生涯に多くて2度の経験となる、実親との永遠の別れがありました。
母が入院しているタイミングで一人暮らしをしていた父が、次の日は病院に予約もしていて介護タクシーの迎えが来たところ、ソファに倒れているところを発見されて発覚しました。
元々病弱で、不摂生で糖尿病もあり、通院は欠かせなかったものの、母のことで今月初めに会ったときは頭もしっかりしていました。1年ほど前からデイサービスは利用していましたが、脳も身体も重度の介護を必要とすることもなく、静かに一つの生涯を終えました。

私も姉も20年以上家を離れて久しく、盆暮正月に集まることもないままでしたが、そんな事態なのでどちらも駆け付けて、しゃんしゃんと葬儀を済ましてきました。
今時ですし、大きな葬儀はせず、一番小さなお見送りにしました。
仕事ももう辞めており、ひっそりと暮らしていた父なので、駆け付けてもらわなければいけない人は特にいませんでした。一人っ子でしたし近しい親族ももうおりません。
母の親族には別の日に顔見せに来て頂き、そんな時間も設けられて、十分でした。
夏の盛り、父の好んだ百日紅が綺麗に咲いている季節なので、棺に入れる花を持って行くことができました。好きな花を一つだけ知っていたのです。
四人の孫らを皆連れて行くこともできたのですが、二人は今月初めのお見舞い時に会っていましたし、タイミングのあった長男だけを連れての見送りとしました。移動は身軽でいたかったし、かしましく盛り上がってもいけませんのでね。
父はどうにも女系家族で、自身は一人息子ですが、シングルマザーの祖母は姉妹だし、結婚した母も3姉妹、私たち子供も姉妹で、孫は5人中4人が女の子です。女性蔑視をする人でもありませんでしたが、うちの3人目で男の子が産まれた時はなんだかやっぱり嬉しかったみたいです。寡黙ですし交流も少なかったので熱く語られたこともないのですけどね。
髪質も雰囲気もなんとなく父と似たところのある長男は、そんなわけで孫代表として適切でした。ついて来てくれてありがとう。
葬儀屋さんでお焼香をして、出棺し、読経の後に火葬して骨拾い
骨壷はひとまず母が保管して、故郷の墓に入れるのか、自宅近くで埋葬するのか、それともまた別の選択肢があるのか、まだ決まっていません。
母が退院して落ち着いてから、いろいろなことがゆっくり進んでいくのでしょう。
何せ急なお別れでした。
シゴできの姉が葬儀も自宅清掃も手配してくれ、私にも母にも動きを指示してくれたから乗り切ることができました。しっかり者の長女が育つって百人力ですね。
姉と父の思い出を語ってみました。
ハーフで病弱で家を背負って夢も叶わずに哀切の運命であったけれど、本人は自分の人生を受け入れてわりと満足していた静かな賢い人でした。
母に文句ばかり言われながらも、ずっと頼りにして大切にして生きてきました。
海が好きだったので、私たちが小さな頃の旅行は年一度、お盆休みの頃の海水浴でした。
遊園地にも連れて行ってくれました。宝塚ファミリーランドがあった頃の話です。
外食が好きで、良いものを食べさせてもらっていましたね。
投資はせずに浪費専門だったのに、どうして暮らせていけたのか不思議なくらいです。
姉妹に差をつけることはなく平等に接していてくれました。そこは母と大きく違うところです。親しみのある父では決してなかったし、思春期の頃はひどく反抗していましたが、大人になってからはありがたいなぁとそっと思うことが多くなりました。
孫である私の息子が将棋が強くて、中学では野球部に入ったことを、静かに嬉しそうに聞いてくれました。本当は息子と将棋やキャッチボールがしたかったであろう父に、一世代とんで親孝行ができた気がしています。
私が父にもらった一番大きなものは、なかなかかぶることのない名前です。
おかげで清い大きな心で生きようといつも自分を律することができています。
できているかな?ちょっとわかんないですが、そうあろうとはいつもいつもね。
没後、まだ1週間
慌ただしさを乗り越えて、これから少しずつ思い出すのでしょう。
多分、完璧なタイミングでのお別れとなったのです。
夏の間はまだ百日紅を見ながら、父からもらったものに想いを馳せて、恥ずかしくないようにこれからを生きていくのでしょう。
