卒業シーズンが得意だったことはありません。
学んできた子供たちの集大成は誇らしいのだけど、もうここからこの子たちは居なくなるんだなと思うとこみ上げるものが大き過ぎますね。自分の卒業はまあ、次の楽しみが大きかったし余韻引きずりは1日で済んだけど、子供たちの卒業は毎度毎度自分の子じゃなくても引きずります。それだけ、もらってきたものが大きいのですね。
次女の卒業式も、もう来週なのです。
何をやるにも「6年生はこれで最後の」という季節です。
私の放課後読み聞かせも、きちんと最後を務めてきました。
香肌小学校でボランティアを募集しているのに手を挙げて
時間をもらって読み聞かせを続けてもう5年です。
本人たちの前では6年間ありがとうって言っちゃったぜ。
まあでもその前の年からやりたいなぁとうずうずしており、今の6年生は2年生のときからずっと熱心に優しく礼儀正しく読み聞かせの時間を楽しんでくれました。
ちっちゃかったあの子たちが立派な学校のリーダーになって
ほんとえらそうになって
それでもきちんと礼儀正しく話を聞いて、優しく反応してくれます。
読み聞かせは月1なのですが、定期的でもなくわりと行き当たりばったりになってしまい、選書もギリギリになることも多いのですが、毎回雰囲気を変えながら、誰かには突き刺さるイメージで細々楽しく続けています。
可能ならば読み聞かせは淡々と、物語が相手の心に入り込むように抑揚も控えめに語りかけるのがいいという正当な説と、やはり楽しい時間を過ごすのがよいという人気の説があり、私なりに試行錯誤してハイブリッドで行っています。
夏休みもあるので年間まあ10回くらい。低学年と中学年以上で2回あるので、20回。
お話1つのときや短い話をいくつかの時といろいろありますが、
ざっくりと1.2×2×10で1年で24
24×5年で大体120のお話を演じる機会があったようです。
記録付けてないし、いつどの子にどの話をしたのか記憶に頼るしかないのですが、結構覚えているものです。子供の方はすっかり忘れちゃっててちっとも構わないという前提の元、私が手渡したい話はその都度あって、一度は受け止めてもらうことができています。プレゼントは渡せるほうが嬉しいものです。
そんな120くらいの思い出をあれこれ巡らせての、今年度卒業前の読み聞かせは、3冊の絵本になりました。
まずはものすごく初期に小さかったあの子たちに読んだこれ。
言葉のリズムと自由にもほどがある絵が最高な一冊です。
それから、泣くならこの本を読みながらなら許されるかもしれないと思った
好きな絵本5本の指に入るこちら。
案の定うるっときましたが、そこは私も演者としてはセミプロです。さらっとこらえて次のページにいけました。
何回読んでも目が潤う本ってなかなかないのですが、この話は別格ですね。
『とりかえっこ』という絵本と同じ、二俣英五郎さんの絵で、ひよこも登場するしどの絵も額縁に入ったような雰囲気はとても似ています。物語の作者は異なりますが、続けて読んでもいい組み合わせです。
心がいっぱいになって、最後はマーガレット・ワイズ・ブラウンのこちら
基本的に訳された言葉で絵本を読むのですが、私はマーガレット・ワイズ・ブラウンの言葉が美智子前皇后陛下と同じくらい好きです。何冊か英語で読んだこともあって、シンプルだけどリズム感、言葉の広がり、例えの使い方など、たまらなく上手です。
永遠の憧れと言っていいこの人の本を通じて
「あなたはたいせつ」というメッセージをそのまま伝えることができたでしょうか。
香肌小学校は地域の人の出入りが多い安全な学校です。
このご時世、関係者以外は立ち入り禁止と格子を張り巡らせてもおかしくないかもしれませんが、あえてオープンであることで子供たちが受け取るものがあります。
親でもない、先生でもない、地域の人からなにかしてもらう経験を多く重ねていくと、必ずとは言わないまでも、他者に何かをすすんですることが当たり前になります。
人に限らず生き物は受けたエネルギーを返したり回したりするようになっているので、地域の人からの一方的な愛情が、いつかどこかで他の誰かに回るといいなと思います。
この本もよく使う私のお気に入り。古今東西伝わってきた物語が頭と心の柔らかい子供たちのどこかに入り込んで、この先の人生を面白くする一助になれば、こんなに嬉しいことはありません。
あ、なんか真面目な話になっちゃったな。