勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

息ができることを噛み締めて

今月初めに誕生日を迎えました。

シミったれた43歳になるか、資産(43)を築く土台ができるのか、どうなっても自分次第です。人生は決めた通りになるんだなと思いながら、近頃何も決めてない気がする不安の中で、まあどうなることやらと歳を重ねます。

なんと夜中に喘息のひどいのがきて、しばらく本当に息ができない苦しさを味わいました。

与えられた命に感謝するのは誕生日を迎えた者の役割ですが、まさか苦しみからの希望を見出すまでをしなくてはいけないのかと驚きましたよ。何の試練だか。

それでも、おかげさまで暗く苦しい夜を乗り越え、43歳になりました。

 

ずいぶん好きに生きていますが、それでもまだまだ私もしがらみの中にいます。

持っているもの、生きている環境、恵まれているもの、備えている素質など、今ある全てにはしっかり感謝して、不満足感はちっともないながらも、はたして自分の人生はこれでいいのかなという迷いとは常に共にいます。一体いつまで?

 

いつまでなのでしょうかね。不惑の40を超えて数年。

一体私の天職はどこにある。好きに生きている中でジャンジャン儲かればいいのに、未だそうでもないなという中にいます。まあ人生舐めてることが垣間見えますね。いえ、真面目に生きておりますが、何者であることを定めずに儲かろうだなんて舐めとるわという感じです。

とはいえ割と幅広いことをじんわりと学び続けている私です。

どれだけ幅広いのかを時々知って、びっくりするくらい、いつまで学ぶのか。

 

仕方がないです。学ぶってことが道なのでして。

学んだことを伝えらえれるように自分の中で言葉にするというのが、私が何よりたぎることです。たぎる。めちゃくちゃ本質的な人間らしさが現れる言葉ですね。

どの人が、どんな時に何にたぎるのか。

生々しい話になりそうなところを全然身のないただ言語化に徹する私のサガです。

 

とにかく今、息ができることを噛み締めて

息ができる限り自分のやることをできるだけやりたいことに近づけて淡々と行っていき

それが他者や時代の役に立つことであれば儲かることもあるのかなと

そんなところにたどり着いています。

 

ずっと読み書きと思考が好きというだけの私ですが、43年生きているとそれなりのラベルが貼られてきます。

その中でこれからの自分に活きるのはどんなラベルなのかなぁということを考えます。

 

関西人であること

読書家でとりわけ児童文学を追い続けていて読み聞かせの経験があること

自給暮らしを家族で取り組んでいてサバイバルの実体験が豊富なこと

ただひたすら4人の子どもと向き合ってきたこと

自然農の田畑を一通り経験していること

生物多様性への興味から森林インストラクターの資格をとったこと

家族の健康の土台を考えて、薬膳マイスターを学んだこと

地域の魅力発信のためにグリーン・ツーリズムを学んだこと

学校の教育現場で児童とも向き合う経験があること

移住してから移住者を受け入れる取り組みを7年続けていること

里山で古民家を改装した農家体験ができる宿を5年半発信し続けていること

獣害対策とジビエ活用に関心があり狩猟免許をとりあえず持ったこと

 

わぁ、つらつらと12個並んできました。

自分って何?を広げ過ぎなのですが、貫くものはきっとあって、それがもしかしたら自分探しのゴールになっていくのかもしれません。それが人生の彩りだといいなぁ、ほんとになぁ。

 

子育てはかなり悩みも迷いもなくなってきたので

私の人生はほんと、これからです。

今までに後悔もないし、でもこれからの不安はめちゃくちゃある。

そんなこの歳を楽しんで、大きく息を吸って生き延びていきたいです。

 

 

 

 

里山猟師が高校生にビジネスの話をしてきた

講師のターンがやってきた

ジビエのことを想像してみて欲しい

亀成園はゲストハウス立ち上げ前に、三重県の起業者養成講座を受講して、これまでにもたくさんの相談に乗ってもらってきました。
その縁で、細々ながらも県内でスモールビジネスを続けてきている先輩として、これから世の中に出ていく高校生に対して体験談を話したり、授業内でワークショップを行うといった役割リストに入れてもらっています。
毎年起業者養成講座の仲間の誰かが当たる講師の話が、今年度はうちに回ってきました。ちょうど私も狩猟者免許を取り、これから里山で獣害対策をどう向き合っていくかをまさに考えているところだったので、高校生にも話を聞いてもらう機会にしました。
街中の学校ではないものの、ジビエと聞いてピンとくる子はどのくらい居るだろうか。
仕事を自分で創るってことにどれほどの興味を持ってもらえるだろうか。
様々なワクワクとドキドキをごちゃ混ぜにしながら、ざっくりと資料を作って打ち合わせに行きました。

亀成園の当たり前は結構そうでもない

担当の先生は実はご実家が亀成園にとても近いというサプライズがありましたが、今私たちが当たり前に行っている自給率70%をキープしての暮らしは、かつてここで暮らしていた人にとっても「え?何でそんなことに?」という驚きの暮らしなようで、ものすごく興味を示してもらいました。
獣は近隣に当たり前にいるけれど、それをどうこうしようとは思わない。
確かにその反応はより一般的かもしれません。

だったらそれを踏まえて、興味を引き出し、心に引っ掛かる話にまとめ上げるのが私の役割です。

猟師ってどうやって生きていけるのか

獣害対策に立ち向かうことやジビエビジネスに必要不可欠な猟師ですが、現在猟師をして生計を立てている人はどれくらいいるのでしょうか。
純粋に狩をすることにのみ力を注ぎ、狩った獲物を金銭や必要物質などの価値に変えて一丁前に生きている人は? もちろん存在している可能性はありますが、現代社会で「猟師」の資格を得た人が人生安泰かというと決してそうではありません。ジビエを名物にしているレストランや業者さんと強い関係を結べてでもいないと、獣を買取なんて簡単にはしてもらえません。
獣害対策の補助金でそれなりの金銭を得ている人はおりますが、さてその狩られた獣はどこへ。
現在、日本の里山は歴史上でも類を見ないほど、鹿や猪の数が増えて、駆除対象になっています。それでもジビエはあまり普及しておらず、足りないのは猟師よりも設備と流通経路です。
ジビエに市場価値が付くことがきっと何よりの獣害対策です。
そんな思いを抱き、まだ道を踏み入れたばかりの私ですが、若い世代に伝えたいよう工夫を凝らしました。

猟師は一つの側面

狩猟免許を取っただけでは当然お金持ちにはなれません。
けれど獣を捌くことができ、土地があり食べるものと力があると、割合たくましく生きていくことはできます。その上でどれくらいの儲けが要るのでしょう。

仕事の創り方は資源を人が欲しがるものにすること

自分がどんなものを資源にできるのか。
それにはどんな付加価値が付く可能性があるのか。
自営で生きていくためにはそこをしっかり掘り下げる必要があります。
雇われるにしても、自分になにが求められいて、どんなことができるのかを見極めるのは双方にとってめちゃくちゃ価値があることです。
亀成園の場合は、自給暮らしを実践して得てきたことを体験コンテンツにしています。なかなか人気です。
宿のお客さんのターゲット層を見極め、その人たちに情報が届き、縁があって足を運んでもらったら、満足度を上げることをいつもいつも考えて動いています。
里山案内人として、四季折々のネタをいつも磨いています。
そこに加えて、猟師の仕事に付加価値を付けていこうと思うと、、、

地域は何を求めているかな

いい仕事は自己完結ではなく、周りの人にも良い影響を与えます。
迷惑なものを役に立つものに変えると、継続しての仕事になるのでしょう。
どれくらい獣害があって、どんな獣たちで、住民からは搾取をしない形で自分の骨折り損にもしないために何ができるのかを考えます。
もし獣害が減らせたら、田畑や林業にもかなり安心で、そうするとここで生き延びることができる人がもっと増えて、地域の価値が上がるかな。
ジビエビジネスに人の雇用が必要になると、働く場所が増えて、住民が喜んだり、新しい人が来てくれることにもつながるかな。
里山に獣が簡単に降りてこないようになると、交通事故も減って、より安心して暮らせるようになるかな。
獣害が進みすぎるともしかして住めなくなる集落になるけれど、ピンチをチャンスに変えたら、豊かに未来を生きていくことができるかもしれない。
仕事を創るのは具体的な行動をコツコツと積み上げることが大事ですが、そこに向かう情熱の泉は深く熱くていいのです。
そのほうが、長期間に渡って頑張る理由になります。

やっぱり気になるのはジビエの美味しさ

獣害対策をしようというだけではなかなかやる気スイッチは入らない。
その辺の獣をわざわざ捕まえて、わざわざ自分で捌いて食べる肉って美味しいのかな。狩ができるとどんな楽しみがあるのかな。
人の意識をくすぐるときは真面目な話ばかりでなく、簡単に気になるような話が必要ですね。

亀成園園主が猟師になって8年。これまでジビエとの思い出はわんさかあります。
いつも食べている鹿肉でのBBQで、たくさんの知り合いをもてなしてきました。お客さんが来る前日に獲れる、なんてことも何度もあり、山奥まで来てもらった価値の一つとして彩りを添えてくれていました。

高級部位をローストビーフみたいにして、さらに手毬寿司にしたものを、ポットラックに持って行ったこともあります。
我が家での人気は餃子です。鹿肉ミンチとニラだけのシンプル餃子はさっぱりしていて何十個でも食べられてしまいます。中国で暮らしていたこともあって、お祝いには餃子というのがほぼ自給で叶うのは有難いことです。
スジ肉をカレーにしたり、削ぎ落としを麺と食べたり、鹿肉はハレの日だけでなく、日常に根付いているところがすごく好きです。

深い話と感覚に響く体験を

今回の出前授業は2日間にわたるものでした。
初めは1日目に講義をして、2日目はワークショップとして生徒たちにジビエビジネスを考えてもらうことをしようとしていたのですが、なんと鹿の脚一本解体体験をすることになりました。

獣の姿から肉になっていく過程

亀成園では通年オプションメニューで提供している「鹿の脚解体体験」は、運搬さえできれば実はどこでも実行可能な体験です。
自ら興味を持って来てもらう人には深く興味のある話ができるし、猟場の案内などもでき、満足度の高い体験ですが、対象となる人はそんなに多いわけではありません。
授業や勉強会などに呼んでもらって出張で行う方が、今後の展開としては可能性が高いかもしれません。
そんなわけで生徒らの反応はどうだったでしょう。

触って、匂いを感じて、意欲が湧いて

1日目の講義ではうつらうつらしがちだった生徒たちですが(そりゃそうだ)、目の前に獣の姿があり、動きがあると、しっかり関心を向けてくれました。
25名ほどだったので一度に体験してもらうことは難しく、見えにくいや声が届きにくいなどの課題もありましたが、先生が誘導してくれたこともあり、かなりの生徒さんにちょっとやってみてもらうことができました。
皮付きの鹿の脚から皮をはがし、骨付き肉になったのを部位ごとに分けていきます。
生物と刃物を使うので、安全にはかなり気をつけますが、危険な動きをする生徒はおらず、積極性と譲り合いとちょうどよい仲間たちの姿を見せてくれました。
「お、俺からいきます!」と手を挙げる子、「あ、じゃあやってみます」と並ぶ子、「俺こういうのあかんねん」と宣言してたのにやっぱりやってみようかなとなる子、先生に指名されておずおずとやって来る子と、学校の授業ならではの様子が感じ取れました。

解体のその後

食肉にはもうほんと様々な規制があり、目の前で解体されたものを食べる、ところまで体験としてはできないのがとても歯痒いところです。
こちらとしては好きに調理してもらえるなら構わないのですが、そういうわけにもいかずね。
でもこれを機に、食べてみたいな、どうやったら食べることができるかな、と欲望を膨らませて欲しいです。
そうすればジビエがどれくらい流通しているのかいないのか、獣がどうなっているのかが少し興味を持ってわかることができるかな。

そのうち亀成園にも来てね

ご縁があったクラスの生徒さん、なんか面白そうだなと聞きつけて顔を出してくれた生徒さん、そんな話があったんだぁと後から聞く人たちや活動に関心を持ってくれるあちこちの人たち。
また改めて亀成園まで足を運んでもらえたら嬉しいです。
ジビエ料理の試作品があれば、自己責任で味見をしてもらえるかもしれません。
関心が高まって、この地域や別の地域でも、解体施設やジビエ活用の仕事が増えていくといいです。
日本の里山を美しく未来に残していくのにちょっと見過ごせない獣害というものをいかに資源にするか。
いつでも頭に汗をかいて、チャンスを伺って、野望を膨らませています。

出前授業で解体体験という面白いチャンスをありがとうございます。
また他の学校や勉強会でも声がかかれば出向きますので、どこかに届いていきますように。

 

今回の記事はnoteに書いたコピーです。

私個人のことじゃなく、亀成園にまつわることばかりを時々発信しています。

元々は卵の定期便につけていた毎月のお便りバックナンバーの記録用だったのですけどね。

新しく書く方が俄然テンション上がる私にはバックナンバーの書き起こしはなかなか進まず、別の活用を考えています。

いろんな媒体を保管し合っていけたら良いなと。

長々とお付き合い頂きありがとうございます。

note.com

女性リーダーへの集合意識

高市早苗さんが日本初の女性総理大臣に就任したという歴史的エポックを受けて、一番よく聴くVoicyのパーソナリティさんがおっしゃっていた事があります。

曰く、これは女性の無意識下での集合意識が揺さぶられる出来事だと

ACイラストさんに早速このイメージが

政治に別に興味もなく、生まれてからを自分なりに精一杯過ごしてきたわけですが

自分が生きているうちに、日本の政治が女性をトップに立たせる事が起こりうるなんて考えてもおりませんでした。よその国や未来ではあっても、自分がいる今の現実とは結び付かないと思っていたのです。根拠はありませんがなんとなくで、これが厄介な意識下にありました。

それが実際に目の前というかタイムライン上に起こって、なんとはなしにニュースなどに触れていると、どうしても目にするのです。女性総理の姿を、声を。

それに触れると訳もわからず涙が出てしまう。

敬愛するパーソナリティさんの感覚は私とまるで同じなのです。

無意識下での集合意識が揺さぶられる

2025年秋の今、沸々と拳を握り締めている日本の女性が数多く居ます。別に急に何をするわけでなくても、自分を諦めなくていい、なんだかわからないけど無性に頑張ってみたくなる。

そんな想いを強めている数多の情熱が無意識下でつながって、これから何かどんどん変わっていく兆しが見えているのです。

 

無意識の世界、個体と切り離せない集合意識のことなども私は詳しいわけではありませんが、確かに何だか揺さぶられている実感があります。

 

私自身はこれまで女性であるということで大きく損をしてきたとは思ってはいないです。

幸いなのか、気付いていないのか、それとも多少のことでは落ち込まないようにトレーニングをして来たからなのかはわかりませんが、

姉妹だけだったこともあり、育てられ方や教育の格差は感じてこなかったし、会社や社会で「女はすっこんどれ」と直接言われたことはありません。

大学に入ってから体育会系の部活を始めてどうしようもない筋力の差は思い知って悔しかったですが、優遇されていることもわかっていたので別段不満はありません。

それでもせっかく社会人になってバリキャリを積み上げたい思いもあったのに、早いうちに結婚して相手の駐在に合わせて職を手放しました。

若いうちに海外で子育てができたことは得難い経験で後悔はありませんが、仕事がめちゃくちゃ面白くなってから結婚話が出ていたら、悶え苦しんだに違いありませんね。旦那さんの有用性をよく理解していて、私より稼ぎもいいとわかっていてもやっぱり、やるせない想いを抱えて生きていたのでしょう。

そして田舎暮らしをするようになり、子育てや人の出会いをめいっぱい楽しみながらもそこかしこで男尊女卑をほんのり嗅ぐことはあって、無駄に出しゃばり過ぎないように心掛ける処世術を磨いています。九州の田舎なら早々に発狂していたかもしれません。

 

男であったらやりたかったこと

力が弱いことや性差に、いつもじわじわと自信を奪われてきたのです。

私だってとことん力のある男なら、もっと気軽に放浪して、ロッキー山脈で泊まりがけでクライミングしてペットボトルで小水運んだりしたいです。

男性であっても超がつく健脚の冒険家でなきゃそんなことできませんが、究極の時にトイレどうしよう問題は確実に差が大きいのです。

したいというか、できる可能性が欲しいです。

男性だって放浪の旅や冒険が絶対安全ということはありませんが、気をつけなければいけないことは女性の何分の一でしょう。

AC写真よりロッククライミングのイメージ

差別とまでは思っていないけれど、じわじわと蝕まれるような感覚は思春期以降ずっとあって、それを娘たちに背負わせるのをなんとかもっと軽くしたいなといつも心から願っています。

 

女性は強くていい

女性のことを弱いとは感じません。むしろ何重にもたくましくて面白くて、変化への対応力やしなやかさはむしろ好ましく、女性であることは誇らしい思いです。

だからこそ、もっと堂々としていたいですね。

どの女性も「女だてら」なんて言われずに

どの女性も「女のくせに」なんて言われずに

どの女性も「女の子だから我慢しなさい」なんて言われずに

当たり前に強く賢く美しくありたいです。

 

女性総理の姿はそんな望みの一つの見事な画で、だから涙が出て勇気が出て、本来の優しい気持ちになるのです。

 

これからこの国が歩む道がどこまで華やかであるのか、苦しみ多いものであるのかはわかりませんが、重い雲が取り払われたような時代に一人の日本のおばちゃんとして居れる事がなんだか楽しいです。元々政治に期待をしているわけでもないので、一喜一憂しなくていいし、誰それのあれこれの言動にキリキリしなくてもいいです。

ただ、ロイヤルブルーを身につけてみよっかなというくらいの高揚感が心地よくて、まあでも私はそんな大層な役割もないから、余ったエネルギーを使って下さいとも思います。

集合意識で国の未来を守り照らしていきたい。

やはり女性はアマテラスってことかもしれませんね。

 

親子山村留学活動の出前授業で受け取った子どもたちの思い

親子山村留学活動についての出前授業

先日、小学校で児童に向けて、親子山村留学の活動について出前授業をする機会がありました。

児童(3〜6年生)に向けての話なので、今まで市議会の方や行政の方にしてきた話とは異なり、活動に対する思いや未来へのつながりをメインに資料を作り、話をしてきました。

親子山村留学の活動は、学校と地域、移住者の三方よしを目指して行っている活動で

①小学校がなくならないため

地域活性化のため

③移住者の居場所を作るため

という大義名分を掲げようと思えばいくらでも纏える活動なのですが、実のところそれが目的ではありません。

何よりも今いる児童にとって前向きなものであってほしいと常日頃願っているのです。

移住者が増えて居心地悪くなったな、ではなくて

いろんな出会いがあって楽しい。お互い刺激があって楽しい。

元々いる子も転入して来た子もどちらも安心して楽しい学校生活を送ってほしいと願っています。そんなこと伝える機会はなかなかなかったのですけどね。

親子山村留学活動の芯にある思い

20枚に渡っての、メッセージたっぷりの資料一部を紹介します。

青っぽい鳥と共にやんわりとしたメッセージ

元々親子山村留学の活動を始めたのは、小学校がなくなるかもしれないという危機感でしたが、活動を貫くのは割と前向きな思いなのです。

地域の人への恩返しと恩送り、それにこのままここに居ながら、新しい人を迎えることでの楽しみを受け取ること。それを小学校に関わる人みなで分かち合える良さがあります。

 

とはいえこの7年、いつだってスムーズに進んでいることなんてありません。

いつも何かで苦労している活動です。

周知活動だったり、機械トラブルだったり、思いのすれ違いだったり何かとね。

偉そうなことは何も言えないです。試行錯誤しかしてない。

でも、だからこそ目の前で話を聞いてくれている、山村留学をきっかけに来てくれた子どもたちは私には大事な存在だってことをこんな形で伝えることができました。

 

さてこの活動は当然私だけのものではなくて、いろんな人の力を借りています。その中には話を聞いてくれている児童の保護者さんも入っていて、近所の人にも関わってくれている人がいます。みんなは何をしているのかな。

親子山村留学活動で力を入れていること

得意を出し合って、学校を守っていることが伝わるかな

試行錯誤の末、力をいれることもだんだん固まってきました。

まずは見つけてもらわなくちゃどうにもならないけれど、ここで親子の学童期を過ごしたいなと思っても、住むところと親の仕事がなければ現実的には難しいことが多いです。

仕事をリタイアしていて家をドーンと買ってお金を湯水のように使える人には何の障壁もないのかもしれませんが、必死の子育て世代が田舎に引っ越すって、当然さまざまな壁があってしまいます。

 

自治体を挙げての活動ってわけでもなく、こちらもボランティアでの移住促進活動です。

補助金や援助はほぼどこにもありません。希望者は自分で勇気と金策を出すしかありません。

だからせめて少しでも条件のいい家を探し続けることと、仕事の伝手を持っておくことが求められています。それには顔の広い地域の素敵な人々の助けが不可欠です。

現在、親子山村留学で来てくれた10数家族の家はそうして探し出されてきました。

子どもにとっては、親に連れられて気付けばここに居たって感じかもしれませんが(低学年前での記憶がほとんどない私にはそんなイメージですね)、住む場所や親の仕事場について、誰かの助けがあったという感覚って、もしかして独りよがりな思考になることを助けてくれるかもしれません。恩を着せることは絶対にしないですけどね。じんわり伝わればいいなと。

 

その後、実際どんな活動をしているか、写真も見せながら一連の流れを知ってもらって

質疑応答の残り時間も気にしながら、サクサクとポイントを押さえていきました。

親子山村留学活動で気をつけていること

関わる人があちこちにまたがる活動なので、気をつけることもその数ありますね。

学校の都合、空き家の都合、それに希望者の事情もあるので、最善と思われる道を一緒に考えて探って、1組1組向き合ってきています。

もちろん次々に来て欲しい思いは強いのですが、ここでの暮らしがその親子にとって本当に望ましいかどうかはわからないのです。

例えば持病があったり、言葉の壁があったり、家族の事情があったりします。

親子山村留学での暮らしは、他の誰かが面倒を見てくれるわけではないのです。

田舎暮らしの適性や公立小学校の枠組みもあって、どんな人でも任せなさいとは言えません。

それでも話を聞いてみることはできますし、その上で現実的にできることを探っています。

 

小規模特任校なので、引っ越しをせずとも松阪市内であればどこからでも通うことは可能ですが、小学生に日々の遠距離通学を強くお勧めはできないという事情もあります。それでも希望があればもちろん歓迎です。

私たちが提唱しているのは期間の決まっていない山村留学というかほぼお試し移住なので、夏だけとか2週間だけとかではなく何年という単位で留まってほしいと願っていて、実際今までこの地域に来た人は皆何年も過ごす仲間になっています。

※最短で6年生の1年間だけという子もおりました。

何年にも渡る大きな決断と行動なので、一緒に考えて最適を目指していっています。

 

親子山村留学活動をこれからも

結構固い感じの話もしてしまったので、柔らかい願いも付け加えておきました。

〇〇だったらいいなぁってこと、という題で、自分でも問いを深める機会になればいいです。

個人の力は小さいようで大きくて、大きいようで小さいものです。

思いが共鳴すれば大きな力になります。

この活動が始まってから地域に来てくれた人の中には、草刈りや木の伐採を仕事にできるようになった人がいます。公民館の講座で講師を務めている人もいます。コミュニティ交通の運転士を務めるようになった人もいます。

子どもが安心して学校に行けるようにを一つのきっかけに来てくれた大人が、地域の新しい担い手になっている現実は、夢のような今なのです。

 

どうしても移住促進の側面が目立ちますが、本当の願いはこの学校を母校とする人たちのこと

長女がここに転入して来てすぐ数日後、「私、この学校を卒業したいなぁ」と言いました。

卒業した時の夢は「将来はこの学校の校長先生になりたい」でした。

現在高校生の彼女の思いがその頃と違っていても、私はその夢が実現不可能にならないための活動をしていきたいと願っています。

結局は個人的な動機ですね。それが他の誰かの個人的な動機と共鳴するといいのです。

 

子どもたちからの嬉しい言葉

こんなプレゼンをサクサクと駆け足でやって、質問タイムがかなりあったのに、チャイムには間に合わないという盛り上がりでした。

大成功ですね。

児童からの質問としては

「冬のイベントがないのはなぜですか」や「現在、どれくらいの空き家がありますか」

といった現実的なものから

「(活動をする私たちにとっての)この学校の魅力はどんなものですか」

「親子山村留学活動で今一番苦労していることは何ですか」

というしっかり向き合うような質問もありました。ありがたいものです。

 

質疑の時だったかプレゼンの途中だったかこんがらがってしまったのですが

親子山村留学活動はホームページを充実させていることで、世界中どこからでも問い合わせることができ、実際に海外からの問い合わせもあるという話をしていたら、子どもたちの目が輝いていました。外国の方からというより海外在住の日本の方が帰国する時、という問い合わせが2、3件ありました。現に最初の留学生はそうした流れでしたし、これからも可能性はあります。

その関連で児童に「外国からの子どもも来てほしい? どこの国からがいい?」

と何気なく尋ねてみたら、ものすごくワクワクした雰囲気になりました。

大きな声で「中国!」という子がいて、「韓国!」という声もありました。

 

海外の人の受け入れについては、軽々しく言えない空気のある現在ですが、子どもたちのまっすぐな思いに胸を打たれる体験になりました。

 

さてそんな動きのあった、山間の小さな小学校です。

キラキラした想いのある児童にまた仲間が増えてくれることを見守っています。

オンライン説明会は10/26。前日まで申し込み受け付けてます

 

小学校を選んでほしいそのわけは

インスタライブに出ましたよ

先日、親子山村留学のPR活動一環で、インスタライブにゲスト出演させてもらいました。

ライブ後すぐにアーカイブをリール動画で残してもらっているので、誰でも見られる動画になっています。

(ご興味ある方はInstagramで「香肌小学校」を検索してみてくださいね)

事前にものすごく考えてしゃべるのではなく、ある程度質問を決めておきながら、その場で出てくるものを楽しむスタイルでの話でした。

ゲスト出演が決まってから、何を伝えようかとずいぶん頭の中でこねくり回していましたが、実際出てきたのはいつも思ってはいるけれどそんなに言語化まではしていない、軽いけど大事な思いでした。

聞いてくれる人がいてのライブって面白いものです。

動画で話した内容は

主な質問と返答を振り返ってみます。

この宣伝動画は親子山村留学に興味がある方へのメッセージということだったので

1️⃣自己紹介

・10年程前に移住し、4人の子どもが香肌小学校にお世話になってきたこと

・コミュニティスクール制度が導入されてすぐからボランティアとして関わっていること

・親子山村留学の呼び込み活動を初期からずっと続けていること

をお話しました。

移住者としてはベテランになりますね。だからこそわかることも多いけれど、寄り添えるとは限らないので、新旧の移住者が協力しています。

2️⃣香肌小学校のいいところ

お題をいただいたので思いつくままに発表しました。

【第3位】子どもがそれぞれの個性を活かしてマイペースに居られること

少人数の学校は、どうしても一人一人が目立つので、群衆に紛れられないという側面はありますが、群れることなく自分らしく過ごせるというのは私にとってはとても魅力的です。

 

【第2位】先生が本当に丁寧に子どもを見てくれること

各学年が数人、複式学級で2学年合わせても6人から12人という環境なので、担任の先生や担任以外の先生らが一人ひとりの児童のことをよく知っています。

とびきり大きな声を出さなくても皆んなとの差別化を図ろうとしなくても、よい距離感で接してもらえます。

そして今のところ保護者としての私には信頼できる先生ばかりです。相性もあるかもしれませんが、親が先生を信頼しているというのは子どもにとってとても安心できることなので、10年近くずっと先生と一緒に子どもの成長を見守ってこられたことはとても有難いです。

 

【第1位】地域の人にお世話になっていることを親子で受け止められること

海外の人はびっくり仰天の開かれた学校です。もしかして国内の都会の人も。

地域の人との交流が本当に多いので、いつも何処かで誰かにお世話になっています。

だから子どもに「あいさつしようね」が当たり前に教えられるし、自分自身も学ぶことが多いです。

年長者を敬うって口だけで言ってもなかなか響かなさそうなものですが、当たり前の大事なことを心から親子で受け取れる学校環境はとても素敵です。

 

良いところを沢山出したので、そればかりではないことをということで

3.移住して苦労したところ

暮らしの思いがけない苦労というのは散々あります。

うちはお風呂を灯油ボイラーで沸かしていて、大きな灯油タンクに時々燃料補給をしなければいけません。わりと高いところに灯油のポリ缶を持ち上げてトポトポと入れる作業、私は怖くてできてませんよ。

かなりお父さん任せの暮らしなのでなんとかなっていますが、もし私が母子留学を考えていたとして、住まいの検討の段階で灯油ボイラーや薪ボイラーと言われても太刀打ちできる気がしません。

※実際には母子留学のお住まいではガスの給湯器を設置して使うことが多いです。

 

それと、虫はまだしも蛇、それも毒蛇のマムシが出た時はもう心が折れそうになりましたね。

対処できるようになるのに5年ほどかかりました。

今では相当たくましくなっておりますが、田舎での暮らしは穏やかだけではないことは伝えられたかな。

最後に

4️⃣オープンスクールの案内

実際に現地に足を運んで、暮らしを変えた人たちの話を聞けるチャンスです。

元々は街中で生まれ育った子たちもまるで違いなくそれぞれ活き活きしている様子も見られます。

特にこの秋のオープンスクールはほとんどの親子が参加するPTA行事なので、どの学年の児童も保護者もいて、広い校庭で子どもたちが駆け回ることもできます。

レクリエーションとご飯でぐっと仲良くなれますよ。

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山奥での小規模校を親子で選ぶ。

それが必要な人に情報が届けばいいです。

 

お申し込みはこちらからどうぞ↓

www.kahada-es.com

罠猟師になってすぐに

猟師の自覚を育てる今

今年のチャレンジのひとつであった狩猟免許の取得が叶いまして

ついこの間、私も猟師の端くれとなりました。

地域の猟友会に入会できるタイミングと試験後の免許取得のタイミングがズレたため

実際に猟師としての登録や実働はまだ先になりますが、しばらくは亀成園園主の補佐をしながら、猟師としての自覚を育てていけたら良いなとスロースタートです。

元々私の担う役割は自然と人々をつなぐインタープリターだと弁えているので、実働を少しずつこなして磨いていきながらも目的は凄腕ハンターではありません。良い響きですけどね、凄腕ハンター!

獣を狩って食の糧にするということが一部の人だけの特別なことではなく、もっと一般的なこととなっていくことで、それがそのまま地域の獣害対策になればなと願っています。

山や人の生息域に食肉資源があるのにちっとも活用されていないことで、田畑や林業に大きな被害が出ています。

活用すれば、共生できる。

端的にいえばその流れをちゃんと体感したいなと思っています。

 

ジビエの有効活用を一般化していく。

それによって里山の暮らしを守る。

私にできることはなんだろうか。

 

そんなことを願っていた私に、またとない話が持ち上がっています。

鹿の画像は借り物です

高校生と獣害について考える

農村の資源を使ってのスモールビジネスを学ぶ講座に参加した縁で、ある高校で出前授業をさせてもらうことになりました。

地域資源を使った仕事の話ということで、現在亀成園が担っている養鶏や民泊の話でもよかったのですが、獣害対策とジビエでも良いかなと打診してみたら快諾してもらいましたので

ちょうどこれから進めてみたかったことをテーマに話ができることになりました。

 

「なぜ今猟師を選ぶのか」

里山猟師がこれからどう生きていくか」

「獣害をチャンスに変えたら地域はどうなるか」

 

そんなことをもっとわかりやすく、興味を持ってもらえるように工夫して

学びの種を残してきたいなとワクワクしています。

 

豊かな自然を守りたいからこその狩猟

野生動物を捕獲して食糧にすることは自然破壊でしょうか。

人が木を切ったり狩りをすることに対して批判される方は一定数います。

人は全く自然に働きかけてはいけないという極端な発想になる場合があります。

 

うんうん、手を下すのって心が痛みますからね。

どの命も尊重するべきという主張が完全に間違っているわけではありません。

ですが現在急速に増え続けている鹿やアライグマなどは、植林された若木の命や、手をかけて育てた果物の命をないがしろにしています。偏った種がはびこると、生態系全体としてのバランスは悪くなって、植物の様子もかなり変わってきてしまっています。

鹿ばかりになっている近くの山は、どんどん草の種類が限られてきています。

鹿が食べられない毒性のある草ばかりが残って増えるなんてことがね。

 

バランスが崩れたのはこれまでの人の行いの結果であるのだから、全体を考えて、できることをしていくのが今からこれからを生きる人の責務ではないかと、まあ思うわけです。

 

新米猟師だからこそ

猟師を自覚して間もないのに、だからこそなのでしょうか、ちょっとだけ先を経験するものとして、若い世代に話ができるなんて、ありがたいことです。

獣害対策や里山保全、地域づくりなどという話題はすぐに成果が出るものではなく、長期的アプローチが求められるので、いつだって次世代にどうつないでいくかということが求められています。

私の知識や経験だけでは不十分とは認識しつつ、つないでいく機会は逃さずにいたいです。

 

そしてまた、学びを深めることや、他地域の事例を知るために、

3年前から行われている「鳥獣被害対策アドベンチャー」という研修プログラムにも申し込んでみました。

早速キックオフのオンライン研修を楽しんだところです。

roadto-choujuhokaku.com

獣害対策の話は興味が尽きません。

今のこの前向きな感覚がこの先たくさん経験を増やしながら、灯火消えずにあるといいな。

 

生徒さんたちに話をする前に、この本も読み直しておくつもりです。

ジビエのシェフと猟師がギリギリ自分らしく生きていくストーリーです。

作家さんが書いてくれる物語があるおかげで、きっと私は偏らない視点で話ができるのです。

 

見守るだけの時間を捧げて

時間の使い方を省みる

この3週間、私は空き時間を小さな鶏に費やしています。9月になかなか書くのが進まなかったのは、ひたすらそのことと結びついています。

3週間前、ひょんなご縁でアローカナという鶏を引き取ることになりました。

現在うち(亀成園)ではゴトウもみじと烏骨鶏という2種類の鶏を、合計100羽目安に飼育していて

同じ鶏でも個体差だけでなく種類によってもこんな違いがあるんだよということをふれあい体験してもらえます。

もう1種類増やすならアローカナがいいなと以前よりうっすら願っていたところ急な話で迷いもありながらも、前進することにしました。チャンスの前髪、掴んで良いのかどうなのか。とりあえず面白そうな方向へ。

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とそんなわけで説明にもなっていないながらアローカナを大小・雌雄混合で10数羽引き取りに行き、声かけて3軒の鶏仲間にもらって頂き、うちに8羽残っています。

若鶏ばかりで雌雄混合なので、これから増やしたり繋いだりしていけるかもしれません。

烏骨鶏よりは産卵率も高く、薄青緑色の卵を産む不思議な鶏とのお付き合い、心地よく始めていけたら良いな、という舵取りをしたのです。

 

鶏を飼うって課題が結構多くてね

ところが鶏の群れというのはなかなか厄介なもので

1羽だけやたらと小さくて群れに入れられないやつがいるのです。

産まれるタイミングが遅かった数羽がいて、他の個体はうまく育たず1羽になり、群れに入れると攻撃を受けてしまうという状況でした。

引き取る時に既に悩みの種になりそうなのを放っておけずに持ち帰ってしまいました。

案の定、群れには入れそうにないので、庭先養鶏にして、外遊びをさせる役割を引き受けています。

他の鶏はすぐに園主に任せているのに、その1羽だけ私の責任です。

 

いわゆるヒヨコちゃんよりはもう少し大きくなりながら、一人前の鶏よりはうんと小さくてピヨピヨ鳴いていて、やたらと人懐っこいこの1羽は、とても可愛いのです。

外に出すとしばらく草や土をつついて、虫を捕まえたりするのですが、事あるごとに腕や肩に乗ってきます。

 

外に世界を広げながらも寄り添いたい気持ちの方が強く、少しずつ大きくなって力もついてくるけど

甘え上手な小さな命は10年ぶりに赤ちゃんを思い出すのにちょうどいい存在です。

 

ひよこと赤子が重なって

鶏は糞尿のしつけができないので、室内で放し飼いにすることはできません。

猫もいるうちでは自由にさせてやれるのは庭先で私が見てやれる時だけです。

だから限られたふれあいではあるのですが、毎日朝夕と、犬の散歩の前後にヒヨコのそばにいる時間というものを設けて、あたたかく見守っています。

これが意外とトータルで時間を取られることになっているのです。

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一度外に出すとしばらくはその時間です。

草むしりはできるけど、畑に連れて行くのはちょっと危険

ちょうど豆の選別や芋の皮剥きなんていうザ・田舎のおばあちゃんみたいな縁側作業があれば良いのですが、普段からそんなことしていないのに急に降ってくるはずもなく

メール返信やSNS投稿くらいはしながら、あまり目を離すわけにもいかず(気を抜けば猫が忍び寄ってきてハラハラしますしね)宙ぶらりんに過ごしながら見守っています。

最近は手に持っているスマホをつついてくるようになり、自分への注目を必要としています。

うーん、これめっちゃ子育てですね。

 

なるべく肌を離さずそばにいる

小さな冒険を応援しながらも危険からはしっかり守る

大きくなれよと願いながら、小さな姿を愛おしむ

その間、自分は止まっているからちょっと焦りが出ることもある

 

そうやって子育てをしてきた懐かしい記憶が引き出されてきました。

高校生の長女誕生から、末娘が3歳になるくらいまでびっしり10年間、私の時間とエネルギーのほとんどは子供の見守りに費やされてきました。

もちろん手助けはあって息抜きもできたし、きちきちのワンオペでもなかったけれど、常に乳幼児がそばにいたのです。だから食べて寝て動いてという、生きる上での基本的なことばかりを繰り返していました。濃密に小さな子供たちと過ごしていました。

 

しばらくは時間を捧げよう

アローカナのヒヨコが大きくなるのは多分もうあっという間です。

それでも今まで3週間とこれからひと月くらいは日々の時間を捧げるのでしょう。ちょうど外で過ごす気持ちの良い季節でもありますしね。

子育てをしながら季節の移り変わりに目を向けるのもまた懐かしい。ひょんなことで引き受けることになった小さな命から、わりと多くを受け取っています。

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どんだけ懐いてるねん、うちの子w

今日はこの子を膝に乗せて読み聞かせの練習もしましたよ。うちの子らしい過ごし方ですw

 

ちなみにアローカナについて、参考ページ

大人になった姿と卵のこと、オチもついて読みやすいです。

www.orangepage.net