勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

希望の一羽

 子供たちの小学校は12年前に三つの地域の小学校が合併して一つの学校になりました。合わせると松阪市の三分の一がこの学校の校区になり、それでもどうにも児童現象に歯止めがかからず本当に危機的な状況です。なんとか児童が増えてほしい。それには親子連れが移住してきてほしい。子供が育つ環境として、親ものびのび生きていける場所として、どれだけ自画自賛しても足りないほどの小学校区域ですが、子連れ移住促進は今のところ難航しております。こういうのは時間がかかると腹を括るものですが、発信やマッチングの難しさが見えるだけに苦しい思いです。問い合わせはチラホラあり、社会全体の意識は都会から田舎に向いてきているのでまだ芽はあるはずです。こっちの学校は楽しいぞー、っと蛍のメロディで歌い続けるだけではなんの効果もないかもしれませんが、こっちの学校は楽しいです、とにかく。


児童はまだ来ませんが、三つの地域の一つに今月初めから出没して、住民の喜びになっていた鳥がいます。なんとコウノトリです。

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ヨーロッパでは昔から赤ちゃんを運んでくるとされる縁起の良い鳥。足にナンバーが付けられていて、この春兵庫県の豊岡近隣で産まれて、巣立ちして後に三重県まで飛来してきた個体だそうです。保護対象の鳥なので、人々の目撃情報によってセンターが追跡しているのだとか。でも動きの制限はないようで、県内をあちこち飛び回りながらこの地を自ら発見して来てくれて、台風を過ぎても飛んでいかず居着いてくれていたことは、地元の人に思いがけない喜びをもたらしていました。


サギより大きな鳥ですが、人を怖がることなく呑気に過ごしている姿が魅力です。餌はカエルやドジョウ、虫にヘビなどということで、刈り入れの終わった水田やその近くの畑に現れては地面をついばんでいます。お気に入りの場所がいくつかあるようで、地区の中の更に細かい地区をあっちこっち移動して、行く先々で住民を喜ばせていました。ずかずかと近寄れば飛び立ってしまいますが、そっと見守っていると隠れることなく姿を見せてくれ、歩いて道路を渡る時もあるようで、ハラハラドキドキ見る人を飽きさせません。

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こんなに近くまで寄ることができました。鶴のように長い嘴は黒く、細い脚は桃色で、コウノトリは紅白プラス黒のめでたい色合いです。


毎日地域で目撃され、住民の活性エネルギーになっていたコウノトリ。今はまた松阪市の別の地に移動したようですが、大きな鳥なのでどんな場所でも生きていけるわけではありません。水が綺麗で餌が豊富にある場所。年中田んぼに水を張っているところは多くないですが、もし冬季湛水を実行すれば呼水になるのかもしれません。山間の地域で湿原並みに豊かな場所はどんなところなのでしょう。コウノトリにとって何がベストなのかまだわかりませんが、何度でも飛来して来てほしいですね。つがいになって繁殖して、とまで願ってはあまりに絵に描いた餅になりますが、そんな明るいニュースがあることを期待しています。


そしてコウノトリに導かれて児童が増えることを。素直に赤子を運ぶより手っ取り早く児童を願うあたり、私の腹も黒くなったと愕然ですが、希望はつなげておきたいですからね。


コウノトリによって今回炙り出されたことは三つです。

飯高町里山環境は豊かです

・住民は素直で気立てが良いです

・子供増加のニュースが待ち焦がれます


一羽で社会が変わるわけではない。けれど0と1の差は月と太陽ほども違います。自ら光を放つ地域でありたい。偶然か必然かのコウノトリ飛来によって、多分人々はしぶとくなったのです。




鶏解体引き受けました

亀成園HPのブログの改訂版です。知り合いの家で飼われていた雌鶏たちを絞めた話です。お互いに覚悟が必要でしたが、無事乗り越えることができました。有難いです。

 

「亀成園に地域の方からご依頼がきました。自分ちで飼育していた鶏がもう卵を産まなくなったので絞めて欲しいと。鶏との暮らしはぬくもりがあるし、ゴミが出なくなるし卵の喜びもあって本当におススメですが、廃鳥(卵を産まなくなった鶏)をどうするかというのは誰もが行きあたる壁です。殺せはしないから生かしておくというのが大体のパターンになるのでしょうが、そうするとエサ代はかかるし安全管理もし続けなければいけないし、次に卵を産んでくれる鶏を受け入れる場所を取られてしまうことになります。愛情かけて数年を過ごしてきた雌鶏を絞めるのは抵抗があって当然で、実は亀成園でも今まで絞めてきたのはオスばかりで、雌鶏は今年が境目でまだためらっていたところなのです。だからこそ、引き受けることにしました。「壁は乗り越えられる人の前に現れる」です。確かイチロー選手の言葉でした。よもや私に縁があるとは思っていませんでしたが、ピンときたのでご紹介。

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羽もふわふわでお尻もぷりっとしている雌鶏は本当に可愛いです(写真はACから)。しかも名前を付けてもらって可愛がってもらってきた子たちにいきなりとどめを刺すのは本当に心苦しいのですが、いつだって誰かがとどめを刺して、肉は他の命につながっていくわけなので、鶏くらい亀成園で責任を持たねばなんだか悔しい気もします。
 
解体作業は実はかなりシンプルです。
前日か数日前から絶食させておいた鶏を持って来て、首を切って血を流して絶命させます。
鍋にたっぷり沸かしておいた湯にまるごとつけます。この時絶命しきっていないと暴れてお湯がはねてとても危ないので要注意です。本当にびっくりします(体験談)
足を紐で括ってぶら下げて、羽をむしります。
まるごとお肉になりました。

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産毛が残っているのは火であぶって仕上げます。
ここまでは外での作業です。血が飛び散るし濡れた羽毛の処理もあるのでね。
丸どりになったら台所で精肉します。
もも肉をはずし、手羽をはずし、胸肉とササミをとります。肉用でない地鶏はもともと肉が少ないのであっという間です。背骨を開け、内臓を取り出します。食べられそうな部位だけ残してあとは廃棄。最後に胸側の骨をごっそり取ります。

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右下に見えているのがハツや卵の素ですね。ササミがとてもきれいで、そのままわさび醤油で食べたらどんなに美味しいかとドキドキしました。
 
この調子で何羽か同じことを繰り返して、ミッション終了です。ご依頼人に家族の数名にも少しだけ現場にも立ち会って頂き、お別れしてもらいました」
 
持ち帰り頂き、家族そろって召し上がって頂いたようです。雌鶏たちに掘り返された畑で残っていた野菜と合わせて庭まるごと料理になったり、庭で網焼きしたり、素敵な家族のガーデンライフにまた新しい色付けをすることになったようです。
 
「普段食べる機会の多い鶏肉と比べて、平飼いの地鶏が格別に美味しいかと言われればわりと答えにくいところだと思います。ガラで摂るスープは間違いなく優しい旨味が噴き出すような美味しさですが、肉はどうしても固くて脂が足りないので一般的には不満が残るものだと正直思います。もともと美味しさの基準は育ってきた環境によってその時の気分によっても異なるもので、何気なく出されて食べてみて絶対に美味しいとは断言できません。もっと本音を示せば、ただグルメの材料という類ではないのです。飼育していた鶏を絞めて食べる。そこには時間の流れと刻まれた物語があります。生きていた、手ずからエサをやって育ててきた鶏を、覚悟を決めて食卓に載せる。日々の食事も勿論身体を作っていくのですが、特別な経緯のある食事は命に刻まれます。よく乗り越えられたなと敬服します。
 
持ち込みのご用はそう多くないでしょうが、もし心当たりあればお声がけ下さい。それと、ご自身では飼っていないけれど命の責任に立ち会ってみたい方、どうぞご指名下さいね。子供たちに関してですが、小さな子のほうがそのまま受け入れてくれます。或いは理性的な子は頑張って受け止めてくれます。逆に感受性の強い子は絶対に無理強いさせないで下さいね。亀成園でも娘たちは立ち会えますが、息子は拒否し続けていますので、環境だけあればいいというわけではないようです。それより自分がしっかり受け止めて、命をつなぐことを深い思い出受け止めていると、そのうち子供にも伝わって自ら扉を開いてくれるのかなと、まあそれもどっちでもいいかと思っています。
 
亀成園でもそろそろ個体選別して羽数を減らす時期です。解体は作業自体よりもっと多く心の力が必要なので、まだそう頻繁にはできませんが、ご要望あれば頑張ってみます。新鮮な鶏ガラスープにまた出会うために、まずは心の力を溜めておかなくちゃ」
 
この記事を書いた後、以前絞めて残っていた烏骨鶏丸ごとを解凍してスープにしようと冷凍庫を漁りましたが、もぬけの殻でした。固くてもなんでも鶏肉は好きなのですね。日を改めてご馳走準備をしたいものです。

母と娘のハイファンタジー

今週のお題「読書感想文」

 

 つい最近、長女が生まれて12年が経ちました。なんだかとても大きくて切ない仕事を成し遂げた感じがします。私は物心ついて以来絶えず読書愛好家ですが、大人の小説よりむしろ児童やティーンズ向け小説を好むほうです。殺人とお色気が刺激的過ぎるという理由もあり。なので子供の誕生・成長と共に堂々と子供の本を読み直すことがなによりの楽しみでした。子育ての大義名分で子供に寄り添う絵本を選び、民話を読み語り、常にアンテナを張って、娘の読書より2,3歩先を進んでいつも彼女が本を選ぶのを見守ってきました。小学生になってすらすら読めるようになってからも、娘が近いうちに興味を持ちそうな本を調べておき、折に触れて薦めることで、気に入れば同じ物語を共有してきました。読書はとても個人的な自由な行為ですが、何を読もうかなというとき、身近な人のおすすめがあることは結構大事なので、いつも何かは薦められるように準備をしてきました。ハズレルこともあるけれど、気に入ってもらえたらお互い嬉しいし、捉え方の違いを楽しむこともできます。自分が昔読んできた本だけでなく、ずっと後に生まれた名作を見つけては喜びを共にする、そんな寄り添い方をしてきたのです。

 

 そんな読書家母娘の幸せな期間もそろそろ終息してきました。なにせ私の有閑っぷりが落ちたのもあり、娘の読むスピードがあまりに加速したのもあり、もうとても追いつかないのです。こちらが気になるシリーズの一冊だけしか読んでいないうちに娘は全巻読破なんてこともあり、導いてきた子を追うようになってしまいました。子供の成長はなんと早く眩しいことかと切なくてたまらないですが、親冥利に尽きますね。それに今まで読んできた数多くの共通で好きな本があることで、暮らしを共にする以上に心がつながっている感覚があるのです。どうせならもっとずっとつながっていたいですが、同世代の子に比べるとどうも幼い娘もそろそろ巣立つ段階に入らねばならないし、いつまでもしがみつくのもカッコ悪いので、自戒の時期です。もちろんこの先もお互いサラリとすすめ合う読書習慣になるのでしょうが、もう導こうとしなくていいかなとやっと思いました。なぜならどうしても共有したい物語を読んでくれたからです。大きな大きなファンタジーに共にときめくことができたから、伴走人生はひとまず満足です。

 

 娘とどうしても共有したかった最高のファンタジーはこのシリーズ

 

 第一作目の『精霊の守り人』が刊行されたのが1996年

そこから守り人シリーズの10冊目『天と地の守り人』下巻が出たのが2007年

番外編が2冊2008年と2012年に。そこからさらに時間が経ってから2018年に『風と行く者』という外伝が出ています。

外伝の間にも著者は他の物語もぐいぐい書かれており、もう本当に尊敬と感謝しかない上橋菜穂子さんです。同じ時代にこの方が活躍されてくれているだけで、今の時代はいいなと人生を肯定できるというものです。

 

大人気シリーズだけれど独特の世界観があるこの物語。私がハマったのが娘が幼稚園の頃。待つこと五年して娘が4年生くらいからたびたび勧めていたのですが、なにせ分厚い本です。深そうな物語であることは読む前から伝わります。慎重派の彼女はなかなか踏み込めず保留にしてあったのが、6年生の夏に一気に読み始め惹きこまれ、あっという間に読破してしまいました。夢中になったときの集中力は恐ろしいものがあります。

 

学校司書さんが同じ作者の別シリーズをすすめてくれたのがきっかけになりました。

 こちらもたまらなく大好きですが、「守り人」より成熟した描写がちらほらするので、娘にわかるか懸念がありますが、またファンタジーにぐいぐい惹きこまれていくのでしょう。今からこれを読めるのはうらやましくもあります。

獣の奏者 完結セット 全5巻

獣の奏者 完結セット 全5巻

 

 

上橋菜穂子のファンタジーはいつも、世界が一枚岩ではないことを架空の物語として丁寧に書き込んでくれているのが魅力です。デビュー作からずっと、多数の人々の暮らしと表裏一体に生きる別の人々の暮らしがあり、人でないものの暮らしもあり、反発したり混じったりしながら、主人公たちが自分の世界を見る目がどんどん変わっていきます。土地・種族・立場など様々な要素が絡み合って、時代によってうねりながら今をどう生きていくのか。登場人物はみな葛藤し、心身鍛えられて未来を探っていきます。

 

 とにかく「守り人」では短槍使いの主人公、バルサの戦いっぷりがかっこいいです。サバイバルの術を駆使して、ギリギリの交渉事もこなし、超人なのに人一倍傷付いていて生き物らしい描写に舌を巻きます。大きな物語、幾重にも絡み合う壮大な物語の中で、個性を失う登場人物が一人もいないもの圧巻です。わりと有名な作品でもずっと活き活きとしている登場人物はメインのほんの数人で、後は物語が進むにつれ無個性というか、貼り付けられた描写になってしまうことが多いのですが、「守り人」の人たちはみなその世界の中で生き続けています。思わぬ動き、でも最もな成長があったり、一人一人に本当に息が吹き込まれているのです。国の歴史があり種族の歴史があり一人一人の歴史が織られたところにスッと光を当てるのが物語です。

 

 このシリーズは10冊続いてはいるのですが、全部が同じ切り口で続いているのではなく、タイトルごとにしっかり完結しながらも重なってつながっているところがまたいいです。壮大な漫画を読み返すときはなかなか途中からだと入りにくいけれど、この本は気になった一冊だけ取り出して読んでも消化不良になりません。まあ一冊読んでしまうとドキドキが戻ってきてあれもこれも読み返したくなってしまうのですけどね。

 

 読書感想文と言いながら、あらすじも読んだ感想もない総評だけになってしまいました。読後感としては「もっと強く賢く優しくなりたい」です。いい物語に触れたときはいつも同じ思い。心躍る読書体験があるからこそ、心を磨くことができる。娘がどう受け止めたかは詮索しておりませんが、バルサの強さに憧れ、国々の存続にハラハラしていた彼女はこれからもきっとまっすぐ育ってくれるだろうと思います。運命を自分で作ることができるでしょうか。現実の人生が波乱万丈である必要はないけれど、もしこの先未来がどうなっても、腐らずあきらめず自分を偽らず生きていくために、抱えきれないくらいのハイファンタジーを共に楽しめたことに感謝しています。

「生物多様性はなぜ必要か」講座を受けて

亀成園母が園主と共によく聞かれることの一つに

「なぜ移住先をここ(三重県松阪市飯高町森)にしたの」という質問があります。

 

・川がきれいだから

・風通しがよく畑も茶畑もあったから

・古民家と相性がよかったから

などがふんわりとした理由で、もっと真に迫った理由は

生物多様性を軸にした持続可能な暮らしがくっきり描けたから

なのです。

が、この言い方で納得して下さる方はまずおりませんね。私としてはこれ以上はっきりとした理由はないだろうという思いと、それはわかれというほうが無理だろうとの思いの狭間におります。なかなか落としどころを見つけるのが難しい回答です。

もっとも、人に対してわかりやすく伝えるならば

・学校も近くて子育てによい環境だと思ったから

・土地と家とのいい出会いがあったから

・関西からアクセスがよく暮らしやすそうだったから

などが好まれるのでしょう。付け加えることはできます。けれど私自身があくまで基準においているのは「里山暮らしと生物多様性への興味関心」なのです。その環境に一刻も早く子供と共に身を置きたかったというのが偽りのない理由です。

とはいえ私がどれだけ「生物多様性」についてわかっているのかな、どれだけ伝えることができるのかなともやもやした思いがありました。ここが生物多様性を日々実感する最適地と綿密なリサーチをしたわけではないのです。そんなことしていたら暮らすところは見つからずいつまでも時間だけが過ぎていきます。けれど年々暮らしていて飽きることのない場所です。樹木の種類が多く、里山としての歴史が長く、多様でいながら居心地のいい暮らしができているのは場所選びが間違っていなかったからだとは思うのです。もう少し直感を煮詰めたいとの思いがあったので、三重県主催の環境基礎講座に「生物多様性はなぜ必要か」のタイトルを見つけて飛びつきました。

環境基礎講座2020|イベント詳細|生涯学習センター|三重県総合文化センター

 

朝からそわそわして午後いっぱいを使って津まで出かけていき、講座を受けたのが8月最後の土曜日でした。環境問題やSDGsに興味関心があり、時間を割いて集まることが可能な県民が40名ほど集うことになった、なかなか盛況な講座でした。

 

講座の内容は「みえ生物多様性推進プラン(第3期)」を学び、三重大学の理科教育講座を受け持つ講師の講義を聞き、質疑応答という二時間半の流れでした。

 

生物多様性が何なのか、学術的に詳しいことを知りたければ、講義でも紹介されていた本にわかりやすそうなのがありました。生命の歴史や適応進化、絶滅のプロセスや保全制度に事例など、的確な絵図と共にわかりやすく説明されています。

 

絵でわかる生物多様性 (KS絵でわかるシリーズ)

絵でわかる生物多様性 (KS絵でわかるシリーズ)

 

  そんな生物多様性って何だろうとか、生物多様性保全するためにどんな取り組みがなされているのだろうという話以上に講座でつかみたかったのは、それは自分にとってどういう意味や価値があるのだろうということです。講師の方がおっしゃっていたので印象的だったことの一つが下記です。

・名前も知らない虫が一種絶滅したところで何か感じますか?

 

 私はどうやらかなり虫に好意的なヒトなので、たとえ名前も知らず見たこともない虫でも見てみたいなとは思います。面白い形をしているかもしれないし、きれいな模様やきれいな鳴き声かもしれない。もしかしたら稀にみる能力を持っているかもしれないし、いなくなっても構わないとは答えられません。ですが本当に取るに足らない微生物にまで興味を持てるかと問われれば正直返答に困ってしまいます。

 なにせ生き物の種類は途方もなく多いです。哺乳類は約4000種、鳥類9000種、爬虫類6000種くらいならなんとかその姿と名前を一通り流し見することくらいできそうですが、魚類は1万9千種、菌類は4万7千種とくると太刀打ちできそうにありません。それなのに花のある植物ときたら25万種だというし、昆虫にいたっては75万種というのです。現在わかっているだけの数でこれなのです。毎日10種ずつ頑張って覚えたとしても(覚えた端から忘れていくのに)、十年かかっても昆虫の0.05%にもならないのです。実際はもっと大まかな分類があって亜種も沢山で相当詳しいイメージはつかめるとは思うのですが、本当に詳しく親しくなるには目がくらむ世界であることは間違いなさそうです。

 その中の一種類の生存は自分に何の影響があるのか。講義を聞いた参加者はみな立ち止まって考える機会になりました。実際は座っているんですけど気持ち的にもね。

 

 ぺらーんと画一化されたところよりも、凸凹していてなんでもありのところのほうが魅力があるというのをどうもっともらしく言ってのけるかが、生物多様性を謳いたい人の目標です。プランテーションでなくパーマカルチャーを。砂漠化を防いで森林を。養殖より天然で、精白米ばかりより雑穀いろいろ、な気持ちを直感から進めていきたい。どうもそんな思いが奥にあって、だから経済的指標に外れても価値を付けて残していきたいと願っているのです。ナチュラリスト、エコロジストだけでなく生物学者もいろいろな研究機関も研究を応用したい企業や事業者なんかもきっと。

 

 多様性に向き合う価値観は簡単に正解を出すことはできず、個人の想いはなかなかまとまりそうにありません。それでもなんとなく生物多様性というキーワードがひっかかる人は、野や森や海が好きな人です。花鳥風月を愛しむことに価値がある人です。だからこそ細かい興味はバラバラで、工業化都市化砂漠化に立ち向かう力はそう強くありません。このままではなんだかいけないのがわかっているけれど、どうしたらいいだろうとやっぱりもやもやしています。

 

 講座を受けて学びが沢山ありました。気付きも少しありました。まだ行動に伴うレベルにはなっていませんが、火を絶やさずにはいたいです。そして数日後、薪割をしていたら木と皮の間から、まだ見たことのなかった生き物に出会いました。

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クロイロコウガイビル

 

 ナメクジのような、ヒルのような、三角頭をした生き物として検索したらすぐに「コウガイビル」と見つかりました。名前にヒルとついていますが吸血性はなく、ナメクジに近い仲間のようです。このタイプの他にも何種類もいるらしく、今まで潰されているのを見たことはあったような気はしますが、生態はまるで知らなかった生き物でした。

 

 簡単に言うとどうにも気持ちの悪い生き物です。かわいくもかっこよくも美しくもありません。ぬめぬめしているし、やけに長いし色も取るに足りないようなくすんだような。この生き物の価値と言われると私にはどうにも答えようがないのですが、自分が暮らしている同じ敷地内にこんな生き物もいるのだという発見は、私の心を明るくしました。クロイロコウガイビルが暮らしに役に立っているとはまだ想像もつきませんが、同じ場所で暮らしているのだと気付くと、こいつが絶滅しても構わないとは思えなくなりました。単純なものです。

 

 生物多様性とは飛躍するかもしれないのですが、こうして多種多様な生き物を好きも嫌いもなく受け入れるようになることで、人に対しての受け入れ幅が広くなったらいいなと思うのです。率直に言えば、偏見や差別意識をなくして他者と接していくことができたらなと思うのです。どんな気が合わない人や得体のしれない人でもクロイロコウガイビルより得体のしれないことはないと思うのです。気は合わなくても言葉や表情でコミュニケーションを試みることはできるのです。クロイロコウガイビル(何度も比較で登場させて申し訳ないですが)がいてもいいなと思う世界でいてはいけない人なんているのかなと、なんだか思考が柔らかになるのです。

 

 地球の中で自分の存在は1000万種のうちのたったひとつに過ぎなくて、たったひとつの70憶人のうちの一人に過ぎない。ここから見渡せる範囲にどれだけの種類の生き物がいて、どれもが私が居ることを許してくれている。刺してくる蚊やアブと攻防するし、植物を利用したり枯らしたり踏みつけたりするし、猟も漁も積極的にするし(私には腕はありませんが)、それぞれの生き物との関係性は様々です。それでも日々絶え間なく攻撃されることもなく、締め出されることもなく、無視されることもなくここで生きているのです。

 

 畢竟、いろいろこねくり回して考えてみて、私にとって大切なことは「このままひとつの生き物として生きていきたい」ことに他なりません。そこに人類の発展はあるのか。経済成長はあるのか。その前に子供の成長に責任を持てるのかという厳しい現実とどう折り合いを付けられるか。なかなか満足いく人生軌道に乗れませんね。それでもなんでも、あるがままの生き様を面白く、を貫いて生きたいです。

 

 

 

清流の上流で肝を冷やす絶好の過ごし方

今週のお題「暑すぎる」

田舎ではもう秋の風にシフトチェンジして、朝晩はめっきり涼しくなったので、いつまでも暑さを引きずってはいないのですが、もう本当に暑すぎたときの話です。

 

この夏、幸か不幸か思っていたよりも時間に余裕があったので(つまりお休みの日に忙しいはずのゲストハウスがご時世によりあまり賑わわなかったので)、かねてより憧れていた鮎釣りに挑戦するチャンスがありました。

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なにせ今年は生き物がやたらに多い年で、近年稀に見るほど鮎の遡上が多いと聞いたのです。稚魚の放流もお手伝いしているので川の情報はあります。高級ルアーとおとり鮎を使っての高尚な鮎釣りはとても手が出ないけれど、潜って針をひっかけて捕る「しゃくり漁」ならなんとかできるかもしれないと、8月頭に入漁権を購入しました。

 

櫛田川流域や宮川流域ではしゃくり漁というのは極一般的なようです。川に潜る、或いは上から見て狙いをつけてひっかけて魚を捕る。生まれ育ちが町である私には最初何のことか想像もつきませんでした。しかしここは清流誇る渓谷地域。肉眼でも魚は見えます。泡立っていなければ濁ることもなく見えます。そして鮎は香ります。

 

この辺りではしゃくり漁の得意な人は「人間カワウ」の称号がもらえます。京都の実家近くでは、夕暮れに舟に乗って鵜飼いが鵜を用いて魚を捕るのを眺めるツアーが人気でしたが、三重の田舎では人間が鵜になります。断然こっちのほうがかっこいいです。

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鵜はバタバタと空を飛ぶ姿はなんとも不格好なのですが、川の中で鮎を捕まえにかかる姿はなんとも見事です。鮎を放流しても次々鵜に捕られてしまうのは癪なので、真夏の川では人間は鵜を凌駕せねばなりません。人間カワウを目指して、亀成園父も挑戦を始めました。

 

 予想通り初年度の結果はふるいません。震えながら休みながら二時間粘って、二尾逃げられようやっと一尾、が紛れもない釣果でした。そんなことが二度ありました。一尾を焼いて6人で分けて食べる様はさながら『11ぴきのねこ』のよう。

 

 しかし川には鮎がおります。いい香りを放ちながら悠々と泳いでおります。子供たちも見つけるのは随分早く的確になりました。ものすごく捕れそうです。でもまだ現実は甘くなく、潜って震えて逃がしてばかり。けれど亀成園は「亀のようにのんびり粘り強く」が持ち味なので、ちっとも気にしていないのですよ。

 

 なにせ今年はあまりに暑かったので、しゃくり漁に挑戦したことで前向きに身体を冷やすことができたのが大きいです。浅瀬で遊ぶだけでも気持ちいいのは暑過ぎない時の話。猛暑時は上流で潜るに限ります。どれだけ外気が暑くとも、清流の上流は震えるほどの冷たさです。思い出しただけでもブルっとします。そんな冷たい川に行き、目的をもって覚悟を決めて潜り、じっと待つと血の気が引いてきます。でも外は暑いので川から上がって、陽当たりのいい岩場でじっくり身体を温め直してまた潜る。そんなことを何度か続けているとすぐには身体の熱が戻らなくなります。そうなったら引き上げです。家に戻っても数時間は扇風機も要らないほど快適に過ごせますよ。

 

 しゃくり漁をしてみてもう一つ大きかったのは、この夏は何度も鮎にありつけたことです。自分たちで捕ったのはわずかなのですが、腕自慢の師匠たちが励ましに持って来てくれました。人間カワウ様たちは、1時間で20尾、30尾としゃくるのです。ものすごく余裕があるのです。田舎暮らしでは年がら年中物々交換はあり、亀成園も卵があるおかげでそんなに卑下せずいろいろ頂いておりますが、ピチピチの魚はとりわけ嬉しいものですね。頑張って捕れるようになって、分けられるようになりたいものだとつくづく思いました。

 

 三年後くらいには鮎に困らない亀成園になれるのでしょうか。アマゴにも困らなくなるのでしょうか。夏のお客様に鮎のお刺身を召し上がって頂けるのでしょうか。またまた夢は風船のようにふくらみます。川に呼ばれる暑い夏もあと少し。もう少し腕を上げれるか、頑張ってみたいですね。

三重県、お父さんの写真コンテスト

https://www.pref.mie.lg.jp/common/content/000903041.pdf


イクメン知事を掲げる三重県(軽く良きイメージ)ではここ数年イクメン写真コンテストが開催されております。ポスター掲示を何度か見たことがあり、一度は私も応募してみようと思っておりました。昨日たまたま知人のFBでも紹介されていたので、数年前の写真を引っ張り出して応募してみました。


応募といってもInstagramで #第7回ファザーオブザイヤーinみえ を付けて投稿するだけの簡単なものです。#visit-mie とか #ええなぁ松阪 などでコンテストがあることもあり、行政がわりとInstagram好きなのが興味深いご時世ですね。


私は基本的に旦那さんの愚痴は言いません。正面切って物申すことはあるし子供たちからすればよくも飽きずに言い争いをするなぁというイメージで間違い無いですが、不満を溜め込むことはないです。というよりも働き者のお父ちゃんと明らかに怠け者のお母ちゃんなので立場がないというのがホントのところでしょうか。とかく亀成園父は働き者であるし、地域の便利な人であるし、良き夫、良き父であります。女にはモテませんが男にはモテます。だからもう少し陽の目を見てもよいでしょう。と思って写真を探しました。


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出てきたのはこの一枚。もう四年も前になりますね。亀成園が始動するかしないかの頃、前庭に自作のうんていを作るお父さんと小さな娘です。


完成したうんていで戯れる2人がこちら

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亀成園父は、実父に良い印象がほとんどない私からすると驚愕のいいお父ちゃんで、我が子たちがうらやましくて仕方ないのですが、それでも上の三人の子は圧倒的に母に懐いていて、父には冷たい態度をとってしまうこともあります。仲は良いのですが、彼女らが幼い頃はお父さんは忙しいサラリーマンをしており、過ごしてきた時間が暇を持て余していた母の圧勝なのですから。

けれど末娘が産まれて、ガラッと暮らしを変えてからはむしろ家にいるのはパパで、ママがいない(教習所、パート、楽器サークル)時間にパパと過ごした経験が積み重ねられてきました。それもあってか、或いは末っ子の甘え上手によってか、この子はパパとママを同じくらい頼って甘えて育っています。


私は世の中に必要なのはイクメンだとは思っていません。お父さんと沢山遊んだ経験のある子は学ぶ機会も多いしイイなぁとは思いますが、おじいちゃんやおばあちゃんだっていいし、近所のお兄ちゃんお姉ちゃんだっていいし、一人遊びのエキスパートだって劣らぬ幸せがあると思っています。遊び上手な父を持たずに一人遊びを鍛えていた自己弁護でもありますが、家族の形も子供の育ち方も一様ではないので、これが正解と決め付けるのはナンセンスです。その上で、社会の認識として、子供と楽しむお父さんがいいイメージを持たれるのはたいした変革だなと感じるのでこうして応募までしてみるわけです。


まあぶっちゃけてしまえば、こうやって余裕を持って父子の姿を眺めて写真を撮るお母さんが増えたらいいなぁと思うのです。父の自撮りでなく撮影したのはお母さんというのが大きいのではと。お母さんが何もかも一人で背負っていっぱいいっぱいになっていたら子供の写真を撮る余裕もありません。写真に残すことが目的になってもなんですが、日常のふとしたときに、家族のこの姿がいいなぁ、残しておきたいなぁと思えるお母さんなら、子供のことを肩にはめ過ぎずに受け入れる余裕があるだろうし、きちんとぶつかることもできるだろうと信じられるからです。


子供がすくすく育つことが第一で

そのためにお母さんが笑顔でいられることがとりあえずは大切で

お父さんが楽しく土台になる


勿論父母と子供の形だけが家族ではありません。単にわかりやすい例というだけです。ヨイトマケの母もまぶたの母も覚悟の母もかけがえのない母の姿であるし、全力祖父母が母以上であることも多いのです。とにかく大人が億劫でも億劫がらずに子供と向き合って、子供たちが身近な大人を信頼してヤンチャに育てばいいなと描きます。


不適切な表現があるかもしれずドキドキの通過点ですが、賞品(宿泊券など)に目が眩み、ついポチッとしてしまったことを告白します。

博物館で昆虫採集

あまりに暑い夏ですね。気候は徐々に砂漠化していくのかと行末案じられます。亀成園は山間地域にあるのでヒートアイランドで蓄熱する都会よりは過ごしやすいはずですが、畑作業や草刈り、朝夕の散歩など外で過ごすと噴き出すように汗が出ます。幸いこの夏はまだ台風もなく畑は平穏です。たっぷり夏野菜を食べてたっぷり汗をかくのは健康的な過ごし方。午後は川に飛び込んで一気に身体を冷やせば最高ですね。


とはいうもののたまには冷房の効いた建物で過ごすのもありだろうと、博物館に行ってきました。なにせ私は博物館や美術館という物がとても好きな人種なのです。人によっては睡眠薬にしかならないミュージアムをせっせとチェックしてはワクワクしております。家族みんなが喜んで付き合ってくれるわけではありませんが、津市にある県立博物館であるMieMuは広々とした建物だけでも楽しいし、三重県のバラエティに富んだ地形に暮らす生き物や歴史などの常設展のほか、三重県の自然にちなんだ展示を数多く行なっている魅力ある博物館です。そしてここには保護されたオオサンショウウオもおります。好きな生き物の一つなのですよ。亀成園からは高速使わずに1時間半ほど。好きな場所なのになかなか足を運ぶ機会がなくて、クジラの展示を理由に久々に訪れることができました。

https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/MieMu/


以前訪れたときはまだ三重県のことをよく知らず、なんとなく見ていただけの展示、今回どれだけ深く理解できるか楽しみでした。


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けれど予定が予定通りに行かないことに楽しい価値があるというのが実際に出かけてみる面白さです。この日博物館で夏休みイベントのスタッフをやっていた知り合いがたまたまいたため、流れるように急遽昆虫採集に参加することになりました。完全に流されたわけなのですが、昆虫の先生指導のもとでの採集と観察はとても楽しくためになったので、この日に訪れたのが正解でした。


亀成園の息子はなかなかの虫博士で捕まえるのも上手です。夏は毎日カブト虫を戦わせ、バッタ類を瞬時に見分け、トンボやイナゴで秋の訪れを感じる昔ながらの風流といっても良い育ち方をしております。


博物館の敷地内にある観察用野原には夏の虫がたくさんおりました。木に止まっているセミ類、草むらのバッタ類にトンボや蝶々など、大人も子供も支給された大きな網を存分に振り回して虫を集めていきました。

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セミは木の高い位置で見つかるので子供の背では採るのはなかなか難しいです。先生の秘密兵器は小さいけれど伸縮する優れものの網なので、目の前で次々に捕まえてくれました。アブラゼミクマゼミがどんどん溜まりました。

トンボや蝶々は虫かごに入れるとバタバタ羽を傷めてしまうので、三角の紙に包んで保管します。私も必死でトンボを二種捕まえましたが蝶々はヒラヒラ逃げられっぱなしで苦労していたら、娘があっさり捕まえておりました。視力や反射神経の差が出ますね。

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そんなこんなで四十分ばかり暑い中虫捕りをしてヘトヘトになりましたが、博物館に戻ったら図鑑で調べ学習です。ハンディサイズの図鑑が幾つも用意してありましたが、下の2つは特に使い易かったので「欲しい物リスト」に追加です。


ひと通り調べた後もお話があり、虫がよくいるのは林の中よりも開けた野原であることや、セミの抜け殻から性別や種類を見分ける方法など、なんとなくの虫好きには有意義な機会でした


足を運ぶところにはチャンスがある。予定を立てながらもふらりと流れになる軽さが好きです。もちろんその後空腹に耐えながらも展示を見て、断片的な三重県の姿がだんだんつながったきました。近年の気候変動などによって、生態も歴史の流れも変わったいくのだろうけれど、保存や研究を続けてくれている博物館というのは本当にありがたいです。


また次に訪れるときは自分なりのテーマを決めて、じっくり眺めてみたいです。