時間の使い方を省みる
この3週間、私は空き時間を小さな鶏に費やしています。9月になかなか書くのが進まなかったのは、ひたすらそのことと結びついています。
3週間前、ひょんなご縁でアローカナという鶏を引き取ることになりました。
現在うち(亀成園)ではゴトウもみじと烏骨鶏という2種類の鶏を、合計100羽目安に飼育していて
同じ鶏でも個体差だけでなく種類によってもこんな違いがあるんだよということをふれあい体験してもらえます。
もう1種類増やすならアローカナがいいなと以前よりうっすら願っていたところ急な話で迷いもありながらも、前進することにしました。チャンスの前髪、掴んで良いのかどうなのか。とりあえず面白そうな方向へ。

とそんなわけで説明にもなっていないながらアローカナを大小・雌雄混合で10数羽引き取りに行き、声かけて3軒の鶏仲間にもらって頂き、うちに8羽残っています。
若鶏ばかりで雌雄混合なので、これから増やしたり繋いだりしていけるかもしれません。
烏骨鶏よりは産卵率も高く、薄青緑色の卵を産む不思議な鶏とのお付き合い、心地よく始めていけたら良いな、という舵取りをしたのです。
鶏を飼うって課題が結構多くてね
ところが鶏の群れというのはなかなか厄介なもので
1羽だけやたらと小さくて群れに入れられないやつがいるのです。
産まれるタイミングが遅かった数羽がいて、他の個体はうまく育たず1羽になり、群れに入れると攻撃を受けてしまうという状況でした。
引き取る時に既に悩みの種になりそうなのを放っておけずに持ち帰ってしまいました。
案の定、群れには入れそうにないので、庭先養鶏にして、外遊びをさせる役割を引き受けています。
他の鶏はすぐに園主に任せているのに、その1羽だけ私の責任です。
いわゆるヒヨコちゃんよりはもう少し大きくなりながら、一人前の鶏よりはうんと小さくてピヨピヨ鳴いていて、やたらと人懐っこいこの1羽は、とても可愛いのです。
外に出すとしばらく草や土をつついて、虫を捕まえたりするのですが、事あるごとに腕や肩に乗ってきます。
外に世界を広げながらも寄り添いたい気持ちの方が強く、少しずつ大きくなって力もついてくるけど
甘え上手な小さな命は10年ぶりに赤ちゃんを思い出すのにちょうどいい存在です。
ひよこと赤子が重なって
鶏は糞尿のしつけができないので、室内で放し飼いにすることはできません。
猫もいるうちでは自由にさせてやれるのは庭先で私が見てやれる時だけです。
だから限られたふれあいではあるのですが、毎日朝夕と、犬の散歩の前後にヒヨコのそばにいる時間というものを設けて、あたたかく見守っています。
これが意外とトータルで時間を取られることになっているのです。

一度外に出すとしばらくはその時間です。
草むしりはできるけど、畑に連れて行くのはちょっと危険
ちょうど豆の選別や芋の皮剥きなんていうザ・田舎のおばあちゃんみたいな縁側作業があれば良いのですが、普段からそんなことしていないのに急に降ってくるはずもなく
メール返信やSNS投稿くらいはしながら、あまり目を離すわけにもいかず(気を抜けば猫が忍び寄ってきてハラハラしますしね)宙ぶらりんに過ごしながら見守っています。
最近は手に持っているスマホをつついてくるようになり、自分への注目を必要としています。
うーん、これめっちゃ子育てですね。
なるべく肌を離さずそばにいる
小さな冒険を応援しながらも危険からはしっかり守る
大きくなれよと願いながら、小さな姿を愛おしむ
その間、自分は止まっているからちょっと焦りが出ることもある
そうやって子育てをしてきた懐かしい記憶が引き出されてきました。
高校生の長女誕生から、末娘が3歳になるくらいまでびっしり10年間、私の時間とエネルギーのほとんどは子供の見守りに費やされてきました。
もちろん手助けはあって息抜きもできたし、きちきちのワンオペでもなかったけれど、常に乳幼児がそばにいたのです。だから食べて寝て動いてという、生きる上での基本的なことばかりを繰り返していました。濃密に小さな子供たちと過ごしていました。
しばらくは時間を捧げよう
アローカナのヒヨコが大きくなるのは多分もうあっという間です。
それでも今まで3週間とこれからひと月くらいは日々の時間を捧げるのでしょう。ちょうど外で過ごす気持ちの良い季節でもありますしね。
子育てをしながら季節の移り変わりに目を向けるのもまた懐かしい。ひょんなことで引き受けることになった小さな命から、わりと多くを受け取っています。

どんだけ懐いてるねん、うちの子w
今日はこの子を膝に乗せて読み聞かせの練習もしましたよ。うちの子らしい過ごし方ですw
ちなみにアローカナについて、参考ページ
大人になった姿と卵のこと、オチもついて読みやすいです。
