勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

飯高で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

パラの選手が来てくれたこと

冬季オリンピックも佳境なのでしょうか。


全くもってスポーツというものとは相性の悪い私ですので、娘たちの小学校にパラリンピックの選手が来てくれると聞いた時も初めは興味が湧きませんでした。第一パラリンピックをテレビで見たことがないのです。オリンピックでも観戦せずとも平気なくらいだし、スポーツ試合というのを見たら見たでやたらに食いついてしまってボーッとしてしまうので、本当に免疫がないというか、刺激的すぎるのです。まあ今はテレビがないのでそれもあって余計に見る機会もほとんどないけれど、それでストレスは溜まらないので、優先順位が高くないのは間違いないようです。それとスポーツってどちらを応援していいのかわからなくなって、時に非国民的な気持ちになってしまうことも苦手な理由としてあります。先入観なく見て、素直に自分がときめいた選手を応援するというのはどうにも一般的でなく、応援する相手が決まっていて、対戦相手には罵倒も当たり前という風習もどうにも苦手なのです。競馬なんかは単純に自分の損得と連動しているから熱すぎる応援もさもありなんとは思いますが、テレビのスポーツ観戦で血気盛んになるとは、その習慣を嗜むことのない立場としては不思議なものであります。余談が長くなりました。パラリンピックの選手の話です。


幸いにも時間に都合のつく身分なわけで、小学校にプロの陸上選手が来てくれるなら、ちびっ子たちを連れて会いに行ってみようとは即決しました。もうひと月も前のことで、書くのが延び延びになってしまいましたね。感じたことが多いと遅延してしまいます。


津市出身で今年20歳という前川楓さんは、幼少期から活発な明るい方だったようですが、中学三年生の夏に交通事故に遭われ、右足を失いました。四度も手術し、膝上切断という大変な目に遭われ、松葉杖で中学卒業、高校入学をされていましたが、事故から一年ほど経って、義足を使うことになったようです。義足ってカッコいいと思われたのが今につながっています。一般の何倍かは早いリハビリを経て、更に一年後、陸上選手に転身されました。それからあっという間に世界大会に参加され、リオデジャネイロパラリンピックに出場され、ロンドンでの世界選手権では銀メダルを獲得され、最近ではアジア記録も更新されたらしく、まばゆいばかりの活躍っぷりで驚きでした。


日頃から前向きを心掛けて心掛けている凡人からすれば、開いた口がふさがらない程に真に前向きで、どんなことでも乗り越えて上を行く人の一端を見せてもらえました。苦労話とか裏話とかはちっともなく、ひねくれた私にしてみれば深みが足りないと揶揄したくならなくもないお話でしたが、その明るい強さに触れられた子供たちのなんて幸運なことでしょう。質問タイムでは緊張しながらも、各自考え考えて思ったことを聞いて、答えてもらっていました。


義足の動きに興味を持つ子が多く、持たせてもらって重みを感じることもできました。うちの娘は義足が壊れたら直すのにお幾らかかるのかとやたら現実的な質問をしていて面白かったです。銀メダルも持たせてもらったけれど、メダルに強い興味を持つ子はここの小学校ではいませんでした。かじる子もいなかったのは保護者としてはハラハラせずに済みましたが、メダルというものより目の前にいる人の話に惹きつけられていたのは温かい光景でしたよ。


事故に遭われた人の中で、スポーツ選手になる人はどれくらいなのか私には見当もつきませんが、ありふれたケースでないことは確かです。更に記録を出し、挑戦し続け、啓蒙活動もされるとは、放つ雰囲気が澄んでいるはずです。子供たちへのメッセージとして、「好きなことをやる、気分を変えて楽しくする、挑戦する」とこれまた明るくてたまらない三つのキーワードを授けてくれました。それを受けて子供たちは前川選手にお手紙を書いたようですよ。それぞれの挑戦を決意表明したお手紙の一端を見せてもらいましたが、見事に立派に啓蒙されていたのが素直で素晴らしいです。挑戦がいつまで続いたとしても、続かなかったとしても、一人の若い優秀なパラリンピック選手がもたらしてくれた明るさが、子供たちのこれからを照らし続けてくれたらいいなとヒシヒシ願うのであります。