勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

烏骨鶏卵はここにしかないわけではない

自然養鶏学習農園である亀成園では「いいたかのおひさま卵」を産む茶色の鶏の他、「香肌の真珠卵」の名で烏骨鶏を平飼いしています。

ご宿泊者向けのにわとりふれあい体験では烏骨鶏たちのほうがおとなしいこともあり、珍しい天然記念物ということもあり、烏骨鶏は好評です。そして2種類いることで伝えられることが多くて有難い存在なのですが

卵を売ってくれという要求には応えられないことが多いです。申し訳ないのですが、応えられないのです。

 

なにせ烏骨鶏の産卵率は驚くほど低いのです。

そして亀成園ではなぜだかもっと産卵率は低いです。

それなのに需要は高く、「烏骨鶏の卵を買いたい」との声が尽きません。

 

心からありがたいのですが、コンスタントに販売出来たらいいなとこちらも思うのですが

「ない袖は振れぬ」現状で、何度もちょっと圧力かかったような問い合わせがあると、気にしすぎる私には相当なストレスがかかります。あー、もう繊細でスミマセン。

 

「あったら買いたいわ」くらいの心地よい方はよいのですが

「いつならありますか。行けば置いてありますか」と尋ねてくるくらいなら

 

別のところで買ってくれたらそれでいいよと投げ出したくなってしまいます。

なんでこんなに圧力のストレス受けてまで烏骨鶏卵を売らなければいけないのだ。

他者の健康に貢献するためになんでまたこちらが心理的圧迫を受けなきゃならんものなのかと

スミマセン、今ちょっとぐるぐるしてます。

ぐるぐるにぴったりの画像素材発見です

烏骨鶏卵は確かに健康にとてもいいようです。食べたい、大事な人に食べてほしいという気持ちは素敵な欲です。

それならば、コンスタントに販売できるようもっとたくさんの羽数を飼育して、産卵率を上げるための工夫もしてがんばって出荷している養鶏家さんはいらっしゃるので、そちらを選択してくださいと切に願います。

ね、たくさんいらっしゃるでしょ、烏骨鶏をスムーズに売ってくれるところ。贈答用にって素敵ですね。

 

もうこんなに何度も問い合わせられるなら、いっそのことめっちゃ値上げして、別のところから買って転売したほうが楽かもしれません。もちろんダメだけど、やらないけど、「申し訳ありません。用意できません」と圧迫されて断るストレスがきついなぁと時々疲弊します。

亀成園の烏骨鶏卵だからこそ価値を感じて買いたいと思って頂けることが本当にありがたいことはわかっているのですが、

うちの烏骨鶏卵は選択肢の一つ、くらいに思っていただけたらもっとありがたいです。

 

ご縁のあるお客様はめちゃくちゃ大事にしたいといつも思っておりますが、

このようにタイミングの合わない場合はどうしたらよいのでしょうね。

どんな体験もどんな感情も自分の人生の宝物なはずなので、このぐるぐるストレスからも学べるものがあるといいです。

HSPとか繊細とかで自分を縛りたくもないけれど、商売やってるんだからストレス受けてんじゃねーよ、とも当たり前につっこみますが

タイミングとか相性とか割の合わなさとかも実際ある訳です。

「ないもんはない。他をあたれ」と面の皮厚くなっていけるかな。

この先もっとあるかもしれない圧力の練習と思って、ぐぐぐと味わっております。

うん、泣き言書き連ねちゃってかっこ悪いけど、やっぱり書いたら落ち着きます。

ここからまた耐性つけていくこともできそうです。

鍛えてもらう機会をありがとうございます。転んだら起き上がればいい。

品切れの場合、アフィリエイトリンクをQRコードにして貼るくらい、たくましくなっていけたらいいな。

寒卵の話

暖かくすらあった年明けから一転して、今週はサブイ日が続きます。風が強く空もどんより、冬ですねぇ。

水たまりに薄氷が張るし、草原も植木も霜が出ますし、車も凍て付いて、なかなかハードな寒さですが、それらに光が当たると本当に美しい恵みもあります。寒くともやっぱり外に出て、それも朝の時間がいいです。早起き苦手過ぎる私ですが、次年度からの早起きに向けて、朝の楽しみを増やして待ち構えてあるところですね。

 

さて二十四節気にある1/6の小寒から1/20の大寒を経て2/3節分までの期間に産まれた卵は「寒卵(かんたまご)」、と呼ばれる貴重な品です。

とりわけ1/20の大寒に産まれたのは「大寒卵(だいかんたまご)」と呼ばれ、健康祈願のみならず金運も授かる縁起物だそうですよ。

 

亀成園では生食での賞味期限しか記載はしてありませんが、この冬は寒卵シールをつけて、ちょっとアピールしています。

卵にも季節性があるんだよってことをちょっとでも知ってもらうきっかけになればそれだけでいいなとニンマリしてます。

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卵は元々栄養価が高く、身体への吸収も良い食材です。安価なイメージが永く続いていましたが、寒卵は貴重だという認識はたぶん百年前くらいにはあったのでしょう。玉子酒と共に、冬を乗り越えるお守りみたいな存在ですね。

貴重な理由としては、数の少なさで、産む頻度が下がる分、ひとつの卵に詰まる栄養が高くなるということのようです。

日々食べている美味しい卵なので、実感としての有り難みは薄まりがちですが、寒い朝に外に出てみると、こんな中で卵を産んでくれている鶏たちへの感謝も高まりますね。

卵かけご飯の他、熱々のだし巻き卵や茶碗蒸し、おでんや煮卵にもどうぞ寒卵を試してみて下さいね。

亀成園の卵は新鮮出荷なので、ゆで卵にする場合はガスが抜けるまで数日置いてからをオススメします。

小さな養鶏である亀成園からは数が限られてしまいますが、この時期の卵は大事ですよということが伝われば嬉しいです。

 

お餅といえば14ひきのねずみ家族です

今週のお題「餅」

お餅まきで拾う頂き餅以外は、この数年は自分たちでこしらえることにしています。

まだ地域のもち米を購入して餅つきまでしか遡れてませんが

そろそろお餅の季節かなと思うとお米屋さんのもち米を確保します。

生涯かけてのぜいたく品であるお餅といかに向き合っていくか。

そろそろもち米を育てるところからしたいです。

自給暮らしのハイライトと言っても過言ではない。

お餅は気合入れて作って食べます

食べ方としては、つきたては何にも付けないのが一番好きです。

それか大根おろし醤油ですね。

お餅まきで頂き過ぎたときは、いろいろバリエーションがあって、ゆでてはちみつをかける食べ方や、こめ油で揚げて塩パラパラとか、焼いてチーズ醤油とか。

6人家族でもりもり食べていると、それ以上のアレンジには行き付く餅がありません。

お雑煮以外は鍋に入れちゃうより形を残している方が好きですね。

 

餅といえば思い出してしまうことあれこれ。

小さな頃は祖父母のうちに従兄弟皆が集まって、お餅作りの日がありました。

私はほぼ食べるだけの人でしたが(人は変わらない)、祖母がきなこ、あんこ、だいこんおろし醤油を当たり前のように準備してくれていたことは記憶に鮮やかです。

今でも人が集まってお餅つきをすると、傍らでせっせと具材の準備をする人たちがいて、しみじみと幸せな気持ちになるのはおばあちゃんとリンクするからですね。

ありがたく、子供と一緒について食べるだけの私ですが、

憧れのイメージがあれば、そのうちそんな人にもなれるでしょう。

 

ちなみに私にとって、餅つきの参考書はこちら↓

亀成園ではよく働く姉たちと楽しそうなチビたちが我が家の宝ですが、このイメージは14ひきのねずみ家族とかなりかぶっていますね。

架空のねずみの暮らしに憧れるなんて字面だけみればおかしな話ですが、アメリカのねずみに人生捧げる人が多いことを思えば絵本を参考書にするくらいね。

ねずみともちで言えばこれも好きな話です。年末は昔話が光る時期。

 

お餅作りの工程としては、もち米を水に浸して、蒸して、勢いよくついて、丸める。

乾かして保存分も多めに作る。

いろいろな余裕がないとできそうにもない過程で出来上がってくるお餅が、人々にとってどれだけの喜びを含んでいたのか、自分たちで餅つきを恒例としてから、余計に身に染みるようになりました。おいしいだけではとても受け止められません。

つく過程は餅つき機に任せる人も多いですね。いろんなおうちでくるくる回って愛用されているこの家電もまた、愛しい存在です。

 

健康志向、本物志向が高まる昨今では、上等な玄米餅も人気が出てきましたね。

炭火であぶって、とっておきの醤油で身体に取り込む!

時間の使い方、モノの選び方の到達点の一つが餅の食べ方なのではと大袈裟に感じてみます。

つきたてをおなかいっぱい食べ、おやつにも残し

お雑煮用と鏡餅にも

年末の一部は餅作りに当てられます。

家族そろっての豊かな暮らしは、初めからあったわけではなく、だんだんできるようになってきたのです。

子供用と大人用の臼と杵がご縁で回ってきたのを必ず活用するようになったのは本当にここ数年のことです。それまでホームベーカリーで作っていたこともありますが、臼と杵の方が一度にたくさんできるので、後片付けがまとめてできます。

子供用があると小さな子も参加できるのでめちゃくちゃいい画になりますよ。

お餅のことをたくさん思い出していると、たまらなくつきたくなってきますね。

家族以外にも輪を広げて、いろんな笑顔に出会えるかな。年内にできるのか、或いは新年会の企画が必要ですね。温かいイメージ描いて無理なくできることをしていきたいです。

 

罠猟師の講義

亀成園のHPブログに書いたものをこちらでも追記して共有です。

罠猟とジビエ、地域の子供たちの挑戦の話です。

【以下引用】

亀成園の子供たちもとてもお世話になっている小学校が近くにありますが

体験学習や地域学習の盛んなその学校で、今年度は6年生が中心に獣害と狩猟について社会科の学習と絡めて学び、全校でジビエを食べてみるという挑戦をしています。

 

罠猟師である亀成園園主はこの挑戦の一環として、一時限分の講義をしてきました。

猟師の仕事について

鹿の生態について

けもの道の見つけ方

狩猟をしていて思うこと

など、クイズも交えてわかりやすく、外部講師の役目が果たせましたよ。

 

鹿が畑の作物や植林の苗木や冬期に木の皮を食べ荒らすというのはこの地域では大きな課題であり、普通の人の暮らしにも関わってきます。増えた鹿などを夜道は車ではねないように気を付けなくちゃいけないのは、亀成園ゲストにも大事な話です。

 

典型的な日本の田舎である地域の課題は過疎高齢化・耕作放棄地の増加・伝統の衰退などと暗い話を上げればキリがないのですが、今この地域で暮らしている人はいつも暗くしているわけではなく、むしろ楽しくめいっぱい生きています。新しくこの地域に移り住んだ人々も、生き物が多く発見と知恵の宝庫である田舎暮らしにハマる人続出です。

数年後、数十年後はどうなるかわからないけれど、人が居る限り地域は続いていきますし、若い世代に興味を持ってもらうのが課題解決には欠かせないので、今回の小学生たちの学習と挑戦は児童にとっても地域にとっても明るい活路となるかもしれません。

 

亀成園の家庭では日常のジビエですが、まだまだ普及率は低いし好印象が大事なこともあってか、児童らはフランス料理でのジビエを味わうことになっています。

数年前に地域の中学校でもこの課題に取り組んだことがあり、その時は地元の方が鹿カツとローストベニスンにして食べさせてくれたのでしたが、また可能性が広がりますね。

子供の頃に味覚の幅を広げておくのは大事な体験です。

美味しく食べてくれた子供のうちの一人でも将来猟友会の扉を叩いてくれたら、こんなに夢豊かなことはありません。

 

さて亀成園でも通年メニューとして「鹿の脚解体体験」を提供しております。

体験で解体したものは焼いてみたり煮込んでみたり。

こちらからの提供はできませんのでジビエ料理と言えるほどのものができるかは貴方次第になりますが、味覚の幅を広げるところから興味を掘り下げてみませんか。

園主の講義は別途承りましょうかね。

 

子供たちに触発されて、地域課題と共にこれからも挑戦を続けていきます。

【引用終わり】

さて、この講義を受けてくれた6年生がスタッフとなり、全校でのジビエ料理コース体験も行われ、取材も沢山来て盛り上がりました。

 

鹿肉のローストが柔らかくてとても美味しかったそうです。

ちょうどこの頃読んでいた本が、ジビエにまつわるとても興味深い小説でした。

Amazonでは文庫版しか出ませんでしたが、単行本のカバーも素敵です。

そしてこの本を読んで、ジビエに興味津々のお客様が近頃来られるなんてご縁もあり、

私たちはどれだけ鹿や生き物と共にある豊かさなのかと驚きです。

何度も貼り付けている絵本がまた思い出されます。

秋は読書ネタを掘り下げていい気がするから尚嬉しいです。

心の曇りがすっきりする出来事もあったので、自分を大事に大事に、心軽やかに読んで食べて眠ります。

 

農の学びも文章が素敵であると嬉しい

今週のお題「読みたい本」

自然農の実践者として奈良の桜井で大きな大きな使命を果たしてこられた川口さんが、つい先週、その尊い生涯を終えられたそうです。

ご自身の揺るぎない想いに従って、誰に何と言われようとも草や虫を敵としない自然農というスタイルを、慣行農法の農家出身でありながら頑固に真っ直ぐ貫いてこられた川口さんは、たくさんの痕跡を残され、引き継ぐ人を育てられ、自立しておられました。

akameshizennoujuku.jimdofree.com

私は随分前に桜井の畑を1度訪れたことがあるだけで、直接の親交を築くことは叶いませんでしたが(そんな畏れ多い!)、数ある農の本の中で、川口さんの文章がとても美しいことは知っていて、特別なのです。自然農は思想でもありながらやはり実践の農法なので、多くの人が知りたいのはハウツーに関わることがほとんどです。亀成園父も川口さんの本では実行が難しく、「こういう場合はこうする」をできるだけかみ砕いてくれた本をより参考にして自然農の学びを深めていきました。実行する場合はそのほうが現実的ですが、思想に浸りたい私のような者には、川口さんの文章は宝石です。

畑に立つ姿もまた絵になるというか、洗練されているというか、ああこれが本来なんだという気付きを分け与えてくれましたが、やはり文章から立ち上る香りが格別に好きです。うっとりするばかりでその後の動きにつながるわけではないので、私が読んでも無意味かなとも感じながら、命とか生きるとかつなぐとかそんなことを信じられる力をもらえます。それはきっといつか何かに活かされるかもしれません。長い目で。

うちにある著作もあれば、ちっとも知らなかったものも。梅雨の機会に改めて読んでみたいです。え、読まずに晴れ間に実践してろって。それは多分、他の人には有意義でも私には無意味なのです。読むが大事。わがままでいい。

 

田舎暮らしの先住をしていると、自然農をやりたいという人は年々増えている実感があります。畑体験の申込も年々増えていて、情報発信力が上がってきたことだけでなく、ニーズが上がっているのでしょう。そこには食への疑いとか現代的なものからの脱却とかで、今の食生活は不安だから安心を求めてというケースが多いです。これだけいろいろな情報が取り放題の社会になってくると、不安になればキリがなく、安心して生きるために食を見直す人が増えるのは自然の流れなのでしょう。

けれどその安心につながる憧れの自然農を先駆けて実践されてきた川口さんの道は、憧れを求めてではなくどうにもそれしかできなかった信念の道でした。そんな道を苦しみながらでもなく淡々と歩んでこられた川口さんは、やはり使命に従って生きて来られた方なんだろうと、片鱗が伝わることが有難くてたまりません。

ナマケモノ倶楽部の辻信一さんとの共著やDVDも出ています。今回は読書がテーマという事で、動画貼り付けはなしで、読むことにつながる流れでありたいものです。

厳しい道であった自然農が、じっくりじっくりと育てて来て、やっぱりしあわせへのまわり道であったという素敵な物語を、堪能して心の灯にしたいですね。

この道を照らして沢山の人に分け与えて下さって、本当にありがとうございました。

使命を果たす生き方もまた、残された人々を生かし続けてくれるのでしょう。

自然農の尊い先人である川口さんのご冥福を心より祈ります。

 

グミの木に通う小学生

今週のお題「好きなグミ」お題の時期が過ぎたこともあり、ショート記事です。

 

お菓子のグミはなんでグミって呼ぶのかなんだかずっと引っかかっていたことが、グミの木にグミの実が成るのを目の当たりにして、合点がいきました。それ以来、私にとってグミはお菓子ではなく木の実となりました。

彩も豊かなグミの木に成った実

リアリティがあってこそ長く使われるネーミングになっているのだなと納得です。

と言いつつ、お菓子のグミの名前はドイツ語のゴムから来てるらしく、グミの実は無関係という話だとか。絶対グミの実からグミって付けたってほうがストーリーとしても滑らかなのに、なんだか惜しいです。

まあグミの実はもともと「えぐみ」から名前がつながっているという説もあるほど、皮が痺れるのでお菓子には結びつかないのかもしれません。中身は美味しいのですが皮が渋くて渋くて痺れます。

街育ちの私は上手に食べる技術は付きませんが、田舎で育っている我が子たちはグミの木に成る実を平気で食べることができます。

手で皮をむくと上手にできずになんかほぼなくなってしまうし、そーっと先をむいて吸い込むように食べたらいいと子供たちは目の前でやってくれるのですが、これもまたなかなか上達しません。いやぁ、子供たちのサバイバル力にも痺れちまいますね。

これくらい赤く熟れたのが食べごろです。

この実を求めて、末娘は放課後せっせと集めに出かけます。

自転車、ストライダー、インラインスケートと自分が乗れるものを駆使して、運動も兼ねてなのか坂道の挑戦もあるのか、目的地まで自力で行くのが楽しいらしく、帰るなり飛び出していきます。行く先が決まった木であることが、なんだかとても素敵です。

 

せっかく集めてくれるグミの実、以前ひと瓶だけジャムを作ったことがあるのですが、種取りが厄介だった思い出が。でもこんなに縁があるのなら、もう一度腰を上げてみましょうかね。

menamomi.net

 

グミに加えて、桑の実(マルベリー)もまた熟れ頃になってきました。野イチゴも勝手成りの枇杷も猿と先取り合戦の季節です。野遊びしなくっちゃ。

ムダの哲学座談会

「不要不急」という言葉が世に蔓延していった時、そういえば私の人生は不要不急ばかりでできてるわとハタと思い至った人はどのくらい居るのでしょう。そしてヤバい!必要早急でなきゃと焦った人もいれば、不要不急かもしれないけど重要やんと開き直った人もいるでしょう。不要は無用ではなくて、無駄に見えて重要ではないか。私は当時そんなことを考えていて、人生は不要不急でキラキラしているなぁとなんだか誇らしくなったのです。ほんとひねくれ者ですわ。

そんな私に『ナマケモノ教授のムダのてつがく』という著作を出した方のゆるやかお話会があるとの情報がありました。ぜひ行かねば、というより「これは呼ばれているのだろうな」との感覚で小一時間かけて会いに行ったのが先日のこと。ムダの哲学(タイトルは更に易しさを重視して「てつがく」だけど私はこの漢字が好きなので)は、なるほどわかりやすく自己肯定感アゲアゲしてくれるお話だったのです。

ナマケモノという生き物がおります。

日常ほとんど動かないという生き方をしているナマケモノがわざわざ危険を冒して動くのは、週に一度の排泄の時だとか。自分が暮らしている樹から降りてきて、根元に穴を掘って用を足します。つまり食べたものを出してまた樹に返そうとする、わかりやすく循環型SDGsな生き方をしているそうな。

動きが少ないのは無駄を省くため、より省エネで安全に生きるためと聞けば、はてさてそれって全く蔑むべき在り方ではなくて、むしろ現代の人々が目指すところではないかと驚きがあります。

 

他にも本の中での話は、働き者は一体何を目指しているのか?がむしゃらに働いて稼いだその先が安楽な暮らしなら、最初からのんびりしていればいいのでは?という真面目に頑張る人々の根幹を揺らされてしまうような問いかけがあったり、幸せは果たして計測できるものかという世界経済を揺るがす話があったり、孤独の世紀とAIテクノロジーや効率を求める文明化社会とは対極とも言えるアーミッシュの話などゆるくズサズサと進んでいきます。

 

座談会で語られたときは、坂本龍一さんが残した格言である「無駄を愛でよ」という言葉が取り上げられました。コロナで音楽活動がひっ迫を余儀気なくされてこそ出てきた魂からのメッセージです。また学校(英語ではschool)の語源であるスコーレは本当は自由という意味の言葉だったのに、現代の学校は自由とは縁遠いところにあって、という話なんかも。そんな感じでいろいろ飛びながらもやっぱり、スローとか無駄とか自由とか、私がいつでも大事にしているものが現代社会ではいかに抜け落ちてきたか、それがなければ人間は人間ではなくなるという話でした。特に孤独の話はとても興味深く染みわたりました。

自由に旅をするのを好んでいたし、今も社会の流れとは離れて自分の意思を貫くことが自己確立に欠かせない私としては、孤独は絶対に必要な尊い心なのです。だけど「あえて孤独を求める」なんてのは、ちゃんと属している人だけにできることであって、本当に孤独だと人は生きていけないのですと。コミュニティがなく、話し相手もおらず、自己有用感もなく、テクノロジーとだけつながっている本当に孤独な人は増える一方で、新型ウィルスに罹るよりももっと深刻な死因が孤独にあるのだと。

これってもう当たり前のことなのですかね。

過疎地域だからこその密な人間関係にすったもんだしながら生きていると、ちったぁ個の時間が必要だと思うことしばしばですが、移住されてきた方は口をそろえて人々とのつながりがありえなくて素晴らしいと仰るのです。いつも当たり前にその辺に居るけれども干渉し過ぎず、気に掛け合っての暮らしはここでは当たり前にあるけれど、ユートピアでもあるのですね。

 

無駄を愛でる暮らしこそ、亀成園としての私が求めてきたもので、時間のゆとりなしでは生きていけません。それは命の時間を削る現代社会では異色だとは知っておりますが、とはいえ罰せられるほどの異端でもないだろうと気にせず生きています。ムダばかりの生き方は、蔑まれても構わないのですが、アートにもつながっているなら誇らしくもなりますね。遊びの無いところから美しさや面白さは生まれないのですから。

 

大御所過ぎてそんなに今まで真面目に聴いてこなかったのですが、ナマケモノ教授とつながりがあったというアーティストに敬意を払うようになりました。


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「ムダのてつがく」では『星の王子様』に出てくるキツネと王子様の友情についても語られています。訳によってわりと印象が違うので、いくつか貼り付けなくてはいけない話のひとつです。私はやはり真ん中の版が味わい深くて好きですね。

物語の後半で王子さまが出会うキツネは、王子さまと友達になろうとします。王子さまは友達になると別れが辛いからなりたくないと拒否しますが、キツネは構わずその時間を王子さまと過ごし、懐き合って友達になります。そして別れの時が来ます。

お互い離れたくないと泣くほど辛い思いをするのですが、築いた友情はムダなのか。

ムダに時間をかけたことは、本当にムダなのか。

 

離れなくちゃいけないけれど離れたくない気持ちこそが大事なものでしょう。

つまり、それはなんというかもう、愛。

 

命の時間を相手のためにムダにすることこそ、愛。

 

うーん、孤独が死につながる理由がなんとなくわかってきました。

無駄が大事ってのはジョルノ・ジョバーナも全力で叫んでおりますしね。


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そこから話は「君の根は」という大地再生の映画に移ります。


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地球温暖化による気候変動で破滅の道へ向かっているこの星の環境問題ですが、突破の鍵は二酸化炭素を地面の下に戻すこと。植物の根っこを張り巡らせ、海底にも海藻を育てることで、ネイチャーポジティブに舵取りを変える未来が十分にあるではないかという希望のメッセージです。


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いやいや、盛り沢山のお話でした。

居合わせた人々もまた効率よりもめんど臭いことを好む意思のある人々で、ナマケモノ教授にとっても「ここは現代日本か」というゆるいコミュニティであったようです。

テクノロジー社会がいき過ぎているきらいはありますが、いき過ぎると揺り戻しがあるのが世の常です。自由でいたい、楽しくめんどくさいことを前向きにゆっくりして、人間らしく生きていきたい人も十分育っています。そして現代は少子化と懸念されて久しいですが、ゆり戻し派は前向きに出生率を上げる人が多いのもまた事実です。先進国全体の人口は減っていっても、生き延びていく子孫たちは案外素敵な未来を明るく築いていくのではないかと、そんなイメージすら湧き上がってきました。100年先の未来の人々が、今の不安を超越して無駄を愛でて生きていてくれたら良いなぁと心から願います。

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