勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

罠猟師になってすぐに

猟師の自覚を育てる今

今年のチャレンジのひとつであった狩猟免許の取得が叶いまして

ついこの間、私も猟師の端くれとなりました。

地域の猟友会に入会できるタイミングと試験後の免許取得のタイミングがズレたため

実際に猟師としての登録や実働はまだ先になりますが、しばらくは亀成園園主の補佐をしながら、猟師としての自覚を育てていけたら良いなとスロースタートです。

元々私の担う役割は自然と人々をつなぐインタープリターだと弁えているので、実働を少しずつこなして磨いていきながらも目的は凄腕ハンターではありません。良い響きですけどね、凄腕ハンター!

獣を狩って食の糧にするということが一部の人だけの特別なことではなく、もっと一般的なこととなっていくことで、それがそのまま地域の獣害対策になればなと願っています。

山や人の生息域に食肉資源があるのにちっとも活用されていないことで、田畑や林業に大きな被害が出ています。

活用すれば、共生できる。

端的にいえばその流れをちゃんと体感したいなと思っています。

 

ジビエの有効活用を一般化していく。

それによって里山の暮らしを守る。

私にできることはなんだろうか。

 

そんなことを願っていた私に、またとない話が持ち上がっています。

鹿の画像は借り物です

高校生と獣害について考える

農村の資源を使ってのスモールビジネスを学ぶ講座に参加した縁で、ある高校で出前授業をさせてもらうことになりました。

地域資源を使った仕事の話ということで、現在亀成園が担っている養鶏や民泊の話でもよかったのですが、獣害対策とジビエでも良いかなと打診してみたら快諾してもらいましたので

ちょうどこれから進めてみたかったことをテーマに話ができることになりました。

 

「なぜ今猟師を選ぶのか」

里山猟師がこれからどう生きていくか」

「獣害をチャンスに変えたら地域はどうなるか」

 

そんなことをもっとわかりやすく、興味を持ってもらえるように工夫して

学びの種を残してきたいなとワクワクしています。

 

豊かな自然を守りたいからこその狩猟

野生動物を捕獲して食糧にすることは自然破壊でしょうか。

人が木を切ったり狩りをすることに対して批判される方は一定数います。

人は全く自然に働きかけてはいけないという極端な発想になる場合があります。

 

うんうん、手を下すのって心が痛みますからね。

どの命も尊重するべきという主張が完全に間違っているわけではありません。

ですが現在急速に増え続けている鹿やアライグマなどは、植林された若木の命や、手をかけて育てた果物の命をないがしろにしています。偏った種がはびこると、生態系全体としてのバランスは悪くなって、植物の様子もかなり変わってきてしまっています。

鹿ばかりになっている近くの山は、どんどん草の種類が限られてきています。

鹿が食べられない毒性のある草ばかりが残って増えるなんてことがね。

 

バランスが崩れたのはこれまでの人の行いの結果であるのだから、全体を考えて、できることをしていくのが今からこれからを生きる人の責務ではないかと、まあ思うわけです。

 

新米猟師だからこそ

猟師を自覚して間もないのに、だからこそなのでしょうか、ちょっとだけ先を経験するものとして、若い世代に話ができるなんて、ありがたいことです。

獣害対策や里山保全、地域づくりなどという話題はすぐに成果が出るものではなく、長期的アプローチが求められるので、いつだって次世代にどうつないでいくかということが求められています。

私の知識や経験だけでは不十分とは認識しつつ、つないでいく機会は逃さずにいたいです。

 

そしてまた、学びを深めることや、他地域の事例を知るために、

3年前から行われている「鳥獣被害対策アドベンチャー」という研修プログラムにも申し込んでみました。

早速キックオフのオンライン研修を楽しんだところです。

roadto-choujuhokaku.com

獣害対策の話は興味が尽きません。

今のこの前向きな感覚がこの先たくさん経験を増やしながら、灯火消えずにあるといいな。

 

生徒さんたちに話をする前に、この本も読み直しておくつもりです。

ジビエのシェフと猟師がギリギリ自分らしく生きていくストーリーです。

作家さんが書いてくれる物語があるおかげで、きっと私は偏らない視点で話ができるのです。