勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

日々とかげ

長い梅雨がようやく佳境になり、終息しようとしています。もう一雨きたらいちおうの季明けということになりそうで、ホッとするようなそれはそれでまた文句言ってしまいそうな。今年はコロナ騒動ばかりがクローズアップされていますが、それは人とウィルスだけの関係性です。一連の大きな出来事ではあるけれど、生物界全体で見ればさほど大きな出来事でもないかもしれないのです。もちろん人に関わることが一番騒ぎになりやすいのは百も承知なのですが、コロナに拘ってばかりで見えていないことはないだろうか。もっと大きなうねりを見落としていないだろうか。都市部から離れており重症化しやすい疾患を抱えてもおらず、両親との同居もなく自給率の高い身分なので、コロナ騒動に動揺することが少ない日々が送れています。

 

それで気付いたことは、何か。今年は虫が多いです。そして爬虫類も多いです。

 

そんなこと都市部には関係のない話なのかもしれません。けれど十二分な湿気があり、日に日に気温が上がってくるこの季節、敷地内やお散歩コースで目にする爬虫類の数が例年より格段に多いことは、私には無視できない予兆です。扉を開けるとカサカサカサ。大体が虹色トカゲですが、カナヘビなこともあります。既に逃げていて尻尾だけのときはわかりませんが、体全体が見えると腹の辺りが膨らんでいることが多いです。つまりしっかりお食事されたということで、トカゲの個体が増えても十分な虫がいることがわかります。まあ虫は以前から十分多かったのですが、アンバランスなことはないはずなので。トカゲやカナヘビがちょろちょろしている状況は私には好ましいです。あまり増えると気温が熱帯化しそうで心配にはなりますが、しっかり虫を食べてくれたらいいなと期待します。けれど爬虫類といえば、蛇もいるわけで、むしろより大きな存在である蛇がいるからとかげたちも増えることができるのでしょう。

 

おります、おります、ニョロニョロたちも。雨上がりの暑かった日、一日で5匹見たのが今までの最高記録です。外歩き好きですがずっと外仕事をしているわけでなく、一日数時間がせいぜいなのに、5匹も遭遇してしますとは、流石にゾッとギョッとしました。ちなみにその日トカゲはもっと多くて確認できただけで8匹も見かけたでしょうか。今年は私の自宅滞在時間が長くなったこともありますが、今まで夏の一日家の周りでいるような日でもこんなに見かけたことはなかったので、いかに異変が起きているのかが感じられます。昨日今日はもっとトカゲに遭遇しています。

 

オタクっ気の高い子供たちと一緒で、図鑑を眺めるのが未だに好きな私なのですが、今まで爬虫類図鑑を家に入れたことはありませんでした。動物、鳥、魚、恐竜、昆虫、花、大自然の不思議、危険生物で十分だったのです。だがしかしこの状況では、爬虫類図鑑に手を出さずにはいられないかもしれません。幾多のニョロニョロが家の中にある図鑑の中にあると思うとぞわぞわするのですが(要するに生き物は大概好きだけれど蛇はまだ苦手なのです)、知らずに恐れるより知って向き合ったほうがいい。

DVD付 は虫類・両生類 (講談社の動く図鑑MOVE)

DVD付 は虫類・両生類 (講談社の動く図鑑MOVE)

  • 発売日: 2013/06/21
  • メディア: 単行本
 

 マムシが一番危険な夏の土用(噛みついてくるそうですよ)が無事に過ぎても、世界はなんら平穏無事ではありません。リスクがどこにあるのか自分が何をすればいいのか、完全にはわからなくとも、怯えずに呼吸が浅くならずに暮らしていきたいものです。情報の渦に巻き込まれて脳が委縮してしまって小さくなって震えているよりも、自分で知りたいことを捕まえて、堂々と判断していきたいです。間違ったらやり直して、ぶつかったら上を向いて、笑って共生していく世界で生きていきたいです。どうぞ皆様、暑中お見舞い申し上げます。夏を楽しむ心意気でいて下さいね。

森のくまさん

つい1週間前にこのあたりで熊が目撃されました。毎年目撃情報はあり、山奥に居ることは分かっているのですが、あまりにも近い場所だったのでしばらくはこわごわとわくわくの狭間に おりました。熊が里におりてきたとき思い出すのはこの本です。「日本熊森協会」を作られた元教員の著者とかつての生徒たちの熱い思いが詰まっています。

 熊と人は共存できるのだろうか。人がいなくなった里は熊に蹂躙されるという笑えない予想もある中、まだ里山に残る人は真剣に考え、手を打っていかなくてはなりません。

以下亀成園のHPブログからの転載です。

「亀成園のすぐ近くで、ツキノワグマの目撃情報があり、警戒態勢が取られ、捕獲されるという一連の出来事がありました。

1メートルに満たないような小さな熊だったようですが、本当に目と鼻の先であり、子供たちの通学路でもあったので、早く事態が収まって一安心です。
 
この辺りの地域は地名が「森」なので、どこかのどかなイメージが付きまといますが、野生の熊に出くわしたら最悪の場合を覚悟しなければなりません。冬眠前後の時期と違って夏のこの時期は食べ物も豊富にあり、熊のほうから向かってくることはまずないのですが、なわばりができてしまったら危険です。もし田畑に出没するようになると放っておくわけにはいきません。亀成園にとっては鶏小屋を壊されたら大変です。とにかく力の強い大型の生き物なので、里山におりてくると生態系にも影響が出てしまいます。なんとか山の奥に戻ってほしい。熊の目撃情報から数日、そればかりを願っていました。
 
熊は恐るるに足る危ない生き物なのですが、山にとってはなくてはならない大事な生き物です。熊がいてこそ山は保たれると言っても過言ではありません。大型の生き物が居て、小型の生き物が居て、大きな木が育ち、小さな草花が育つ。多様な生き物がバランスを保って生態系を形作っています。日本の山にはもう狼がいないので、熊はとりわけ重要なのです。けれど頻繁に人家に降りて田畑を荒らす癖がついてしまうと、もう山に帰すわけにはいかなくなります。アイヌ文化にあったように神送りの習慣が残っているといいのですが、現実は殺処分。人は守られても熊が守られない世の中にはなってほしくないなと思っていました。
 
今回はご近所の猟師さんのくくり罠にかかり、県の職員さんが麻酔銃で眠らせ檻に入れ、山奥に放して事なきをえました。多分発信機も付けられたので今後山を下りてくるようなことがあれば早急に発見することができるのでしょう。無事でいてくれるといいです。
 
ほんの数日の出来事でしたが、地域には緊張感が走りました。多くの人にとっては不安が大きかったのかもしれませんが、個人的には生き物発の緊張感は悪くないとも思うのです。熊だけでなく蛇にしても。今自分たちがいる地はヒトだけのものではなくて、たまたま居合わせている。現実はアスファルトで固められた道路を自動車で走らさなければ暮らしていけないけれど、山が削られ川が埋められヒトだけが生きることを許されたような場所では私は到底生きていけません。近くの山のどこかに熊がいる。突き飛ばされたらひとたまりもないような猪もいる。もしかしたらもしかしたら狼もいるのかもしれない。そういう獣の息遣いをどこかに感じながら暮らすのが好きです。ものすごく近くまで下りてきて欲しいとは思わず住み分けたいのはやまやまですが、こちらが山を荒らしてしまえば代償は払わなければいけない。大きなくくりの中で共に生きていきたい。熊が暮らす場所を守れる仕事がしたい。そう思っています。
 
それにしても頼りになるのは熟練の猟師さんです。亀成園の園主もくくり罠で猟をするようになって三年。得意な地道な努力のおかげで少しずつ腕を上げ、猟に興味を持った人にいっぱしのレクチャーができるようにまでなりましたが、熊に対峙するのはまだまだです。宮沢賢治の『なめとこ山の熊』にも出てきたように、熊に向き合える猟師さんというのはどうも格があります。肝を据えて呑まれず気を抜かず。地域の猟師さんも高齢化が進み、いつまでも頼るわけにはいかなくなってきているので、そのうち引き継げるようにならなければいけないのですが、まさか熊にまで向き合えるようにならなければいけないとは。そうすぐではないはずですが、あまり時間はありません。身を引締めてこれからを見据える必要が見えてきました。
 
森に人を呼びながら、森から熊を排除しない。亀の歩みで間に合うことを望みます」
 
この話の後日、件の猟師さんと直接会ったので少し話をすると、久々の熊との出来事は「おもろかってん」とのことでした。やはり格が違います。影響を受けたい人が近くに居てくれる幸運を受け止めて、次につなげることにしましょうか。
 

 

どうにもぬるいとゾワゾワしていたら

フィリピンの首都マニラから南へ50キロに位置するタール火山が噴火したようです。

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Dante Pamintuan氏 撮影

 

フィリピン郊外の地で暮らしていた時は何度も訪れた場所で、火山湖の中にある火山湖という珍しいロケーションで、楽しい記憶がいっぱい詰まった場所です。湖を小舟で渡り、馬に乗って山を登ることができました。

 

以前暮らしていた時の友達らの投稿は当然この話題でもちきりです。とりあえず皆無事ではいるようですが、停電や流通のストップで暮らしの深刻さが増していくのはこれからなのでしょう。復旧スピードに日本標準を求めてもいけませんし。

 

町中が火山灰だらけと聞くと、桜島を想起させますね。ある程度の予備知識があり慣れがある中での火山灰なら共存もできるのでしょうが、あの穏やかだったタール火山が一気に噴火したとなるとやはり冷静でいるのは簡単ではなさそうです。

 

今年の冬は生温すぎて、何かありそうだと落ち着かないでいたら、早速所縁の地の一つに天災があったのでなんだか混乱しております。無事に収まってくれたらいいのですが、収まったらそれでよしというわけにはもはやいかないところまできているのでしょう。地球がガスで満ちていくのを次々知らされるのが必至になっているのかもしれません。

 

苦しい中できることはなんなのだろう。ちょっとでも力があれば火を鎮めて温かくなり過ぎている海を冷やしたいですが、それはあまりに壮大なパワーが必要です。

 

なんだか書いても書いてもGoogle翻訳のようなぎこちない文章になりますね。動揺隠せないほどに心がざわついているのです。

 

タール火山のあるタガイタイという町は、暮らしていたサンタロサより高原で、果物がわんさか売っている町です。山の斜面がパイナップル畑になっていて、馬が多くて、素敵なレストランもいっぱいなところです。マニラには行かなくてもいいけどタガイタイにはまた行きたい。とりあえずその思いだけ、今は大事に留めておきたいです。

 

※改めてカテゴリー分けをしていたら、この記事は当てはめるのが難しかったです。とりあえず「森林と生物多様性など」に分類しました。火山灰と生き物の関係など、その後のここがどうなっているかを知りたくなるように。

科学作品展2019

今週のお題「夏を振り返る」

 

毎年夏休みが明けると次の週末は、松阪市での小・中学生科学作品展があります。夏休みの工作や絵画、自由課題、自由研究などの中で理科分野の作品を集めて学校が応募したものが市の文化センターで展示されます。出品されたほとんどは「入選」となり参加賞としてノートがもらえるので、我が子は毎年なるべく自由研究を一つは行うことにしてノートをもらっています。集まった作品の中で審査員の目を引いたものは「特選」として、きっと違う副賞があるのでしょう。更に際立っていた作品は「特選A」として別の場所で展示されたりするようです。なんと鼻の高いことでしょう。我が子のは出品する前からたいしたことはないなとわかりきっていたのですが、いろんな作品展示を見るのが好きなのでで、出来る限り訪れるようにしています。我が家からだと一時間以上かかって一仕事ですが、公園もあり埴輪館もあり、市街地の中では好きな場所です。我が子たちが大きくなって自由研究なんかしなくなっても嗅ぎ付けて訪れたいなと思っていますよ。

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それにしても近頃は自由研究のレベルが甚だしく上がっているのでしょうか。確かに私が子供の頃より数多くのキットが売られているし、子供用科学雑誌も売れているみたいだし、気になった情報はインターネットでいくらでも手に入ります。何かを知るだけなら不足ない時代になっているので、ネタ集めなら事欠かないのでしょう。なので画用紙一枚、ノート数ページを埋める科学的自由課題まとめならいくらでもできるとは予測できるのです。ですが実際に科学作品展に集まった小・中学生の作品は、そんな生易しいものではありませんでした。大きな模造紙を10枚も使って何十枚も写真を貼ってこれでもかと埋め尽くしていたり、身近な薬草集めとして二十種もの草を採取し、乾燥させて薬効を調べて煎じていたり、草木染め作品として夏に手に入るほとんどの野菜で染めている子もおりました。費やした時間と労力は並大抵ではなさそうです。

 

櫛田川で釣れる魚を調べたり、異なる箇所での水質を比べたりの川が近いという環境を活かした研究もあるし、電池を使った動力装置を作ったり、この時代らしくプログラミングの研究もありました。各学年五十点以上出品されているので、全てをつぶさに見る余裕は時間的にも気力的にもありませんでしたが、偶然か必然か、幾つか目を引いた作品もあります。夏休みの間ずっとカマキリにいろいろな虫を一つずつ与え、後半は脱皮の様子を観察した記録や、柔道の背負い投げを力学的に考察した作品は特に興味深く見せてもらいました。児童・生徒の好みが強く表れている研究は見ているこちらも惹きこまれます。それらに比べて我が子たちのは内容も情熱も薄っぺらで、研究者向きではないことが垣間見えましたが、せっかく様々な優秀な作品に触れたので、来年は活かしてくれるでしょうか。この時期の感動が夏前まで薄れていなければ或いは。

 

本当に様々な面白い作品がありましたが、特にズバ抜けて心を打たれたのが下記です。

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名前を伏せるため表紙の一部、脅迫状のような部分のみしか出せませんが、ここだけでもこの子の気合が伝わります。八切り画用紙を五十枚は下らない大きな研究でした。

 

近くの川にミシシッピアカミミガメが沢山いるのに混じってニホンイシガメも少しだけ生息していることに興味を持った少年Hは「ニホンイシガメの住む川にしたい」という熱い思いで津市の博物館や遠く兵庫県の水族館の研究員を訪ね、根気よく尋ね、イシガメを守りたい想いを込めて自治会長に手紙を書き、自らもイシガメの卵を守り孵化させ、とんでもない情熱で自分のできる全てのことを実行し、記録しています。昼間の親子連れや祖父母で賑わう明るい会場内で、あまりに感動して滂沱しそうになりました。なんてすごい子がいるのだろう。それもテーマは亀。この研究をまるごとノンフィクションの本で残しておきたいです。少年Hの調べによれば、彼の近所の川では2010年の時点では生息する亀の八割がニホンイシガメだったのが、十年も経たないうちにニホンイシガメは二割もいなくなってしまったそうなのです。外来種の席巻は猛烈な勢いです。亀の好きな少年Hは、そして私も外来とはいえミシシッピアカミミガメを憎み殺すことはできませんが、繁殖を抑え、古来種を守りたいと願っています。同じく願いながらも何もしてこなかった私とは違い、少年Hは調べ抜き、行動を起こしました。

 

彼のテーマがこれからどう継続していくのか発展していくのか、大きな流れをおこせるのか世に出ず埋もれてしまうのかわかりませんが、とりあえず「特選A」として今月末にみえこどもの城で再度展示されるので、気力を満タンにして再度見に行きます。突き刺さる作品に出会えた松阪市の科学作品展に感謝です。

すべては幼い頃の学びから

#迷いと決断

 

楽天的というのはポケッと思慮浅いことではなくて、「天命を楽しむ」との意味で使われるらしいです。天命というとどこかの偉大な英雄の話みたいだけど、私のも周りの人のもみんなそれぞれの人生は間違いなく与えられ、導かれて期待されています。誰にというか、何かにというしかないのだけれど、親よりも師匠よりももっと大きなおおらかな期待に応えるのが人生だなという気がするのです。特に中年になってからはね。それなら期待に応えられるほど立派な人生を送っているかといえば甚だお恥ずかしい。それでも今の暮らしに至るまでは両手両足の指では足りない程の迷いと決断を重ねてきました。

 

私が児童、生徒で学んだ頃、ドラえもんの影響なのか時代の流れなのか年々エコロジーの学習が多くなっていった実感があります。ゴミを減らそう、水を汚さないでおこう、エネルギーを節約しよう、ソーラーカーを実現させよう、地球に優しくしようといった学習を手を替え品を替え受けさせてもらったように思うのです。

 もちろんそれと並行してテクノロジーは加速的に発達して、音楽はカセットからCD、MD、iPod他に次々変わっていき、通信は手紙からポケベル、携帯メール、SNSスマホアプリにドサドサと移行し、ゲームもサブカルも流行り廃りが激しくなって、コミュニケーション手段は多いのに共通認識を持つのは難しいという時代になっています。これも「個性を大事に」という教育の賜物なのかもしれませんね。

 

上記二つの流れにあって、最近組織に属さず自分勝手でも地球を守ろうとする人が増えてきたような気がします。波長の合う人を世界規模で見つけて新しい仕事を始めています。うちの亀成園はまだ大きな仕事とはいえませんが、これから未来を生きていくモデルになればといつも心がけています。目に見える国の生産力には逆らうのかもしれませんが、エコロジー教育を授けた人々には喜ばしい流れであってほしいですね。

 

私が人生で迷ったことといえば、進学するかということと、ただ稼ぐために仕事を続けるかということ、いつまで町で暮らすのかということかな。我ながら本当に勝手なものです。結婚や出産では悩みはあれど迷いはなかったので、決断はいつも私と地球を軸に下されていたような気がします。未来を考え信じるために学びを深める道を選び、なんとなく仕事するのは生きていく甲斐がないと苦しみ、消費者として浪費を続けるのは嫌で生産者側に回りたいと決めました。

 

冷蔵庫はすっきり、畑はどっさり

家電は少なく、労働は多く

薬は最小、日々薬膳

 

ちょっと恥ずかしいけど、貫かれてます

そんな暮らしを選択し継続するのに必要な決断は、いつだって守りたいものが根源にあったからです。地球の未来、子供の未来。それを思うと街で消費し続けて暮らすわけにはいかず、自己評価を稼ぎ額に代用してもらうわけにもいかず、何処にあっても生きていくたくましい身体と知恵こそが私に必要なものだと決めなければいけなかったのです。

 

決断してからだって人生は楽にはなりません。もがいてもがいて毎日を過ごしているのが事実ですが、いつかしよう、と思うことはあまりないのです。今年やりたいこと、今月やりたいこと、今週やりたいこと、今日やりたいことが暮らしに詰め込まれています。早いとこお茶っぱ乾かさないととか、にわとり小屋の掃除をしなければとか、米作りを書き残さなければとかです。課題に追われてはいてもストレスが少ないのはこのためですね。晴れたら外、雨ならウチ。現在の迷いと決断はこんなにシンプルになりました。

大発生の裏側には

時代が変わって三日目の五月三日に飯高町ではハエが大発生しました。四日も一日中ブンブンしており、五日もかなりでしたが今はもうあらかた収まっており、あんなに居たのが嘘のようです。

 

もちろん大量のハエを野放しにしていたのではなく、ハエ叩きで叩き落としまくり、ハエ取りリボンで捕獲しまくり、相当数の個体をやっつけはしたのですが、いちどきに大発生して今はすぼんでいった現象が不気味です。

 

私が何らかを放ったらかしにしていて湧かせてしまったのかと思っていたので恥ずかしかったのですが、他にも急に増えたという話を聞いたし、スーパーでハエ取りリボンがあっという間に売り切れたそうなので、我が家だけでなく地域全体での大発生だったようなのです。

 

新月や満月のときに虫が出やすいというのは聞いたことがあるし、実感したこともあります。人間の子も満潮時に生まれやすいと言いますね。だから四日の新月が特別なパワーを持っていたのかもしれませんが、それだと生まれてくるだけなのに、大きな個体が大発生した理由にはなりません。一気に育っていたのは何故なのだろう。

 

もう収束したたかだか一田舎のハエ事件なのかもしれませんが、なんだか気になって仕方がないので疑問を残しておきます。

 

緑のカエデの美しい季節、何事もなく平和に過ぎてくれることを願って。

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写真は波瀬地域の泰運寺のものです。大きな鐘の音を響かせて、新緑と清流の美しさを愛でました。

シブシブ穴場を教えます

咲き始めの早かった今年の桜ですが、寒波のおかげで予想より長く楽しむことができましたね。どこに行かずともどの木も雄大で立派なのが田舎暮らしの特権でもありますが、どこにも出かけないのも却って落ち着かないのでお花見も行きました。亀成園から車で10分もかからないダム湖の一画が桜でいっぱいの公園になっていて、超穴場です。対岸からの写真が撮れなかったのでわかりにくいですが、立派な桜が百本くらいありますよ。

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津本公園という名前も付いていて、香肌峡の地図には載っているけれどカーナビには出ないような知られざるスポットです。地元では昔は桜祭りも行われていたので地域の人は訪れますが、看板もないような場所なので、知らなきゃ気付かない公園ですよ。もっと宣伝して屋台を出す価値もあるようにも思いますが、平日は独り占めできるような今の在り方も秘密の贅沢感があってよいものです。

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ここで子供たちは毎年木登りをします。下から眺めるより近くで花を楽しむ格好のつきあい方ですね。この木は私の、あっちは姉のと我が物顔で占領していました。「ママの木登っていい?」と言われ「いいよ」と気楽に答えていたら他の人もいたので、変な誤解をされていなきゃいいのですが。みんなの木ですよ。

 

いつか優雅にここのヘリポートに降り立ってみたいと宣言しておきます。

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ここまではもう終わってしまった話ですが、枝垂れ桜を眺め下ろしたい方にうってつけのスポットは高見の郷はこれからが盛りです。

 

https://shidare-sakura.jp/

 

こちらはテレビや雑誌でも宣伝されており、毎年連日観光バスが来るような観光地ですが、広さのわりに人口密度は少なくて、まだまだ発掘されきっていないとっておきですよ。山を活用するために枝垂れ桜ばかり千本植えて、上から見下ろせるようになっている場所です。こんな豪快な計画を実行した人がいたことに驚きですね。

 

天空と名付けられたその山の上から見下ろすと人は何を思うのでしょう。ドローンほど自由に飛んで見下ろすことはできないけれど、魂が浮いて空から見るような気になるのでしょうか。里山にいるばかりでしばらくどの山の山頂にも訪れておりませんが、心のモヤモヤを昇華してくれるような場所に行きたいものです。あまり人がいなければいいなというわがままな気持ちと、沢山の人が美しい眺めを味わってほしいなという気持ちとに挟まれて、静かにご紹介です。