今月初めに誕生日を迎えました。
シミったれた43歳になるか、資産(43)を築く土台ができるのか、どうなっても自分次第です。人生は決めた通りになるんだなと思いながら、近頃何も決めてない気がする不安の中で、まあどうなることやらと歳を重ねます。
なんと夜中に喘息のひどいのがきて、しばらく本当に息ができない苦しさを味わいました。
与えられた命に感謝するのは誕生日を迎えた者の役割ですが、まさか苦しみからの希望を見出すまでをしなくてはいけないのかと驚きましたよ。何の試練だか。
それでも、おかげさまで暗く苦しい夜を乗り越え、43歳になりました。
ずいぶん好きに生きていますが、それでもまだまだ私もしがらみの中にいます。
持っているもの、生きている環境、恵まれているもの、備えている素質など、今ある全てにはしっかり感謝して、不満足感はちっともないながらも、はたして自分の人生はこれでいいのかなという迷いとは常に共にいます。一体いつまで?
いつまでなのでしょうかね。不惑の40を超えて数年。
一体私の天職はどこにある。好きに生きている中でジャンジャン儲かればいいのに、未だそうでもないなという中にいます。まあ人生舐めてることが垣間見えますね。いえ、真面目に生きておりますが、何者であることを定めずに儲かろうだなんて舐めとるわという感じです。
とはいえ割と幅広いことをじんわりと学び続けている私です。
どれだけ幅広いのかを時々知って、びっくりするくらい、いつまで学ぶのか。
仕方がないです。学ぶってことが道なのでして。
学んだことを伝えらえれるように自分の中で言葉にするというのが、私が何よりたぎることです。たぎる。めちゃくちゃ本質的な人間らしさが現れる言葉ですね。
どの人が、どんな時に何にたぎるのか。
生々しい話になりそうなところを全然身のないただ言語化に徹する私のサガです。
とにかく今、息ができることを噛み締めて
息ができる限り自分のやることをできるだけやりたいことに近づけて淡々と行っていき
それが他者や時代の役に立つことであれば儲かることもあるのかなと
そんなところにたどり着いています。
ずっと読み書きと思考が好きというだけの私ですが、43年生きているとそれなりのラベルが貼られてきます。
その中でこれからの自分に活きるのはどんなラベルなのかなぁということを考えます。
関西人であること
読書家でとりわけ児童文学を追い続けていて読み聞かせの経験があること
自給暮らしを家族で取り組んでいてサバイバルの実体験が豊富なこと
ただひたすら4人の子どもと向き合ってきたこと
自然農の田畑を一通り経験していること
生物多様性への興味から森林インストラクターの資格をとったこと
家族の健康の土台を考えて、薬膳マイスターを学んだこと
地域の魅力発信のためにグリーン・ツーリズムを学んだこと
学校の教育現場で児童とも向き合う経験があること
移住してから移住者を受け入れる取り組みを7年続けていること
里山で古民家を改装した農家体験ができる宿を5年半発信し続けていること
獣害対策とジビエ活用に関心があり狩猟免許をとりあえず持ったこと
わぁ、つらつらと12個並んできました。
自分って何?を広げ過ぎなのですが、貫くものはきっとあって、それがもしかしたら自分探しのゴールになっていくのかもしれません。それが人生の彩りだといいなぁ、ほんとになぁ。
子育てはかなり悩みも迷いもなくなってきたので
私の人生はほんと、これからです。
今までに後悔もないし、でもこれからの不安はめちゃくちゃある。
そんなこの歳を楽しんで、大きく息を吸って生き延びていきたいです。
