勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

よさこい古今東西

GWの連休ほぼ終わりの日に飯高町で開催された山里マルシェに参加する機会がありました。

マルシェなんておしゃれな響きのイベントに縁があるようになるとはかつては思いもよらなかったのですが、対面販売に力を入れようと決めたのでガンガン出ていきますよ。

 

売ったものは亀成園の卵に自著の残り、娘と共同で作った手裏剣アクセサリーとミニ糸掛けワークショップでした。売れたのはほぼ卵だけという、マルシェに参戦した店としては大きな成功はなかったのですが、その分いろいろ発見や教訓はありました。やはり店名や商品を事前に知られていることが大切で、場当たりで買ってもらえるのは飲食が圧倒的ということや、客層を把握しておくことが重要ということなど、これからに活かしていけますよ。積み上げ、積み上げです。

目指すは総踊りがよさこいらしさ

さてマルシェでの学びとは別に、その日は久しぶりによさこいダンスの人々を近くに感じる日になりました。チラシには間に合わなかったのですが、三重県内のよさこいチーム8つが続々集まれることになり、マルシェ会場の一部をステージに仕切って、音響は地元協議会が協力してくれたらしく、草地でのステージでした。心配されていた雨もマルシェの間は降らずに、10時半から14時半まで、途中お昼休憩1時間を挟みながら前後1時間半ずつの3時間、ずっと誰かが踊っていました。

亀成園の出店場所は奥のステージから極近い位置なので、必然的にほとんど目に入ることになります。時々ブース前に観戦の人が溜まることもあり、もうよさこいの日なんだなと腹をくくることになりましたよ。

私は基本的に音楽は好きだけど、音源の爆音は苦手なほうです。またステージは演者のレベルはどうあれ、それぞれにとっての完成度の高いものを鑑賞するのが好きです。保育園児であっても社会人であっても、そのステージにむけて一所懸命練習したものを応援するのはかなり好きです。

その世界観でいくと、よさこいダンスってあまり相性がよくはないのです。爆音で延々続くのもだし、演者のみなさんが鑑賞しているひとや他チームとすぐ一緒に踊りたがる傾向が強いので、集中して見ることができません。チームも老若男女で構成されていて、キレのある人も小さな子供も同じ動きをしていると、なんというかまとまりはない。いろんなチームが誘い合って踊るようになると、衣装もバラバラで動きの習得度もかなりバラバラになって、どこを見ていいのかわからなくなります。練習してきたダンスにいろんなもの混ぜちゃっていいの、とプライドが傷付いた気になります。

 

けれど、そんなのが好き人たちもいるのですね。

自分たちだけが楽しく踊ることで終わるのではなく、見ている人も一緒に踊ったらもっと楽しいと感じるのが当たり前で、リードはしながら「一緒に踊ろう」の輪を広げていくことが根底にある。

もともとよさこい高知県から広がって、徳島の阿波踊りよりもにぎやかに鳴子を使って商店街で踊るのがスタートです。一緒に楽しく踊ろうという精神が根っこにあるからこそ、全国に仲間を増やし、形を変えながら脈々と祭の盛り上げとしてつながってきたのでしょう。

参考にした歴史はこちらです。

よさこい祭り - よさこい祭りの歴史

 

そういえば、中学校の同級生も何人もよさこいにハマっていた子たちがいて、20代になって何度か応援で見に行ったことがありました。かつてのクラスメイトが何人もあちこちで踊っているのは単純に応援したくなりましたよ。パレードのときもステージのときもあり、20歳頃なので大勢の中心となって踊っていてすごいなぁと見ていましたが、「さぁみなさんもご一緒に」の雰囲気になって困った記憶もあります。私は応援で見ているのであって、一緒に踊る気はないのだが、と。また別の友達にミュージカルの観劇に誘われて行った時も、舞台の最後は皆さんも参加してくださいの雰囲気になって、違和感を感じたこともあります。

吹奏楽が根っこにある私は、楽器と共に日々努力して頑張って練習しているのを本番と居て聞いてもらうのが大事です。時々吹奏楽関係者が特別に合同で演奏するのはいいのですが、それも優れた指揮があって、同じ楽譜でというのが前提なので、飛び込みで参加はプロのなせる業という認識があります。

 

けれど、気軽に参加したい人もいる。

なんとなく見て身体が動いてきたら一緒に踊ってみたい人もいる。

同じ空間にいるのならもうみんなで盛り上がろう!というのがたまらなく好きな人もたくさんいる。上手な人もそれなりの人も、厳しくなく楽しめる場というのは求められているのでしょう。

「踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿保なら踊らにゃ損損♪」

阿波踊りの頃から言われているように、そういう感覚の人もたくさんいるんだなぁと感じたのが私の大きな学びでした。


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コロナ自粛という3年間の期間は、一緒に踊りたい人たちにとってはもうたまらなくもどかしい期間だったのでしょう。なんとか続けてきた人たちが久しぶりに楽しく踊る機会が、飯高町であったことが私には嬉しいことです。そして久しぶりに昔の友達を思い出す機会にもなりました。あの頃はノッテあげきらずにごめんね。

もしかしてこれから先、子供たちがよさこい踊りたいとなっても、「なんなん、総踊りって意味わからんわ」なんて言わずに受け止めるだけの器広げもできました。

 

マルシェに一日居ると決めたからこそ、よさこいについていろんなことを感じることができました。爆音によって寄ってきた地域の人とちょこちょこ話すこともできました。

いつだって感覚を壊して作り直すことはできますね。

大きな自然に囲まれて、爆音で踊ることが許される大きな飯高町に、いろんな人が集まってきたら楽しいなぁと、未来につながっていきます。