勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

飯高で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

空腹の快感教育

食育に関する資格を取ってみようかなぁと悩み中です。取ってやるぞ!、でなくて、みようかなぁの時点で闘志の燃え具合が透けてみちゃいそうですが、それなりに悩んでいますよ。なぜって、10年のおうち食事係の合間に試行錯誤を繰り返して、食の医学も食事療法も薬膳もはたまた野菜作りまで学び、実験し、ほぼ無病を成果としてあげている私は、食育に関しては無名の玄人と言ってもよいのです。見映えはともかくとして。単に食べることに関して健康オタクなのかもしれませんが、幅広く抜かりなく、四季折々、陰陽にも乗っ取り、もうパンパンになりそうな食育知識と日々共にあるのです。


もしこれを家庭に留まらず、地域社会に活かすなら、やはり資格がいるのかな、どんな資格が適しているのかな、ということを考えていますよ。どうやら時代は食育に傾いています。至る所で啓蒙されているようですが、意識の高い人とそうでない人の格差はいかに。教えられることがあり、学びたい人がいるのなら、伝えたい子供がいるのなら、私も頑張ってみなければいけませんかも。そういう人のために手軽に取れる資格が幾つも出回っています。


でも資格に飛びつく前に、また書物に飛び付きました。随分前、世紀末の十年余りも前に精神科医によって記された『食からみえる心のサイン』石田一宏(芽ばえ社)が目に留まったので、一読してみたところ、食育がなぜ昨今やたらにもてはやされるのか、三十年前から見えていたのに防げなかった現代社会の問題をヒシヒシ感じる気付きがたくさんありました。


毎日当たり前のように、就寝、起床と三度の食事が整っていることが、家庭の役割としてどれほど大きいのか、しっかり休んでバランスのよい安心できる食事ができていれば無敵ではないかと示唆させる臨床医の見解に、でもそれは時間にも気持ちにもゆとりのあるお母ちゃんがいなければ、実はすごく難しいよなぁと唸ってしまったのです。家族の元気はヒマな母を基に支えられているとすれば、一億総活躍社会と相容れなくて、社会での活躍からはみ出している私からすれば頷きたいところですが、そんなことで鬼の首を取りたくはありません。私も活躍したい。


それならばとまた読んでいくと、今だって誰だって気をつければできるヒントがありました。


食欲がなく元気のない子というのは、空腹を感じることがあまりないというのです。始終お腹を鳴らしている我が身には驚愕ですが、「腹減ったぁ」と大きな声で言える子は大体元気いっぱいです。どうもこれにもちゃんとしたメカニズムがあるようです。たっぷり空腹感を味わってから満たされた場合と、空腹を感じることなく食べることが繰り返された場合、前者は食に対して後者よりうんと前向きになります。食事前、特に夕飯前なんか、お腹を空かせてヤイヤイ催促する子供たちを誤魔化しながら食事の支度を進めるのは結構大変で、先にちょっと与えてしまえば静かにはなりますが、本番の食卓での勢いはありません。おやつが遅くなってしまった場合も然りですね。食事にガッツかないというのは、礼儀正しくて望ましいことにも思えますが、生き物として、夢中で食べる場合となんとなく摂取するのでは、細胞の活性化具合は随分差があるような気がします。


しっかりお腹を空かせてから満たされる、ということが繰り返されると、脳は空腹を良いものだと認識するようになるそうです。「お腹が空いて気持ちイイ」、「待ち遠しくて気持ちイイ」、「やっと食べられて大満足」と見事なホップステップジャンプで身体は食に前向きになります。


なんとなく時間を区切らず食べて、空腹を感じ切ることもなく胃にモノを重ね続けていく場合、どこに満足があるのでしょう。果たして、「腹減ったー」と大きな声で訴えることもなく、「もうすぐご飯だ、がんばろう」と己を鼓舞することもなく、「あー、美味しかった」と全身がとろけるような幸福を味わうこともないのです。


毎日なんとなく食べる場合と毎日ドラマチックに食事する場合で、その人のエネルギーが変わってくるのは不思議なことではありません。


昔から「空腹は最大の調味料」と言われるのは単に貧しさの誤魔化しではありません。私は時々本当に何にもおやつがなくて、子供達の空腹を極限まで引き上げてしまうことがありますが、一見可哀想な有様が、彼らの生きる力につながっていたのかもしれませんよ。いやはや食育とは食事作りだけではなく、学びがいのある楽しいテーマであります。