勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

バズりから考える生き物との向き合い方

1月末にInstagramのリールに出した短い動画が初めてのバズりとなって、色々な声を浴びました。

軽トラの荷台に大きな鹿が乗っていて、犬がそれを見つけて興奮しているという15秒ほどのシーンなのですが、万を超えて今では30万までいくようになるとは。

それまで1,000もなかなか伸びないようなフィールドだったので、いきなりのことにびっくりです。そして今までも狩猟のことは時々出していて、日常ではないけれど非日常でもないうちでは当たり前に必要なシーンなのですが、非難轟々だとは、当事者になってみなければわからない経験でした。

 

常日頃、里に降りてきた鹿や猪、猿やハクビシンなどに田畑を荒らされたり、イタチに鶏をとられたりする暮らしでは、鹿をお縄にするのは極当たり前の前向きな流れなのです。それも廃棄ではなくできるだけたくさん頂くので、むしろ環境に優しい、しかしこちらも命懸けの狩猟という意識でいました。

そしてジビエがもっと一般に普及したら、もっと次々と捕獲する動機にもなって、田畑や森林も守りながら人々の食糧が担えて、本腰入れて取り組む課題解決だなともうわかっていました。

 

それがふとしたことで、ジビエを毛嫌いする方々の目にも止まってしまうことになり、わざわざコメントを残して批判するんだという不思議な体験をしました。

SNSって広告ですら自分の興味ある内容が優先で出てくるもので、興味なければスルーすればいいのです。ちょうど時期は歴史に残る衆議院議員選挙とも重なり、私も今回は似たような話題ばかりからどれだけ幅広く心地よい話題を集めるかに必死になっていました。

不快なところからはスルー!

でも実際は不快なところに引き寄せられてしまうのもまた人間らしい。

目で覆いながら見てしまうのはもしかして本心からの興味でしょうか。

 

そんなわけで批判的なコメントがたくさん集まったからこそ伸びに伸びた投稿でした。

いい感じに興味を持ってくれた方からのフォローも増えて、おかげさまで今までの投稿も全体にそこ上がりして、バズるってすごいです。

 

非難のお言葉ですが

「鹿さんが可哀想」

「わざわざこんなの見せないで」

「ひどい。残酷」

などなどです。

鹿さんまだ捕まっただけで、残酷なのはその後なのですが、言わないでおきました。

 

ユニークなのは

「犬も悲しんでるよ」

「この犬は鹿さんと友達だったのに」

ですね。もちろん犬は精肉した一部をもらったわけですが。

肉食獣と草食獣の友情といえばこちらですが、これも一筋縄ではいかない話です。

「神が怒っている」

というコメントもありました。

いつもそんなことを思って苦しんでいる人もいるんだなぁととても興味深く受け止めたのですが、もしかしてどこかの神からのメッセージだったのでしょうか。

私の認識では怒る神の筆頭は旧約聖書です。怒りを鎮めるのに子羊を捧げていたような気がします。

怒られたからこそ肉を捧げるというのはあっても、狩りをしてそのことを怒る神というのは勉強不足でした。掘り下げてもらえたらいいのですが、批判コメントって一方的ですね。

 

まただいぶアレ、なことをおっしゃる方もいたのでどんな人かなと覗いてみたら、子ども対象の魚つかみ取りイベントも批判されている方でした。保護猫活動に人生捧げている感じでしたが、猫も食肉の獣であることは意識外なのでしょうか。

 

不思議な感覚を持った人が同時代にいる。

なかなか正面切って会うことは難しいのに、ネットを通じてなら一瞬で批判してくる。

私が真剣に向き合うのはそんな人々ではなくて、目の前の人や獣たち、生き物たち、地域そのものです。なので世界観がかけ離れている人たちにあまり時間や意識をかけられないのですが、初めて食らったのでそれなりの効果はありました。

 

ジビエ普及は前途多難かもしれません。

けれど刻一刻と獣害は広がりますし、鹿肉はもっと美味しく食べることができます。

生きることはそれだけで残酷なのだなぁと噛み締めて、発信と普及を続けなくては。