勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

飯高で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

花と太鼓の饗宴

町中や野に少し遅れて、飯高の山里にも華やいだ季節がやってきました。田舎の木はどこも堂々大木で、わざわざまとまってお花見をする必要もないくらいそこら中が花に歓迎されています。よそ見しがちな私にはこの時期の送り迎えや通勤ドライブはそこそこ命懸けですよ。人通りの多い道もあればまだらな旧道も多く、せっかく先人が植樹してくれたおかげで咲いた花を見逃すことがないように、贅沢な分、責任重大です。一年のほんのわずかな一時に咲いてくれた花に私ができるのは美しさを褒めてあげることに尽きますから。


数ある麗しい花の中でも枝垂れ桃は見事です。花のドレスというにふさわしい。さりげなく立ってくれているのが不思議なくらい立派な木ですね。

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もちろん春の花で別格の桜もそこら中でひらひらしています。小学校にも植えられているのに入学式には散りそうなのが惜しくて、子供たちと見に行きました。今年は校長先生も変わり、生き残りをかけた新時代になります。山だって花だって児童がいなくちゃ寂しいに違いない。にぎやかな学校を取り戻すことを見守っててほしいです。

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飯高町でも数年前までは桜祭りが行われていたようですが、亀成園が移住した頃くらいから桜祭りはお隣の飯南にゆずったようです。開催時期の見極めがこんなに難しい祭りもなさそうな中、今年はバッチリ開花に合わせて行われました。


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スゴ腕の猟師さんによるシシ汁は大人気でした。お祭りでも地域の食材が提供できるのは強みですね。深蒸し茶のふるまいもありましたよ。


二日続けての桜祭りで、ステージもいろいろありましたが、私たちが見れたのは「飯高清流太鼓」の演奏でした。

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もう二十年も続いているという太鼓演奏のグループは、太鼓好きの私にはたまらない憧れで、もっと自由な身なら間違いなく入門しているのですが、お稽古しすぎは自戒しているので今は我慢です。


夜のお祭りで聴いたり、学校の学習発表会に来てくれたり、幾つかの場所で演奏に触れる機会がありましたが、どこも響きが違って面白いです。体育館では反響して迫力があるし、夜に人の多いところだと何重にも響いた感じがしたのに、山に囲まれた窪地での音は山に吸い込まれます。だから余計澄んだ音に聞こえて気持ちよかったです。わりと大人数なのに音の粒がぴったりそろっているし、長時間演奏でもちっとも乱れないのは流石、練習している力だなと改めて感心しました。


一つの曲をきちんと覚えるのには半年程かかるそうです。同じ曲でも大太鼓、中太鼓、笛と違うパートがあるし、何度も何度も身体に刻みつけていくのでしょう。積み重ねることでしか到達しない演奏ができる人たちが飯高に居てくれるのはなんとも幸せなことです。木は音楽と相性が良く、太鼓も弦楽器もピアノも木材が大事です。林業の未来がこれからどうなるのか私にはなかなかビジョンが描けませんが、木によってこそ活きる音や音楽は残していきたいなと思います。


偶然見たテレビのニュースで、百年前に日本からワシントンに贈られた桜が育って、満開の見頃で人々がお花見を楽しんでいる様子を見ました。じっくり育つ木は時間をかけて人々と共にあることができますね。先人の植えた木が花咲き私たちを潤し、私の植えた木が子孫を潤すかもしれない。それもこの場所があり続ければの話で、楽観視はできませんが、未来のナショナルトラスト実現に向けて、今年の花にも感謝です。

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いつも結びが似通ってしまって筆力の足りなさを感じますことお許し下さい。