勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

毎月短歌2024年3月の巻

いやぁ、まだあまり何もしていないのに気持ちだけで4月は慌ただしいぜ

旬を逃さないように思い出してまた頭がいっぱいになりますが

3月の短歌をここで公表です。

3月後半はもうね、鳥山明さんに捧げてました。

ACイラストさんから

ドラゴンボールを思い出すと止まらなくなるのは我々世代の宝物です。

ハマり度合いはそれぞれ違いがあってもおかしくないのだけど、語れば止まらないだろう友達の顔が無限に浮かんできます。

幼馴染たちと離れて暮らしているので夜通し語り偲ぶことは叶わなかったし、そうせずにポロっと漏らして歌にしていたのが私の追悼の形でした。

 

公民館短歌講座に参加していたのはかなり上の世代ばかりでちっとも通じませんでしたが(※そこがまたおもしろいなぁって多世代交流の底力を知りました)

町内配布の短歌一覧に載ったので、響いた人がいるかもしれません。

他者からの評価はそんなに気にしないけど、ハッとした方がいたら嬉しいですし

その時期ならではを残せる短歌作りの価値を改めて感じました。

 

載せてもらったのは次の2首です。

 

【四星球初めて覚えた中国語ピンポン球に印を付けた】

【姉叫ぶ「オラに元気をわけてくれ」十年ぶりに実家へ走る】

 

まっすぐではなくひねくれ入った私の言葉です。なれどイメージを描くならスーシンチュウの力は絶大です。

そして訃報を最初に知らせてきたのは姉で、バイブルが残っているなら実家にかえろうかと言い出しました。

姉はマジで10年も実家と音信不通になっているのに、それをぶっ飛ばしてもいい程の衝撃を受けたのです。

そして諸事情あって実際に、3月終わりに姉妹二人で実家を訪ねてきました。

家族にとってのかなり大きな出来事のきっかけとなったのが鳥山明さんだなんて、勝手につながっている気分にぐしょぐしょになります、何かが。

 

先程2首の前に作った追悼歌はこちら

【春霞空に巨大な元気玉強さ明るさ全部もらった】

流石にこれではドラゴンボール知らない人には通じないかなと冒頭の2首にしたのですが、どっこいどっこいのツーカー度合いですね。わかる人にはわかるしわからん人にはちんぷんかんぷん。

我々皆が空に手を上げているイメージです。そして光が降り注いでいる。

元気玉ってエネルギー集めるけど、それでみんなを助けるのだから、なんぼでもあげます。そしてもらうのです。今思ってもすごい設定です。

 

亀成園のための歌もわからない人にはちっともですが、これはマジな話でして、玄関扉はピンク色にしたかったのです。

【亀成園当初の予定は「亀ハウス」Z戦士の居場所願って】

 

両親とも一緒に観てたから、こんな歌もできたぜ

【母推しのブルー将軍あっけなく父推しタオになめられ逝った】

当時は推しという言葉はなかったけど、今だからできる言葉遊びです。

 

Dr.スランプ関連では

【遠足の弁当タイムでスッパマンあれが私の変顔デビュー】

楽しいことはみんな鳥山明先生が導いてくれた。本当にそうなのです。

 

そして一番私らしいのはこれ

舞空術使えぬ私はヤジロベエ心はいつもZ戦士だ】

キャラクター隅々までを愛する私はヤジロベエがとても好きです。

数え上げればキリがないドラゴンボール四方山話なれど

詩人としては言葉を縮めなくてはいけないのでこんなもので。

【卒アルに書かなかったほんとの夢占いババを今目指してる】

強さ明るさ面白さも全部もらったから、死ぬまでしつこく生きていく。