勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

ヒトと木の百年二百年

今月19日に、会いたかった木の舟の公開イベントがありました。

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櫛田川をカヌーで辿るのに一番絵になるのは地元の木でできたカヌーで、分野の違う人々がアイデアと力を出し合って地域を盛り立てていこうとの流れは、特筆に値すべき事柄です。でも何故か憧れの木の舟に会えてもちっとも満足しないのは、自分は何もやっていないことを殊更強く感じてしまうからでしょう。せっかくの熱気あるプロジェクトをもっと発信しなければどうにも勿体なくてなりません。そして私には何ができるか考えて唸って十二夜過ぎて、やっと一遍の詩が書けました。

 

 

「今ここに舟があるのは」

 

多分じいちゃんの父さんが

百年前に植えた杉

大きく育って美しく

僕の前に立っていた。

 

昔はこれを筏にして

川に流して運んでた。

今は道はアスファルト

ガソリン燃やして運ばれる。

 

昔がよかったは言わないが

今も川を流れる木が

あってもいいんじゃないだろか。

じいじいちゃんの植えた木が

その特別な木になるといい。

 

僕らは切った。杉の木を。

どーんと倒れる大きな音が

山に響いてこだました。

百年杉が山を離れ

生まれ変わってここにいる。

 

僕らは切った。くり抜いた。

見事な年輪くっきりと

人と川にぴったり寄り添う

それは見事なカヌーになった。

 

じいちゃんだけの山ではない。

僕だけが作ったものでない。

流れる時間とつなぐ人

悠々してるはそれだから。

 

カヌーは進む、櫛田川

どんな人を乗せるだろう。

どれくらいを歩むだろう。

仲間の舟もできるといい。

 

僕の孫のそのまた子が

百年後を生きるとき

僕は何を残しているだろう。

 

願いを込めて、木を植える。

 

以上、詩の発表でした。きっかけとなるモノづくりをして話を聞かせてくださった関係者の方々ありがとうございます。

 

人にはそれぞれ持ちものがあって、私にあるのはほとんど言葉だけ。だから精一杯言葉を使って、地域の未来をつないでいきたい。またそのうち、物語を編めたら何かが変わっていきそうです。

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