勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

田んぼは宝箱

亀成園HPブログからの転載です↓
 
亀成園の田んぼはゲストハウスから歩いて5分弱の道沿いにあります。昨年から近所の方にお借りしている七畝(約7アール)の場所が、安心と挑戦の宝箱です。ただ米が育つ場所というだけでなく、いろんな生き物が集い、過去現在未来様々な人の思いが重なる場所としても、田んぼ程熱い場所はそうそうないと思うのです。知恵の結晶でもありますね。
 
亀成園では畑もそうですが田んぼでも、極力機械も肥料も使わず、持続可能な農業として、自然農というスタイルを目指しています。今日本のほとんどの田んぼはGWあたりに田植えを済ませ、お盆頃に刈り取る大型機械と肥料ありきの農法で稲が育てられています。早くに田植えを済ませるために種もみはハウス栽培です。農業機械が発達し、肥料も一度入れたら何段階にも効く優秀な肥料が作られているおかげで、人がほとんど田んぼに入らなくても米ができるようになりました。水管理や獣害対策は必要なのですが、田んぼ内で長く作業をする人はあまり見かけません。農村に人(特に若い世代)が減り、街へ出た人が実家が持つ田んぼを手伝える時期も大型連休くらいしかない現代の忙しい街暮らしとマッチングしてでも、米作りを継続させていくには、今の農法は極めて合理的なのです。手間暇がかからない農業なら週末農家でも可能です。空いた土地を田んぼのまま残していくにはえっちらおっちら田植えその他をしていては成り立ちません。人口が街に集中して、その人々の口も養うには、田んぼ仕事は一気に済ませるしかないのが現状です。
 
とはいえそれは本当に最近のこと。昔はみんな手植えしていて、6月頃に植えて11月頃に刈る田んぼのスタイルは、60年前までは当たり前だったのです。どこの家も総出で自分たちの米を作り、生きていた。悪く言えば村人は田んぼに縛られていたわけですが、いい面を見ると田んぼでつながり合い助け合い生かされていた。どこの村もどこの人も。
 
これからの食生活や暮らしがどううねっていくのかはっきり見えてはいないのですが、私は自分で植えた米を食べて生きていきたいです。どこに移動できなくなっても買い物できなくなっても(災害、異常気象、感染症、インフレなどものすごく現実味を帯びてきましたね)、へっちゃらに生きていくためには自分たちの田んぼがほしいです。可能ならば増やしていきたいです。大きな機械や高価な肥料なしに自分たちが食べる以上のお米を育てられたらどんなに安心かと直感するのです。というわけで亀成園ではなるべく自然農による米作りに挑むことになっています。「挑む」と表現してしまうのはまだ一筋縄ではいかないからですね。田おこし、種もみおろし、代かき、田植えに草取り、水管理、稲刈り、収穫とものすごく手間のかかる稲作というものを受け継いでいない新規参入者が十分に口を糊するにはそれなりの覚悟がいります。今年も結局トラクターに入ってもらいました。でもきっとできるはずなのです。そしてうまくいったら仲間を増やしていきたい。今いる地域が安心と協力の社会になると信じて、まあとにかく今年の田植えをしました。
 
 
 
 
土曜日の午後と日曜日の午前・午後、仕上げに月曜日午前を使って、大人2人に子供2人、日曜日の午前は追加で大人2人の手伝いもあり、まずまず順調に植えられました。稲が足りなくなって困っていたら余ったからと分けてくれる人がいたり、その前に土地の持ち主さんが代かきをしてくれたり、とても自分たちだけの力ではないですが、それも含めて田んぼへの思い入れが強く強くなります。
 
よく育った稲を一本植え。事前に引いておいた線の上に深すぎず植えていきました。片手に苗の束をもって、腰をかがめてもう片方の手で植えて植えて植えて植えて、大体4筋ずつ。少し進んでまた繰り返し。なにもなかった田んぼが緑の点々で覆われていきました。
 
これから水を張って、草取りをして、様子見様子見しながら稲の成長を待ちます。倒れてしまったところを起こしてやり、ヒエはまめに抜いてやり、たぷたぷにさせすぎずカラカラにせず水を調整し。夏は野菜もよく育つし世話をするものが多いので田んぼを持つことは簡単ではありませんが、ともかくもここにこれだけ植えてあると、未来への安心感があります。
 
 
 
 
 
ニーチェの言葉の一つにこんなものがあります。
「樹木にとって最も大切なものは何かと問うたら、それは果実だと誰もが答えるだろう。しかし実際には種なのだ」と。
種もみが無事に育って田植えができました。これから望みに望んで収穫するのも米粒という種です。大地に種を下す。そうすれば未来を生き抜くことができる。農的暮らしとはつまり種を増やして生きていくことです。育つかどうか、精一杯工夫して知恵と経験を重ねていきます。
 
今回の田んぼは天候のこともあり準備のこともあり、こちらの経験不足もありで一般の方の体験にすることができませんでしたが、この次は田んぼと向き合う人をもっと増やしていきたいなと思っています。6月下旬頃、未来の自分が食べるお米を植えてみたい方、アンテナ張っていてくださいね。