5月ももうあれよあれよと進みます。GWバリバリやったのでね。
公民館講座で提出している4月の短歌まとめを今更ですが忘れずに。
一首目は
【憧れた朝活チャンス到来す六時のバスで子を送り出す】
とにかく5時起きしてお弁当を持たせてバスを見送るので毎日必死でした。昼間は意識ぶっ飛んでいてもいいから兎に角朝の送り出しだけはと、思いを込めて。一場面切り取りにならずにふわっと詠んでしまいましたが、先輩の多い講座なので「やったやった」と共感が得られた一首でした。きっとお便りを手にした町民の共感も多いのでしょう。
二首目は
【わが町の春待ち開いた桜木を一本残らず褒めてやりたい】
なんだか開花が遅かった桜ですが、あちこちで見事な花を見せてくれました。そわそわと落ち着かない季節なので得意ではないのですが、どの花も見逃したくなくて、外出や移動が多くなる頃でもありました。広い町内を隈なく移動して、どれもを愛でることはできたでしょうか。いや、道の奥、山の中にあればとても回れないことはわかっておりますが、誰かには褒めてもらっていてほしいな。
やっぱりふわっとしてしまいましたが、自分らしい歌になりました。
その他この時期に作った歌として
【自家製のお茶とアラレ準備して電車で帰る子供らを待つ】
おばあちゃんちに一泊してきた春休みの一コマ
私の暮らしの方がよほどおばあちゃんみたいです。
【六年生ランドセルにはずっしりと責任感を詰めて歩けり】
小学校最高学年となった息子の登校初日は、どれだけ荷物を持って行くのだというほどパンパンに膨らんだランドセルでした。なんだか緊張していた彼の想いは責任感だったのかな。
【花散りて縮んだ身体伸ばしたらブーツを脱いで草履をはこう】
靴屋の宣伝ではなく私の衣替えならぬ靴替えシーンです。スニーカーはあまり履かずになるべく草履なので、季節をすっ飛ばすようなこんなことに
【絶え間なく君の遠吠え響いてる赤ちゃん夜泣きを思い出させる】
発情期の雄犬がひたすらやかましかったとき、ただでさえ早起きの寝不足で気が遠くなりそうでした。
今月はこんなかんじで
大体15首くらい勢いよく書いて、人様に見せられるのは1首です。
そしてもう明日は講座の日。
言葉をかき集めて連ねてこねくり回してなんとかふたつ
目覚ましが鳴る前に起きてうつらうつらとしているときに、なかなかいいのができたのに、朝バタバタしているとすっかり逃がしてしまいました。
日常の中の創作はそうやってすくい逃しながらなんとか進めていくのが好きです。
同じ時期に講座に入った友達が負担を感じて休会してしまうということが先月ありました。近くで暮らしていてもそんなに会うことはないのもあって、ひと月に一度でも想いを共有できる機会はとても大切だったのですが、負担だったとは残念なものです。
表現の仕方は人それぞれですし、皆が必ず表現しなければいけないわけでもありません。それでも彼女は表現するに足る世界を自分で作り上げて生きているし、絵や写真の奥深さを求めて短歌に挑戦してくれていたのに、手応えより苦しかったのかな。
私は言葉と少しの音楽以外何もできない人なので、上手く詠めずに上達が微塵も感じられない苦しさがいくらあっても、それでも言葉を求めてしがみつくしかできません。実際問題創作なんて楽しさと苦しさは半々です。より楽しく作るにはより苦しむこともなければ到達していかないのが志している道です。
詩歌に捧げる時間を増やせば増やすほど、ぎゅっと苦しい。
でも、雨が石を打つように続けることしかできないのです。
【水のない溝にドクダミ並び生え抜けど抜けど毒は抜けずに】
もっとバチっと詠みたい。ぐうの音も出ないのを生み出してやりたい。自分の中にある原石も刺激物も全部詩歌に変えていきたい。
近頃開くこの本にあった良寛さんの歌を閉めに
【この里に 手毬つきつつ 子供らと 遊ぶ春日は 暮れずともよし】
歌には全部出てしまう。さらけ出してもまれていこう。