勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

教育者に求められること、増えるばかりでいいのか

ちょっとモヤっとしたことを考えて心をまとめる回です。

考えは広がるかもしれないし、変わるかもしれなくて、どう転がっていくのかはわかりませんが、温かいまま感じたことをまとめておきたい自己中な備忘録です。

 

PTA役員の関係で、市内の教員と保護者(各小中学校1名ずつ程)がひとところに集まって、講演を聞いてから話し合いをするという機会に参加してきました。

この回は以前から毎年秋に行われており、これまでこの催しのおかげでLGBTQ+についてや魔法の言葉かけについてや大人の挑戦についてなど学ぶ機会がありました。

現代は、学びたいと思えばいくらでも動画や人のつながりなどで機会は作っていけるのですが、ぼんやりとしていたらなかなか学ぶ機会というのは見つからないので、PTA役員としての役割であっても、自分では選ばないようなテーマの講演に参加するのは私にとっては良い機会になっていました。

 

そして今年もまた、「子どものトラウマに対して教育の在り方」をテーマに講演を聴き、グループに振り分けられた方々と話をするという時間がありました。有意義ではあったわけなのですが、どうにもやるせない想いが残ってしまいました。

 

お話の内容として

トラウマを抱えている子どもたちがいて

そのトラウマは災害記憶や恐怖体験、いじめや激しい叱責、更に虐待などから引き起こされ、

日常でもトラウマを思い起こしてしまうような出来事があると(他の誰かが叱責されているとか誰かが背後に立つとか特定のものを見てしまうとか)

再トラウマがおこって、戦うか逃げるか固まるか しかできなくなってしまうのだと。

 

その戦う、逃げる、固まるは英語でFight、Flight、Freeze の頭文字をとって「3つのF」と呼ばれる、本能的な防御の行動になります。

トラウマが再現されてあまりにも怖いので、他者に攻撃をしたり、その場から逃げたり、全く反応しなくなったりという行動になり、それが学校や社会でおこると、トラウマを理解しない他者からすると困った行動になります。

やけに反抗的な態度をしてくる子や話を聞かずにその場からいなくなる子、何を聞いても無反応の子などにはどの教員も心当たりがあるようです。

 

その防御反応による行動が発達障害の行動と重なる部分も多いので、トラウマを抱える子に対してどうすればいいのかの理解がないと、混同してしまい、ますます子どもとのコミュニケーションが難しくなってしまうのだと。

 

トラウマインフォームドケアについての概要や、詳細冊子のダウンロードはここがいいのかな。

ncssp.osaka-kyoiku.ac.jp

PDFでのガイダンスはここからです↓

https://traumalens.jp/wp-content/uploads/2021/05/210331_tic_guidance.pdf

 

多動性障害の子への向き合き方と、トラウマを抱えた子への関わり方は同一ではなく、理解してケアの仕方を学ぶことで、少しでも子どもたちがトラウマを克服できて安心して育っていくことにつながるので、教育に関わる人は心掛けておいて下さいという、ざっくりそんな話でした。

 

日々子どもたちとの向き合い方や関わり方に尽力されている先生方は、非常に熱心に話を聞いておられ、意見交換会でもこの話はタイムリーで、現場で実践していきたいとの声がありました。

だから有意義、でありながら、ちょっと待てとの想いも湧いてきます。

なるほど、トラウマを抱えたまま育っていく子どもは多くいて、それが教育現場の厳し指導によってより防御行動になっていく。先生が適切に理解して関わり方を考えて変えていくことで、子どもは少しでも大人を信じられるようになって、だんだんと困った行動も減っていくこともあるので、トラウマインフォームドケアを心掛けることは有効であるということなのです。

 

確かにトラウマを抱えたまま誰も信じられずにビクビクして育っていくのはそれはそれは苦しいことです。一人でも信じられる人がいれば、安心できる場所があれば、また人を信じて前を向いて素敵な人生が歩めることにつながっていく。

確かにそうですし、一人でも多くの子どもがトラウマに囚われずに安心して生きていって欲しいとは心から思います。トラウマに脅かされる子に罪はなく、人のたくましさも脳は傷つかないことも信じて、救いがあってほしいと願わずにはいられません。

 

だがしかし、です。

トラウマのケアってそれが当たり前に学校の先生の役割なのか、という圧倒的な疑問が起こります。

トラウマがあることを理解するようにするとか、無闇に声を荒げないとか、攻撃的な子や逃げる子・固まる子に遭遇しても、必要以上に傷つかないように自分を保つとかならよくわかるし、大切なことだと思います。

ケアが必要なんだなと判断して、教育に求めることを下げるまでなら先生のために必要な行動かもしれません。

そこから更に、トラウマに配慮して、再トラウマが起こらないように回復に導いていく流れを担うまで、そこまで先生はしなくてはいけないのか、ということへの疑問です。

辛い経験を抱えた子を見捨てるわけではありませんが、ケアに割くエネルギーは学校の先生からでなければいけないわけでもないでしょう、と声を挙げたくなりました。

 

先生は、日々の授業を組み立てて、責任もって受け持ちの生徒皆(選んだわけではない)に教えて、学力向上を助けるお仕事です。

子どもと接する時間が長いことから、一人一人と信頼関係を築くことができたら授業もスムーズに進行するだろうし、先生が救いとなる子もいるのでしょう。

そんな心の絆をこそ求めがちな先生もいるのでしょう。

 

でもしかし、生徒全員がトラウマ持ちなわけではありません。

トラウマに限らず配慮が必要と訴えるケースは増える一方ですが

そんな配慮ばかりに先生が忙殺されてしまって、基礎教育はどうなるのという素朴な疑問がつきまといます。

 

講演の後半が少しばかし、先生たちへの要望という他責思考になってしまったので、

さらに負荷をかけられた気になる先生がいないことを願いたいです。

トラウマを抱える子どもに気付いたら、専門家に相談することをすすめてください、ならとてもよかったですのに。もう専門家では足りないくらいケアが必要な子がいるから、先に先生の役割を増やすことになってしまうのでしょうか。

それはやっぱり、モヤモヤします。

 

それとは別に、もう少し知っておきたいなとも思って、自分で学ぶことには何の疑問もないのですけどね。配慮できる人がだんだん増えていくのは大事なことだとわかります。でもそれは、なんかもう別の仕事だよねって。そんな感想になりました。