勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

あの日も今も風の中なか

 

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

素晴らしい日がありました。

子供たちの小学校行事に少し参加させてもらったので、私が何をしたわけでもないのが恥ずかしいのですが、さわやかな風が吹き抜けた一日でした。

香肌峡の川の中でカヌー体験をし、自分たちが学校園で育てた野菜をふんだんに使ったカレーをお腹いっぱい食べ、キャンプファイヤーと星空観察をするという盛り沢山の午後から夜。私は昼間カヌー体験のサポートをして、夜はキャンプファイヤーから参加したのですが、午後は清流、夜は火と月と星。これぞ豊かな自然環境をめいっぱい享受したのです。清流も星空もいつもあるとはいえ、学校の皆と一緒に、それぞれの役割を果たしながら、手足を動かして、地域の支えをこれでもかと感じながらのこの日は、眩しい記憶になりました。

 

 それが最新の「素晴らしいあの日」の記憶です。

私は普段ほとんど過去を振り返らずに生きていて、人生のターニングポイントも特に意識していません。けれどふと思い出す日はどれも、自然の中にいて風が吹き抜ける日であることに気付きました。

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山の中で風を感じるイメージ

 

 はじめて山頂に立った日は、北海道の礼文岳でした。視界360℃何も見えず真っ白だったけれど、てっぺんの風を感じたのはあの日。確か20歳の夏で一人旅でした。

 仲間と一緒にてっぺんを感じたのは21歳の夏で、槍ヶ岳山頂でした。高山病で息が苦しかったけど、冷たい風の中、登り切らなければ味わえない高揚感がありました。

 屋久島の吹きすさぶ風の中、身体が浮いたのも忘れられないあの日です。

 内モンゴルで馬に乗った時の風も、吹き飛びそうなほどでした。

 フィリピンで火山の島を馬で登って火口を眺めながら感じた風は、温かいけれどなかなかの勢いでした。

 

 どうにも私は風にさらされると記憶がクリアになるようです。

 

 亀成園となる今の家をはじめて見に来たのは冬の寒い日で、山から茶畑に吹き下りる風が、ここで生きていく気持ちを後押ししてくれました。

 香肌イレブンマウンテンで一番印象に残っているのは桧塚。ここでも山の上の風があまりにも気持ちよくって忘れられません。

 初めてカヌーで川に浮かんだ日も、渓谷の風を川の真ん中で感じられるのが嬉しくてたまらなかったです。

 

 温かい海の風も好きだけれど、印象的なのは山の強めの風です。

 吹きすさぶ風の中でめげそうになったことも何度もあって、それはいい思い出ともいえませんが、身体がへとへとでさえなければ、強い風が好きです。

 

 人生の大事な日は、いわゆる節目となる日でもなく、自然の力に圧倒された日。

そんな日が自分を作っているのだと思うと、里山を守る使命が俄然輝いてきます。

 

 強い風が印象的に描かれていたなと思いだしたのが、『あらしのひ』という絵本です。絵と文が別々になっていて、読み流すことができない作りで、言葉をじっくり絵をじっくり味わうことのできる絵本です。 

少年から見たある夏のあらしの日。世界が全部吹き飛んでしまうようなすごい風と雨。牧草地も街も海辺も山も、びゅうびゅうごうごう吹きすさぶ風の中をじっと耐えて、それから。

 

強い風は危険をはらむものですが、吹いた後は晴れ晴れしくなります。風に運ばれていろいろなものがやってきます。変化が起こります。

 

いつも好奇心を持ち続けていたいから、変化を楽しんでいたいから、大風が好きです。大風でなくても風が通った自然の中が好きです。一人で受け止める風と、人々の間を流れてつなぐ風と、どっちも同じくらい大切です。

 

季節で好きなのは秋なのに、山の風や川の風を感じた記憶が強いのはだいたい夏の日。やっぱり夏は素敵な季節。今年も忘れられない日が何日もあるのでしょう。キャンプファイヤーを上書きするようなとびっきりの日があると嬉しいようなちょっと残念なような。記憶は塗り替えられて、子供の日々は忘れられていくけれど、さわやかな楽しさをときどき思い出させる風が吹いてほしいです。

 

 上橋菜穂子さんの著作で「風」が付いているものは以下。たっぷりの切なさを含みながらさわやかさが残る物語は、風の本質をついていて見事です。

 この作品が守り人シリーズの最終に充てられているのも見事です。大きな大きな物語が吹き抜けて、人生を彩っている。そしてまた次の風の中に旅立っていく。絶妙の演出に感謝して、また物語の海にはまっていきそうです。

 

何の話か、あの日の話。読んだり書いたり歩いたりしゃべったり。無駄に過ごしている日もないとは言いませんが(To Do リストが進まない日)、息詰まったらいつも古民家の外に出て、山から川に降りる風を感じます。耳を澄ませて臭いをかぎます。限りなく飾らないそのままの日が積み重なって、時々眩しく輝くのが今の日々。

 

 いろいろ思い出すとどうにも旅に出たくなりました。ゲストを迎える仕事をうんと頑張ってこなすことができたら、また別の大地の風に誘われたいですね。