書き人への尊敬を深めたので記録しておきます。
なんやかんやと食には助けられているのです。
卵があって、畑の野菜があって、ジビエに恵まれた暮らしは築き上げてきたものに他ありません。それはもうありがたく受け止めて、地元のお米やお味噌なんかもありがたく味わいながら、必要以上に持ち上げないのが私のスタイルです。
そんなかんじでゆるく時間の過ぎた、多分とても幸せなお正月。
うん、こんなゆるい日常ってやっぱり書き応えないですね。
物書きにはある程度、いやかなりの哀しみや苦悩が必要だというのもよくわかります。
本音を漏らせば書き続けていくために強いテーマや刺激がほしいけど、満たされた時代もあるってことを覚えておくための元旦日記でした。この安心をベースに、めいっぱい嘆いたりもがいたりできるかなぁ。
世界的にも縁起のいい豆、を貼り付けておきますね。