勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

まさか娘が格闘家だなんて

実は私は、昔から格闘技に憧れがありました。剣道、柔道、空手、拳法、ボクシング、ムエタイなどなど、和風から異国風までいろいろな戦う方法に憧れて、たくさん漫画(主にボクシング)を読んできました。うん、読んでいただけで実践は怖すぎて飛び込めず、もやしっ子のまま今まで生きてきましたのですが。

 

その母の無念と憧れを受け、子どもたちは飯高町に来てしばらくしてから、週一回柔道を習っています。たまたま一番近くで頻度も少ない柔道クラブがあったからで、場所が違えば空手や拳法だったのかもしれません。でも実を言うと私は数ある格闘技の中で柔道に一番親しみがあったのです。幼馴染がずっとがんばっていたというだけの理由ですが、親しみなんてそれで十分です。

 

正直なところ、試合を見ても何が行われているのかよくわからないような低レベルの母です。柔道の試合って一つの体育館(武道場)で同時に3試合くらい行われて、次々人が入れ替わっていくので、選手も指導者も応援も人がすし詰めなのが通常です。人混み苦手な身としては引いてしまうところもあり、「どんどん強くなってがんがん試合で結果を出せ」とまで熱血にはなれませんでした。感染症予防のためここ数年は試合もほぼなかったことも安心するくらい、いい加減な保護者です。スポーツって本気の子は週4、5で練習することもザラなのに、週1ではまあ素人に毛が生えたくらいだなともわかります。そんなもんでも真面目でマイペースな娘は努力を重ね、なんと先日、黒帯の昇段審査を受けたのです。うちに黒帯が来たのです。

夢かうつつか、投げられてみたらわかるかな

まさかこの私の娘が黒帯所持者!

ただでさえトビタカの上出来な娘がまた憧れ要素を身に付けて、怖いものなしになっております。

優しくて強い、賢い、気が利く、なんだか大きな存在です。

 

黒帯獲得には中学生になってから、段階がありました。

県によっても違うようですが、今年度まで三重県ではまず1級に上がるために礼儀作法などのレクチャーがあり、その後大体毎月初めにある試合に参加して、10点分溜めていきます。

勝てば1点、その後も続けて試合ができるので、すんなり勝ってすぐに10点溜まるツワモノもおります。見てて気持ちいいくらいのごぼう抜き。まあそんな子はあっさり抜けていき、残った子たちで何度も勝ったり負けたり引き分けもあって、あきらめずに溜めていきます。うちの子はなかなかエンジンかからずコツコツ溜めるしかできませんでした。参加したけど1度も勝てずに負けばかりだと、0.5点です。引き分けがあると1点で、チャンスは月1回あるかないかです。そんな調子では10点溜めるのけっこう大変だなぁと根性なしの母はもういいんとちゃうかと諦めそうになりました。でも先生の言葉を信じて励まされて頑張ったのは娘です。何か月もなかなか勝てなかったのに、昨年の夏から急に勝ち越すようになり、あれっという間に10点越えしちゃったのです。

昇段審査のチャンスは年2回だけなので、2月にやっと、型の審査を受けて、晴れての黒帯!

永かったけど、やっぱり夢みたいな我が家の黒帯です。

 

中学校で部活があるわけでもなく、高校にもあまり柔道部はなく、この先どこまで磨かれていくのかはわかりません。けれどとりあえず目標だった黒帯が現実となり、一生涯に効く自信もついたのではないでしょうか。そりゃもちろん、上を目指せば二段、三段とずっとあり、人によっては空手、剣道、合わせて七段とかもあり得ます。そういえば娘が低学年の頃の夢は「おまわりさん」で、その頃の駐在さんは黒帯より格上の紅白帯所持者でした。時々練習にも顔を出してくれており、子供たちを見守りながら応援してくれていました。

 

本当にたくさんの方にお世話になって、子供たちは成長しています。護身術を身に付けたところで世の中絶対安全ではないのですが、堂々と生きていってほしいです。そうそう、黒帯の由来をひとつ聞きました。胴着の帯は洗わないものらしいのですが、元々白かった帯が真っ黒になる頃に、ようやく一人前になったからなのだとか。今はピカピカの黒帯もこれから洗わずクタクタになるのかな。週の真ん中に送り迎えするだけの柔道との付き合いでしたが、こうなればもっと学びたくなります。道とつく競技の気高い精神性に触れ、澄んだ空気感をまとっていきたいですね。

師範の言葉 | 講道館