勇敢なる有閑なる優な感じの自由刊行。続

三重県松阪市の端っこにある飯高町で農的生活を営む六人家族のお母ちゃんです。縁もゆかりもない移住をご機嫌に続けていけるのは、尽きないチャレンジ精神と、おおらかな地域のおかげです。地域に支えられる子供たちとの暮らしや、ここで発見した限りない素敵なことを、ちょっとずつ発信していきたいです。

人と人をつなぐ鍵

今週のお題「復活してほしいもの」

 

 子供の頃暮らしていた町は、都会の郊外にある豊かで便利なところでした。なんだかゆったりとした作りの町で、きれいな川も流れ、緑も多く、観光地でもあるのに通勤も通学も申し分のない距離という、人気エリアで、現在も少しハイソな人たちが集まってくる地域のようです。ハイソって何か定義せずに使っていますけどね。

 故郷を離れてしまった私がたまに訪れると、失われてしまったものを思い出して少し切なくなります。何十年も経っているわけでもないのに、よく足を運んだお店は半分くらいはなくなってしまったし、顔だけ知っていつも挨拶を交わしていたおじちゃんおばちゃんたちを見かけることもありません。コンビニといえばそこ、だったローソンもなくなっているし、ミスド一号店もなく、駄菓子屋はもちろんよく行った本屋さんも美容院もすっかりありません。駅前の建物の地下にあったスーパーマーケットも、気が重くなりながら通院していた病院(耳鼻科とかですね)もなく、友達の誕生日プレゼント選びに何度となく足を運んだ雑貨屋さんもありません。最近では中学生以来ドキドキしながら演奏の発表をしていた市民ホールもなくなったそうです。実家も既になく、愛犬との散歩でよく見かけた犬たちももういないです。哀愁とかはなく移り変わりを眺めるのみですが、変われば変わるものですね。

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 なくなってしまったのが惜しいのは、場所そのものよりそこにあった人々のつながりでしょうか。商店街とか商業施設って店そのものよりそこにいる人々が作り上げていますよね。まあ学校とか公共施設も実はそんな感じなのですが。

 

 昔の家から徒歩3分くらいのところに、日本一安いたこやき屋さん(弊社調べ)がありました。開放感のある十字路の一角に建っている本当に小さな店で、元気なおばちゃんがいつもいつでも小さなたこ焼きをくるくるさっさと焼いていました。

 自分が愛用していたというより、近所の人に本当に愛されていた店だったなという印象が強いです。図書館に行くときも駅に向かう時もそこを通るし、英会話スクールの真ん前だったので習い事の時にも様子が見えました。物心ついたときから高校を卒業して町を離れるまで、いつでもあったと記憶しています。もしかしたら高校の頃は既になかったかもしれませんが、急になくなった記憶もないのです。

 

 小さな元気なおばちゃんは、一人でくるくると熱いたこ焼きを焼いて、お皿であるたこやき舟にぽんぽんのせてハイっと渡す動作を繰り返しながら、常連さんの話をいつも明るく聞いていました。私が小学校の頃に中学生だったお兄さんたちがよくそのたこ焼き屋さんに居て、何を話していたのかはわからないけど、おばちゃんに明るく叱咤激励されていました。小さな私にはとても大きなお兄さんたちに見えたのに、うんと小さなおばちゃんが温かい食べ物と一緒に優しいエネルギーを分けていた光景はなんだか心に残っています。

 

 当時のたこ焼き屋さんがそのまま復活して欲しいと思っているわけではないのです。あそこはあのおばちゃんでなくちゃ成り立たなくて、あの時代とちょうどマッチしていたのでしょう。でも温かくて優しくて元気が出る場所ってのは、もっとどこにでもあったらいいなとは思います。時代劇に登場する甘味処とか、刑事ドラマで登場する喫茶店とか、その町の人々にとってホッとしたり愚痴を流せるような場所って、もしかすると命綱ですね。

 故郷でそんな光景を見ていたからか、私が自分の夢を描くときは物書き以外にわりと頻繁に「居酒屋のおかみさん」とか「気さくな喫茶店」とかが出てきます。人に軽く寄り添っていつの間にか元気づける人のイメージが確かにあるからでしょう。憧れているというよりも、それがどんなに必要な役割かがわかるから、人と関わるなら安心する場所とセットでありたいと思っています。職種はなんでもいいけれど、そこにいて、明るいエネルギーを回せる人でありたいとはいつも思っています。ありがたいですね。本名も知らないけれど沢山の人をほっとさせてきて、たくさんの人の心に残っている明るいおばちゃんが人生の途中にいてくれたこと、ありがたいです。

 

 なかなか家を出られない、外で人に会うのがなんだか怖いというような状況が長く続いています。元々そういう人は増えてきていましたが、強制的に外出や会合を制限されることが続いたこの2年の影響は計り知れません。もちろん社会の流れに飲み込まれずあまり影響されず動いている人もいますが、制限されることでより人とのつながりを求める人が溢れています。もう桶満タンのたぷたぷになっているのではないでしょうか。これから少しずつ社会の在り方がゆり戻されていったとき、求められ、残っていくのはホッとできる場所ではないかと思っています。

 

オシャレよりも明るいエネルギー。

モノ重視よりヒト重視。

無言サービスじゃなくて穏やかなおしゃべり。

 

サークル活動でも寄合でも待合室でもいいですが、いつもそこにいる人が居て、訪れる人が有難く穏やかにエネルギーを復活させて、その力でその人も生きているような場所。効率や便利を求める中で零れ落ちてしまってきたような人と人が穏やかな熱でつながるような場所の復活を、世界中で望んでいます。

 

 今の自分には少しそんな場所があって、子供たちにもそんな場所をつなげていきたいし、かつてのふるさとにもそんな場所がありますように。