勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

ムダの哲学座談会

「不要不急」という言葉が世に蔓延していった時、そういえば私の人生は不要不急ばかりでできてるわとハタと思い至った人はどのくらい居るのでしょう。そしてヤバい!必要早急でなきゃと焦った人もいれば、不要不急かもしれないけど重要やんと開き直った人もいるでしょう。不要は無用ではなくて、無駄に見えて重要ではないか。私は当時そんなことを考えていて、人生は不要不急でキラキラしているなぁとなんだか誇らしくなったのです。ほんとひねくれ者ですわ。

そんな私に『ナマケモノ教授のムダのてつがく』という著作を出した方のゆるやかお話会があるとの情報がありました。ぜひ行かねば、というより「これは呼ばれているのだろうな」との感覚で小一時間かけて会いに行ったのが先日のこと。ムダの哲学(タイトルは更に易しさを重視して「てつがく」だけど私はこの漢字が好きなので)は、なるほどわかりやすく自己肯定感アゲアゲしてくれるお話だったのです。

ナマケモノという生き物がおります。

日常ほとんど動かないという生き方をしているナマケモノがわざわざ危険を冒して動くのは、週に一度の排泄の時だとか。自分が暮らしている樹から降りてきて、根元に穴を掘って用を足します。つまり食べたものを出してまた樹に返そうとする、わかりやすく循環型SDGsな生き方をしているそうな。

動きが少ないのは無駄を省くため、より省エネで安全に生きるためと聞けば、はてさてそれって全く蔑むべき在り方ではなくて、むしろ現代の人々が目指すところではないかと驚きがあります。

 

他にも本の中での話は、働き者は一体何を目指しているのか?がむしゃらに働いて稼いだその先が安楽な暮らしなら、最初からのんびりしていればいいのでは?という真面目に頑張る人々の根幹を揺らされてしまうような問いかけがあったり、幸せは果たして計測できるものかという世界経済を揺るがす話があったり、孤独の世紀とAIテクノロジーや効率を求める文明化社会とは対極とも言えるアーミッシュの話などゆるくズサズサと進んでいきます。

 

座談会で語られたときは、坂本龍一さんが残した格言である「無駄を愛でよ」という言葉が取り上げられました。コロナで音楽活動がひっ迫を余儀気なくされてこそ出てきた魂からのメッセージです。また学校(英語ではschool)の語源であるスコーレは本当は自由という意味の言葉だったのに、現代の学校は自由とは縁遠いところにあって、という話なんかも。そんな感じでいろいろ飛びながらもやっぱり、スローとか無駄とか自由とか、私がいつでも大事にしているものが現代社会ではいかに抜け落ちてきたか、それがなければ人間は人間ではなくなるという話でした。特に孤独の話はとても興味深く染みわたりました。

自由に旅をするのを好んでいたし、今も社会の流れとは離れて自分の意思を貫くことが自己確立に欠かせない私としては、孤独は絶対に必要な尊い心なのです。だけど「あえて孤独を求める」なんてのは、ちゃんと属している人だけにできることであって、本当に孤独だと人は生きていけないのですと。コミュニティがなく、話し相手もおらず、自己有用感もなく、テクノロジーとだけつながっている本当に孤独な人は増える一方で、新型ウィルスに罹るよりももっと深刻な死因が孤独にあるのだと。

これってもう当たり前のことなのですかね。

過疎地域だからこその密な人間関係にすったもんだしながら生きていると、ちったぁ個の時間が必要だと思うことしばしばですが、移住されてきた方は口をそろえて人々とのつながりがありえなくて素晴らしいと仰るのです。いつも当たり前にその辺に居るけれども干渉し過ぎず、気に掛け合っての暮らしはここでは当たり前にあるけれど、ユートピアでもあるのですね。

 

無駄を愛でる暮らしこそ、亀成園としての私が求めてきたもので、時間のゆとりなしでは生きていけません。それは命の時間を削る現代社会では異色だとは知っておりますが、とはいえ罰せられるほどの異端でもないだろうと気にせず生きています。ムダばかりの生き方は、蔑まれても構わないのですが、アートにもつながっているなら誇らしくもなりますね。遊びの無いところから美しさや面白さは生まれないのですから。

 

大御所過ぎてそんなに今まで真面目に聴いてこなかったのですが、ナマケモノ教授とつながりがあったというアーティストに敬意を払うようになりました。


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「ムダのてつがく」では『星の王子様』に出てくるキツネと王子様の友情についても語られています。訳によってわりと印象が違うので、いくつか貼り付けなくてはいけない話のひとつです。私はやはり真ん中の版が味わい深くて好きですね。

物語の後半で王子さまが出会うキツネは、王子さまと友達になろうとします。王子さまは友達になると別れが辛いからなりたくないと拒否しますが、キツネは構わずその時間を王子さまと過ごし、懐き合って友達になります。そして別れの時が来ます。

お互い離れたくないと泣くほど辛い思いをするのですが、築いた友情はムダなのか。

ムダに時間をかけたことは、本当にムダなのか。

 

離れなくちゃいけないけれど離れたくない気持ちこそが大事なものでしょう。

つまり、それはなんというかもう、愛。

 

命の時間を相手のためにムダにすることこそ、愛。

 

うーん、孤独が死につながる理由がなんとなくわかってきました。

無駄が大事ってのはジョルノ・ジョバーナも全力で叫んでおりますしね。


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そこから話は「君の根は」という大地再生の映画に移ります。


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地球温暖化による気候変動で破滅の道へ向かっているこの星の環境問題ですが、突破の鍵は二酸化炭素を地面の下に戻すこと。植物の根っこを張り巡らせ、海底にも海藻を育てることで、ネイチャーポジティブに舵取りを変える未来が十分にあるではないかという希望のメッセージです。


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いやいや、盛り沢山のお話でした。

居合わせた人々もまた効率よりもめんど臭いことを好む意思のある人々で、ナマケモノ教授にとっても「ここは現代日本か」というゆるいコミュニティであったようです。

テクノロジー社会がいき過ぎているきらいはありますが、いき過ぎると揺り戻しがあるのが世の常です。自由でいたい、楽しくめんどくさいことを前向きにゆっくりして、人間らしく生きていきたい人も十分育っています。そして現代は少子化と懸念されて久しいですが、ゆり戻し派は前向きに出生率を上げる人が多いのもまた事実です。先進国全体の人口は減っていっても、生き延びていく子孫たちは案外素敵な未来を明るく築いていくのではないかと、そんなイメージすら湧き上がってきました。100年先の未来の人々が、今の不安を超越して無駄を愛でて生きていてくれたら良いなぁと心から願います。

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