今週のお題「好きな街」
暮らしたところが好きな街。あ、街じゃなくてど田舎の集落でしたが、わが町飯高町と誇らしく言えるのは日々ここからの収穫物で美味しく楽しく生きているからです。
猟の獲物や畑の作物、欠かせない卵は園主の担当だけど、山野草は私の手足と知恵なくしては口に入りません。身土不二を体感できる里山暮らしが好きです。
独学で摘み草に親しんで早10年。四季折々、食べられる草はないかなぁといつもアンテナを張ってきました。猛獣でなく草食獣の血が入っているのかもしれません。或いは虫たちか。
南大阪にいる頃も、小さな子供たちを連れて散歩をしていて、住宅地になりそこねている空き地や池のほとりなどで野草と目が合うことがあり、調べては味見をしていました。なにせその頃は育児情報におぼれていた頃で、「幼児の頃に野草をかじった子供は味覚がよくなる」という一文を実践していたのです。「一流フランス料理店の名シェフは幼い頃草をかじって味覚を鍛えていた」が元だったかもしれません。我が子にシェフになってほしい気持ちがあるわけではないですが、なんでも食べられる人にはなってほしかったし、なんでも食べられることのメリットは私自身経験しています。英才味覚教育にかこつけて、共に野草をかじっていました。
その後、飯高町に移住を決めて、家の前でお父さんが畑を持つことになりましたが、初年度はあらあら散々な成果でした。土が固かったし時期も見極められていなかったし、手痛い経験を積むことがその後活きてくるので何の問題もありませんが、食糧不足のピンチは摘み草体験を深めたい私のチャンスでもありました。
まだバイオームアプリも使っていなかった頃、摘み草を調べるのは本でした。
小学校の時からの愛読書である『冒険図鑑』の知識をベースに
写真が多くレシピ付きのカラフルな本で夢をふくらませ
だんだんと魔法使いとしての心得も身につけられるよう、効用も意識して
野草の本も随分増えましたね。
時期が過ぎると出会えなくなるし、これでいいのかと散々迷いながらも、少しずつ少しずつその辺の草を見分ける力を育ててきました。
まだまだ薬草使いの魔女には程遠くても、ひよっこでもないなぁという道の途上。「人に伝える」を課すことでもっとスピード出そうだなぁと思ったので、来年から野草探しを亀成園の体験メニューに加えることにしました。その前段階として、ご近所の快いモニターさんと山野草探しをしました。
ヨモギやスギナ、フキなんかはもう説明するまでもないと思っていたら、
どうもそうではないみたいです。
一から丁寧に、初心にかえって向き合い直していきましょう。
その辺の草が食べられるようになると、どこでも生きていけるような気になります。
人は気に大きく左右されるので、生きていけるような気になったら生きていけます。
すぐに食糧危機がどうこうなることはなくても、自分を取り囲む自然が自分の味方であるという感覚を身につけておくことは、これから生きていくうえでなかなか大事になってくるのではという予感があります。
それこそ戦時中はどの人も生きるためになんでも食べました。好き嫌い以前の問題で、草かじりまくっていました。
現代は野草摘みはなんかオシャレな部類かもしれません。事前の知識がないと難しいところから、ハイソなイメージがあるのかもしれません。
いやいや、私にはただサバイバル力を高めるための楽しい草摘みですよ。
あれも食べられる、これも食べられると毎年2つ3つずつでも草と親しくなれば、それはきっと揺るがない武器(知恵)になります。
食べ方は、天ぷらだけでなく、お浸しとか湯がいてとかもっと気楽に、混ぜこぜにして炒めてもいいです。苦味とか酸味とかほの甘味とかいろいろ含んで、自分に春の草の伸びゆく力をプレゼントしましょう。
私が庭をそんな目で見ているからなのか、単純に日当たりと水加減なのか、この5年あたりでも庭の有用草はずいぶん増えました。フキもぐんぐん太くなり、三つ葉もあちこちに増え、ノビルやセリも。以前は気付かなかっただけなのかな。散歩中のワラビも増えたように思います。知恵も収穫物もおすそ分けしなくちゃいけませんね。
そうこうしてる間にまた草刈シーズンとなって、蛇が怖いのでうちの庭もほぼ刈り取ります。まだ食べられる草はあるけれど、惜しみながらも、また会える。そんな安心感がなによりです。
食べることってほんとに毎日のことで、命に直結します。料理が得意でなくても買い物が好きでなくても、生きることは好きなので、焦らず楽しく前向きに、少しずつ使えるスキルを高めていますよ。