鴨頭さんのVoicyを2、3日に1回は聞いています。
毎日放送なのに毎日じゃないんかい、とツッコミもするのですが、車の運転中にまとめて聴くと元気が出ていいので、出る用事のないときは溜めてます。
とにかくエネルギーいっぱいでチャレンジを日常にしているこの放送は、怠け者の私には眩しさいっぱいです。都会でのご活躍なので接点のない話題も多いですが、具体事例満載の話し方をされるのでわかりやすく、ビジネスヒントも結構もらえるのが魅力です。ビジネスって私程度ではちっぽけにも程がありますが、考え方は案外共通しているものですね。
そんな楽しく学べるVoicyで最近聞いた放送は
人生を豊かにいきたいなら「依怙贔屓」される側に回れ
という刺激的なタイトルでした。
案外書けそうにない漢字で示される「依怙贔屓(えこひいき)」という言葉は、もっぱら不公平を感じて不満から発せられることが多い言葉ですが、果たして何の意味もなくえこひいきが発生しているのだろうか。
例えば誰かが会社なりお店なりで依怙贔屓されているとして、そこには理由があります。依怙贔屓されない人からすれば、うまくやりやがってと妬ましさなしでは感じ取れないのかもしれませんが、贔屓される人はおそらく
笑顔よしな人です。
元気な人です。
明るい人です。
気配りのできる人です。
素直に人の話を受け止められる人です。
だからその人にばかり人が集まったり頼られたり得したりするのですが、
明るく笑って人の話が聞けるというのはものすごく価値があるのことなので
依怙贔屓はあるべくしてあるんじゃないかという、大胆なお告げでした。
このお告げ、なんだかとっても嬉しかったのです。
子供たちにはいつも「可愛がられて生きてほしい」と思っています。
本人に実力がなくていいという意味ではなく、周りといい関係を築いてほしいと思います。チャンスを運んでもらってほしいです。
贔屓は言い換えると信用なのかもしれません。
まずはこの人から。
この人なら大丈夫。
この人に喜んで欲しい。
それって別に不公平ではなくて、築いたものですよね。築くスピードがあまりに速くあっという間だったので、理由なく取り残されている気になるかもしれませんが、チャンスはきっとあったのです。
笑顔でいようね。
礼儀正しく挨拶しようね。
人の話を機嫌よく聞こうね。
さり気なく手助けはしようね。
いつも心掛けて子供達に伝えているこんなことが、依怙贔屓されることにつながっていくなら、不公平どころか必然の流れではないでしょうか。依怙贔屓される人でいるとは、自分のためでもあり周りのためでもあります。
母としていつも4児と向き合ってきて、公平だったとはとても言えません。やはり小さな子や息子を甘やかしがちで、上の娘たちは不満を抱えていました。下の子たちは甘え上手でもっと小さな頃はいつもご機嫌だったので、当たり前に可愛がってしまうのです。けれど最近下の子たちは小競り合いが多く、人の話を聞かなくなり、お母ちゃんの依怙贔屓は減ってきました。逆に近頃はお姉ちゃんたちが可愛くてたまらなく、どんなチャンスでもあげたいと気持ちが変わってきています。それは彼女たちが不満を乗り越えて、よく笑ってよく話を聞いて、助けになってくれていることと密接に結びついています。
依怙贔屓されるのも絶対ではない。
チャンスはやっぱり目の前にある。
明るく礼儀正しく茶目っ気もあって
人に好かれて生きていくのは素敵な人です。
万人に好かれなくちゃとか嫌われたらダメなんて到底思いません。ご縁のあった人とお互い居心地の良い付き合いをすればいいです。そこで贔屓してもらったなら、素直に感謝して受け止めたらいい。
人生は結構長いこと回っていくので、たくさん可愛がってもらって、未来は人にチャンスを与えられる人になっていきたいですね。
そういえばアフィリエイトがうまくいく人も、贔屓され上手な人ですね。