勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

すべては幼い頃の学びから

#迷いと決断


楽天的というのはポケッと思慮浅いことではなくて、「天命を楽しむ」との意味で使われるらしいです。天命というとどこかの偉大な英雄の話みたいだけど、私のも周りの人のもみんなそれぞれの人生は間違いなく与えられ、導かれて期待されています。誰にというか、何かにというしかないのだけれど、親よりも師匠よりももっと大きなおおらかな期待に応えるのが人生だなという気がするのです。特に中年になってからはね。それなら期待に応えられるほど立派な人生を送っているかといえば甚だお恥ずかしい。それでも今の暮らしに至るまでは両手両足の指では足りない程の迷いと決断を重ねてきました。


私が児童、生徒で学んだ頃、ドラえもんの影響なのか時代の流れなのか年々エコロジーの学習が多くなっていった実感があります。ゴミを減らそう、水を汚さないでおこう、エネルギーを節約しよう、ソーラーカーを実現させよう、地球に優しくしようといった学習を手を替え品を替え受けさせてもらったように思うのです。


 もちろんそれと並行してテクノロジーは加速的に発達して、音楽はカセットからCD、MD、iPod他に次々変わっていき、通信は手紙からポケベル、携帯メール、SNSスマホアプリにドサドサと移行し、ゲームもサブカルも流行り廃りが激しくなって、コミュニケーション手段は多いのに共通認識を持つのは難しいという時代になっています。これも「個性を大事に」という教育の賜物なのかもしれませんね。

 

上記二つの流れにあって、最近組織に属さず自分勝手でも地球を守ろうとする人が増えてきたような気がします。波長の合う人を世界規模で見つけて新しい仕事を始めています。うちの亀成園はまだ大きな仕事とはいえませんが、これから未来を生きていくモデルになればといつも心がけています。目に見える国の生産力には逆らうのかもしれませんが、エコロジー教育を授けた人々には喜ばしい流れであってほしいですね。


私が人生で迷ったことといえば、進学するかということと、ただ稼ぐために仕事を続けるかということ、いつまで町で暮らすのかということかな。我ながら本当に勝手なものです。結婚や出産では悩みはあれど迷いはなかったので、決断はいつも私と地球を軸に下されていたような気がします。未来を考え信じるために学びを深める道を選び、なんとなく仕事するのは生きていく甲斐がないと苦しみ、消費者として浪費を続けるのは嫌で生産者側に回りたいと決めました。


冷蔵庫はすっきり、畑はどっさり

家電は少なく、労働は多く

薬は最小、日々薬膳


そんな暮らしを選択し継続するのに必要な決断は、いつだって守りたいものが根源にあったからです。地球の未来、子供の未来。それを思うと街で消費し続けて暮らすわけにはいかず、自己評価を稼ぎ額に代用してもらうわけにもいかず、何処にあっても生きていくたくましい身体と知恵こそが私に必要なものだと決めなければいけなかったのです。


決断してからだって人生は楽にはなりません。もがいてもがいて毎日を過ごしているのが事実ですが、いつかしよう、と思うことはあまりないのです。今年やりたいこと、今月やりたいこと、今週やりたいこと、今日やりたいことが暮らしに詰め込まれています。早いとこお茶っぱ乾かさないととか、にわとり小屋の掃除をしなければとか、米作りを書き残さなければとかです。課題に追われてはいてもストレスが少ないのはこのためですね。晴れたら外、雨ならウチ。現在の迷いと決断はこんなにシンプルになりました。