勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

秋の大仕事、稲刈り

今週のお題「秋っぽい日々」

 

今年から田んぼを始めた亀成園では、周りの田んぼに遅れること一、二ヶ月、先週になってやっと待望の稲刈りを行い、すったもんだの末無事済ませることができました。

 

田植えをしたのも六月終わり頃なので四ヶ月程度でハイライトの稲刈りになって、正直なんだかあっという間でした。田んぼは自宅からは少し離れていることもあり、足繁く通いに通って生育を具に見たとは言い難く、バタバタしているうちに育ってくれていたという感触です。もちろん亀成園父は私より余程頻繁に草取りをしたり面倒を見ていたので彼に蓄積されたものは大きいです。なのできっと成果は上ですね。私はとかく出だしは遅いのです。補い合っての亀成園。

というわけで稲刈りの話です。

 

使う道具は鎌と紐、それと束ねた稲を仮置きするブルーシート、後で足を洗うバケツです。シンプルでしょ。右手に鎌を持ち、左の腰に紐を百本ぶら下げたら出陣です。紐は前日のうちに二千本用意しておりました。どちらにせよ準備はひと手間ですが、次年度からはワラを使えたらいいなと思っています。

 

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雨の後のドロドロ田んぼなので、長靴はハマって抜けなくなります。なので堂々裸足での作業です。絶対ぐちょぐちょなので最初は少し覚悟が要ります。小さな子供なら少しのためらいもなく、むしろ止めても無駄で、嬉々として泥に入って行くのですが、そうでない自分に驚きました。私とて大人になってしまってブレーキがかかるようになってしまったんだなと自覚したうえで、厳かに入田(にゅうでん。造語です)しました。

 

稲は刈ったあとハザ掛けをするので稲穂を片手の輪に入るだけ集めて束にします。株の分けつがとても進んで一株が太く育っていると、三株刈ったらもう持ちきれなくなるそうですが、うちの田んぼは順調に育っているのを集めても四株、あまり太くならなかったところだと五、六株を刈っては束ね、刈っては束ねしていきます。子供の場合手が小さいので三株一束もあったようです。束ね方は地域の方に教わりました。ぐるぐるして押し込む。慣れるまではうまく縛れずほどけてしまうので結んでいましたが、ぐるぐる押し込む、を覚えると断然早いので知恵は借りるものです。

 

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腰を落として一株つかみ、ザッと刈る。そのまま隣の株もザッ、続けてザッ、ザッ。花を摘むときも枝を手折る時も畑でも、植物が土を離れ自分の手元に来るときは嬉しい反面とても切ない気にもなります。田んぼでの刈りは初めてなのですぐ感傷に浸りそうになりながら、そんな個人趣味は後回しでなるだけ心を動かさないよう空にして、ザッザッザッザ。束ねたらまたザッザッザッザ。よく研いでおいてもらった(他力)鎌は面白いように刈れて、四人並んで続々はかどっていきます。束にできたら後ろ側に置いてあるブルーシートに重ねていき、ある程度たまったら軽トラに運びます。

 

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田んぼの六分の一も刈れば軽トラに積んだ稲の束もいっぱいになるので、一旦持ち帰って自宅前でハザ掛けをします。廃材になったパイプをもらって来て畑の一角に台が備えてありました。

 

軽トラから降ろす人と畑内で掛けていく人に分かれて、どんどん秋の風物詩をこしらえていきます。紐で束ねていたところがほどけてきたらやり直して、四人でも結構時間がかかりますが、これぞ大事な仕事という気がぷんぷんします。

 

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一息つきたいところですが、また田んぼに戻って刈っては運び、一日かかって半分ほど。その次の日は時間も短く雨も降っていたし、手数が三人になったため残りの三分の二、更にもう一日使って、やっと七畝の田んぼの稲刈りができました。

 

 

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まだマコモが残っているとはいえ、空っぽになった田んぼ、ずっしりハザ掛けされた畑の中。手刈りの稲刈りは思ったよりもスムーズにできたけれど、身体中がぐったりするたいした仕事で、満足感と疲労感が6:4です。これはとてもよく眠れます。

 

昔は村で助け合って次々行ったという手刈りの稲刈り。もちろん毎年当たり前で慣れているのだろうし、収穫の喜びが今の百倍だろうし、わいわいにぎやかな楽しみの日でもあったと思うのです。今はスーパーロボットのコンバインであっという間に刈れるようになって、ほとんどの場合自家用というより販売用で効率は良くなったのですが、米さえ作れれば生きていけた時代の稲刈りはなんと晴れやかな行事であったろうことを今更想像します。

 

この時代にあっても自分で選んで手植えして手刈りすることはできます。それは自分の時間と力をたっぷり使わなければできなくて、尚且つそれで生きていける保証はないリスキーな道楽に過ぎないのかもしれませんが、やってみると予想以上に晴れやかな行いであったことは言えます。ワラの匂いがして米粒がシャランと小さな音を立てて、泥の中で足腰がたっぷり鍛えられて、泥のような眠りがあって、頑張った先に稲穂がぶら下がっている。運動の苦手な私にはこんな作業がなかなか味わえない気持ちの良い疲れなのです。

 

さて、無事に終わった稲刈りですが、また激しい雨で、天日で乾かすことができるのかな。更に籾摺りや脱穀をしなければ食事に使うことはできません。幻の新米にならずおすそ分けできることを祈るばかりです。

 

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