勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

高校生まで見守れる役得

 松阪市の山間部、香肌峡と呼ばれる地域は飯高町飯南町の二つの町があり、3つの保育園、4つの小学校、2つの中学校に1つの高校があります。かつては小学校は10以上あり、どの地域も子供がぞろぞろとしており、秋に実る柿を猿が狙う間もなかったと言います。長く地域に住む還暦以上の方が子供時代の話をされるときは本当に楽しそうで、何はなくともにぎやかだった頃の様子が伝わります。現在はどこの学校もあっという間に小規模になってしまい、定員割れで存続の危機がチラつきます。それはもう日本全体の話で、昔を取り戻すことはできず、今精一杯子供たちにいい道を探ることしかできません。やっぱり大きな学校がいいと信じる人もいるし、どれだけ学校が小さくなろうとも、地域にとって学校を残すことがどれだけ大事なことなのか、100%伝えるのはまだできそうにありません。もどかしいです。学校に関わることができれば、香肌峡にある学校がどれほど園児・児童・生徒と関係者、地域の大人双方にとって恵まれた環境であるのかわかるのですが、自ら関わりの機会を設ける人はなかなかいないのが現実です。人と人が一つ一つつながっていく、その絆が糸となり縄となり橋となっていくことに、ようやく気付くようになりました。

 

 と前置きをしたところで、普段園児1名と児童3名を抱える香肌峡でも上流のほうにいる亀成園夫妻が、飯南高校に訪れた話です。

飯南高校は

「高校生が地域に貢献し、地域を活性化させる学校」 として「日本で一番」

を掲げ、過疎・少子化が特に進むど田舎地域にあって、日本の課題の最先端を逆手にとって骨太に頑張っている高校です。ひたすら勉強を詰め込んでいた私の頃とは違い、社会に出て通用する力をつけるためのキャリア教育に力を入れ、生徒を育てています。

キャリア教育 | 学校の特色 | 三重県立飯南高等学校公式ページ

 

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飯南高校並木道

香肌峡としてはだいぶ下流なので、上流人としては自然豊かとまでは言えませんが、市街地とは一線を画した環境です。緑に囲まれた学校で過ごす3年間は高校生に何をもたらすのでしょうか。

キャリア教育のメインは3年時に行われる飯南ゼミと言われるもので、自分でテーマを決めて1年かけて発表の準備をします。テーマは何でも良いのですが、自分で決めたことをあきらめずにまとめきり、大勢に発表する機会というのが全校に課されているのはなかなかのチャレンジだと思います。その準備段階として、2年時前期にもインターンシップに訪れて、その体験をまとめ発表する機会があります。そして今年の夏のインターンシップ先の一つに亀成園があったことから、発表の見学に訪れたのです。

 生徒の進路は就職・進学どちらもサポートされているので、インターンシップばかりでなく、大学のオープンキャンパスに訪れてもいいし、アルバイト経験をまとめてもいいし、コロナウイルス下にあり県外を気軽に訪問できる事態ではなかったのもあり、家業の手伝いをしてみて大きな経験を積んだ生徒もおりました。亀成園を訪れた生徒が何を得たのかを見守りに行ったのですが、10名近くの5分ずつのいろいろな発表を聞けて、この地域の高校生を新たに捉える思わぬ良い機会となりました。

 

 発表する班は偏りを防ぐためにバラバラに分けられているので、インターンシップ生を複数名受け入れたところは教室が分かれての発表です。この日は亀成園だけでなく地域の他の企業からも見学者があったので、生徒たちには一層非日常体験だったことでしょう。一人ずつ持ち時間は5分。事前にレクチャーはあるとはいえ、慣れない資料作りをこなして本番のプレゼンは、大人でもそうそう機会がありません。もちろん日常茶飯事の人もおりますが大多数の人々にとってはね。私が高校生の頃の発表と言えばごく短い英語のスピーチか班での実験発表か文系クラスでの作文発表くらいでした。秀でてもおらず大事故でもなく無難に過ぎていった記憶しかありませんが、先生以外の大人がいる前での発表の機会はほとんどなかったので、飯南高校生はずいぶんがんばったことと感心します。資料作りの課題、プレゼンの課題などは相応にありました。前置きが長くなりすぎて、肝心の自分の体験までたどり着かなかったり、色合いなどかっこよく作り過ぎて発表としてなんだか見えにくくなってしまっていたり、とりあえず書いてみたもののよくわかっていなかったのがわかってしまったり、精一杯に棒読みしてしまって伝わりにくくなってしまったり。どれも一度は通る道です。ものすごくよくわかり、気恥ずかしい思いを秘めながら見守っていました。

 

 インターンシップに訪れたからといって、地域の企業とずっと関わるわけではなく、生徒にとってはせいぜい仕方のない通過点であるのでしょう。本気で憧れて一直線にその会社に人生を捧げるわけではありません。受け入れる側も採用活動をしているわけではないのです。それでも学校とは違う地域の別の場所に、見守る大人が居ることは高校生にとってどこか安心感があるだろうし、大人にとっては視野を広げて責任感を育てる絶好の機会です。うまくいえないのですが、例えば双方にとって体感温度が一度上がるようなことだと思うのです。その一度はもしかしたら空しさを取り払うギリギリの一度になるのかもしれません。

 

 高校時代に描いていた生き方とは大きく軸をずらしてしまった亀成園の在り方は、今の高校生にとってすぐに役に立つ社会人の在り方ではありません。紆余曲折を経ての暮らしだからこそ頑張り続けられるのであって、私とていきなり自給自足で暮らしていこうという若者が育つことを望んではおりません。何度も壁にぶち当たり、人間関係を磨き、旅を重ね、苦労を重ね、それからにすればいいとババ臭いことを願っています。それでも社会に出る前に色々な人に出会うことは人生に必要なことで、いろいろの一つになれればいいなとも願っています。

 

 インターンシップに来てくれた生徒の発表では

・薪割が大変だった

・鶏が可愛かった

・ダムが印象的だった

というシンプルだけれど自分で体得した感想が聞けました。

 

亀成園が最近会社理念として見据え直した文言は

「百姓の知恵を百年先の未来へ」です。

素材と環境を活かし、知恵として未来へつなげていく役割があると自覚しました。

微力ながらも高校生を見守る機会を頂けたのは有難いことです。

じわじわと一緒に成長していければ本望であるし、いつでも温度が上がる体験ができて、人を迎えられる場所として整えていきたいです。

 

それにしても、園児から小・中学生に高校生まで同時に関心を持てるなんて、ずいぶん得な役目です。保護者として地域の人として、なんだか変わった人として。これもきっと清流と鶏のおかげです。持続可能な社会を築いていくために次世代育成は不可欠。鶏たちがつないでくれる縁に最大限感謝して、焦らずほほえんでいたいものです。